第7話 孫の手は剣よりも強し
空を飛ぶというのは、こういう感覚なのだろうか。
グレイド様の腕から放たれた私の体は、砲弾のような勢いで空気を切り裂いていた。
視界がブレる。
風切り音が耳をつんざく。
内臓が浮き上がるような浮遊感と、死への恐怖がない交ぜになる。
けれど、私の目は一点だけを見据えていた。
黒煙の中で暴れ狂う、漆黒の巨体。
ヴェルドアの背中だ。
「……っ!!」
衝撃が走った。
狙い違わず、私はドラゴンの背中に着地した。
硬い鱗に全身を打ち付けられ、息が止まりそうになる。
グレイド様のコントロールは完璧だったけれど、着地の衝撃までは消せない。
『ギャアアアアア! 背中! 背中が燃えるうううう!』
ヴェルドアが絶叫し、体を激しくよじった。
まるでロデオだ。
振り落とされそうになる体を、私は必死に角のような突起にしがみついて支えた。
「うぐっ……! ヴェルドア、じっとして!」
叫んでも、暴風にかき消される。
今の彼には私の声も届かない。
痛みと痒みで正気を失っているのだ。
私は這いつくばったまま、ターゲットを探した。
昨晩見た、白く変色した鱗。
あった。
すぐ目の前だ。
黒曜石のように滑らかな周囲の鱗とは違い、そこだけが石灰のように白く乾き、ひび割れている。
鱗の隙間から、赤い魔力の光が漏れ出しているのが見えた。
炎症を起こしているのだ。
ここが、全ての元凶。
私は震える手で、腰に差していた道具を抜いた。
朝日にきらりと輝く銀色の棒。
国宝級のレアメタル、ミスリル銀で作られた特注品。
竜騎士団の予算を無駄遣いしたと陰口を叩かれたこともある、私の相棒。
――ミスリル製孫の手。
「な、なんだあの女は……!?」
頭上から、素っ頓狂な声が聞こえた。
赤竜に乗ったレオン皇子だ。
彼は攻撃の手を止め、目を丸くして私を見下ろしていた。
「正気か!? 暴走する竜の背に乗って、棒切れ一本で何をする気だ!」
棒切れじゃない。
これは、最強の癒やしアイテムだ。
私は足を踏ん張り、孫の手を高く振り上げた。
グレイド様が託してくれたこの命、無駄にはしない。
剣では斬れないものを、私が斬る。
いいえ、掻く!
「ヴェルドア! 覚悟ぉぉぉぉっ!!」
私は渾身の力で、孫の手を振り下ろした。
狙うは白く変色した鱗の隙間。
先端のカーブが、ガッチリと食い込む。
ガリッ!!
硬い音が響いた。
私はそのまま、体重をかけて引き下ろした。
『ギョエエエエエエエッ!?』
ヴェルドアの口から、聞いたこともない奇声が漏れた。
暴れていた巨体が、空中でビクンと硬直する。
効いている。
私は手を休めない。
ガリガリ、ゴリゴリ。
ミスリルの強度が、ドラゴンの硬い皮膚に負けじと食らいつく。
「ここなんでしょ! かゆいのはここなんでしょ!」
『そ、そこ……! ああっ、そこおおおおお!』
ヴェルドアの悲鳴が、恍惚の声へと変わっていく。
脳内に直接響くその声は、泣き出しそうなほどの快感に震えていた。
『すごい……くる……! かゆいのが、消えてく……!』
バリッ、ベリベリッ。
鈍い音がして、白くなった鱗が浮き上がり始めた。
孫の手が引っかかるたびに、分厚い皮膚のようなものが剥がれかけていく。
その下から、さらに鮮やかで強靭な、新しい黒い鱗が覗いていた。
これは。
皮膚病じゃない。
怪我でもない。
脱皮だ。
古い殻を脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わろうとしているのだ。
それが上手くいかずに、痒みとして彼を苦しめていた。
「手伝ってあげる! 全部剥がしてあげるから!」
私は両手で孫の手を握り直し、テコの原理で古い鱗をこじ開けた。
『んああっ! イクッ! なんか出るっ!』
変な声を上げないで。
ヴェルドアは地面に伏せ、完全に脱力していた。
先ほどまでの殺戮兵器のような暴走が嘘のように、今はただの巨大な猫のように喉を鳴らしている。
上空で見ていたレオン皇子が、口をあんぐりと開けていた。
「ば、馬鹿な……」
「支配」の魔法でも、「破壊」のブレスでも止まらなかった暴竜が。
たった一本の孫の手で、無力化されたのだ。
「公爵……あんたの妻は、一体何者なんだ……」
レオンの呆然とした呟きが、風に乗って聞こえた気がした。
地上では、グレイド様が剣を下ろし、愛おしそうに私を見上げているのが見えた。
まだ終わらない。
剥がれかけた鱗の隙間から、目もくらむような光が溢れ出し始めていた。
ヴェルドアの体が熱い。
生命の奔流が、爆発しようとしている。
「くる……!」
私は孫の手を握りしめ、来るべき衝撃に備えた。
最強の竜が、真の姿を現そうとしていた。




