表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/30

第5話 暴れる黒竜 VS 支配する赤竜



 悪い予感というのは、得てして当たるものだ。


 ドォォォォン!!


 夜明けの空気を引き裂くような爆音が、屋敷全体を揺らした。

 私はベッドから飛び起きた。

 地震じゃない。

 この振動と、肌を焼くような魔力の波動は、よく知っているものだ。


「ヴェルドア……!」


 窓に駆け寄り、カーテンを開ける。

 目に飛び込んできたのは、黒煙を上げて崩壊する竜舎の無惨な姿だった。

 瓦礫の中で、漆黒の巨体がのたうち回っている。


『イタイ! かゆい! もうやだあああああ!』


 悲痛な叫び声が、直接脳内に響いてくる。

 ヴェルドアは狂ったように尾を振り回し、石壁を粉砕していた。

 昨晩よりもひどい。

 鱗の隙間から、赤い火花のような魔力が漏れ出している。


 庭園には既に騎士たちが展開していた。

 その中心に、白銀の鎧を纏ったグレイド様の姿がある。


「総員、防御結界を展開せよ! ヴェルドアを刺激するな、抑え込むんだ!」


 グレイド様の指示が飛ぶ。

 けれど、その声にはいつもの冷徹な落ち着きがない。

 彼は剣を抜いているが、踏み込みが浅い。

 ヴェルドアの暴れる尻尾を避けきれず、盾で受け止めて大きく後退った。


「くっ……!」


 体勢を崩すグレイド様。

 あんな姿、初めて見た。

 顔色が悪い。ここ数日、私の警護やレオン皇子の対応で、一睡もしていないはずだ。


 行かなきゃ。

 私がヴェルドアの言葉を聞いてあげないと、誰もあの子の苦しみを理解できない。


 私はドアに走った。

 ノブを回す。

 ……開かない。


「開けて! お願い、開けてください!」


 扉を叩いて叫ぶ。

 しかし、廊下からは騎士たちの慌ただしい足音が聞こえるだけで、誰も答えてくれない。

 厳重な施錠。

 グレイド様が私を守るためにかけた鍵が、今は私を拒絶する壁になっていた。


「どうして……私は、守られるだけの人形じゃないのに……」


 無力感で膝が折れそうになった、その時。


 カチャリ。


 金属音がして、重厚な扉が外側から開かれた。

 そこに立っていたのは、黒いドレスを完璧に着こなした老婦人――ベアトリス夫人だった。


「ベ、ベアトリス様?」

「何をしておいでですか。庭があのような有様だというのに、部屋で震えているつもり?」


 夫人は扇子で口元を隠し、冷ややかに私を見下ろした。

 その瞳は、いつもの厳しい光を宿している。

 けれど、その手には鍵が握られていた。


「だ、旦那様から、出るなと言いつけられていて……」

「グレイドは愚か者ですわね。非常時に妻を鳥籠に閉じ込めるなど、公爵家の当主としては失格です」


 夫人は鼻を鳴らし、道を開けた。


「公爵夫人の務めとは何だと教えましたか? 家を守り、夫を支え、領民――今回は竜ですが――を安んじること。違いますか?」

「……!」

「行きなさい。あのバカな甥っ子に、妻の強さを見せておやりなさい」


 その言葉は、どんな激励よりも私の背中を押した。

 私はドレスの裾を握りしめ、深く頭を下げた。


「はい! 行ってまいります!」


 私は廊下を走り出した。

 背後で、夫人が「姿勢が悪くてよ!」と叫ぶのが聞こえた気がしたが、今は構っていられない。


 ***


 庭園は戦場と化していた。


 ヴェルドアの咆哮が衝撃波となって吹き荒れ、植木や石像をなぎ倒していく。

 騎士たちの展開した魔法障壁も、紙屑のように破られていく。


『うああああ! 誰か助けて! 背中が燃える!』


 ヴェルドアは目を見開き、見境なく炎を吐き散らしている。

 錯乱状態だ。

 自分の体の異変にパニックを起こしている。


「ヴェルドア! 落ち着いて!」


 私が叫びながら駆け寄ると、前線で指揮を執っていたグレイド様が驚愕の表情で振り向いた。


「エルマ!? なぜここにいる! 部屋にいろと言っただろう!」

「嫌です! ヴェルドアの声が聞こえるのは私だけなんです!」

「馬鹿なことを言うな! 今のヴェルドアは正気じゃない、近づけば死ぬぞ!」


 グレイド様が私を遠ざけようと腕を伸ばす。

 その顔は恐怖で歪んでいた。

 私を失うことへの恐怖。

 でも、その恐怖が彼の判断を鈍らせ、ヴェルドアへの対応を後手に回らせている。


「死にません! 私はあなたの妻で、この子の相棒ですから!」


 私は彼の腕をすり抜け、瓦礫の山を乗り越えて前へ進んだ。

 爆風が頬を打ち、砂埃が目に入る。

 それでも足を止めない。


 ヴェルドアの前に躍り出る。

 巨大な金色の瞳が、私を捉えた。


『エ、エルマ……?』


 一瞬、彼の動きが止まる。

 認識してくれた。


「そうよ、私よ! 痛いんでしょ? かゆいんでしょ? 私が治してあげるから!」


 手を伸ばす。

 あと数メートル。

 その距離が、永遠のように感じられた。


 だが、その手を遮るように、上空から赤い影が降り注いだ。


 ズドンッ!!


 私の目の前に、鮮血のような色の竜が着地した。

 爆風で吹き飛ばされそうになり、踏ん張る。

 赤い竜の背には、優雅に腕を組んだレオン皇子が乗っていた。


「やれやれ。随分と無様なショーだな、公爵」


 レオンは嘲るようにグレイド様を見下ろし、それから私へと視線を向けた。


「よう、通訳令嬢。昨日の今日で大変だな。やっぱりあの黒いの、壊れかけなんじゃないか?」

「違います! ただ、苦しんでいるだけで……!」

「苦しんで暴れるなら、それは害獣だ。躾が必要だろう?」


 レオンが指を鳴らす。

 すると、彼の乗る赤竜――アカが、低い唸り声を上げてヴェルドアを威嚇し始めた。

 その首輪から伸びる鎖が、禍々しい光を放っている。


「俺が手本を見せてやるよ。『支配』とはどういうことかをな」


 レオンの手から、黒い魔力の波が放たれた。

 それは蛇のように空を走り、ヴェルドアの首へと絡みつこうとする。


「やめろ!」


 グレイド様が叫び、剣を構えて飛び込もうとする。

 しかし、ヴェルドアの尾の一撃が彼を襲い、足止めを食らう。


 黒い光がヴェルドアに迫る。

 あれは昨日のアカと同じ、心を縛り付ける鎖だ。

 あんなものを埋め込まれたら、ヴェルドアの心は壊れてしまう。


『いやだ……こないで……!』


 ヴェルドアの悲鳴が聞こえる。

 私は考えるよりも先に動いていた。

 レオンとヴェルドアの間に、体ごと割り込む。


「させない!」


 両手を広げて立ちはだかる。

 何の武器も持たない、ただの生身の体で。


「ほう?」


 レオンの目が面白がるように細められた。

 魔力の波が、私の目の前でピタリと止まる。


「面白い。竜を庇って死ぬ気か? それとも、俺の魔法を止められるとでも?」

「止められません。でも、ヴェルドアを道具扱いするなら、まずは私を倒してからにしてください!」


 私の言葉に、戦場の空気が一瞬だけ静まり返った。

 瓦礫の陰で、グレイド様が息を呑む気配がした。


 レオンは口角を吊り上げ、残酷な笑みを浮かべた。


「いい度胸だ。なら、望み通りにしてやるよ。その黒竜ごと、俺の支配下に置いてやる」


 彼の手が振り下ろされる。

 黒い光が、鎌首をもたげる蛇のように膨れ上がった。


 逃げ場はない。

 けれど、私は一歩も退かなかった。

 私の背中には、震える相棒がいるのだから。


 光が私を飲み込もうとした、その瞬間。

 ヴェルドアの瞳から光が消え、うつろな色に変わっていくのが見えた。


 ――様子がおかしい。


 それは支配の完了ではない。

 もっと別の、根源的な何かが壊れる予兆だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ