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第2話 隣国の「竜帝」皇子は、私の通訳スキルがお好き?


「……玩具、ですか?」


 砂煙が晴れていく庭園で、私は呆然と呟いた。


 目の前に立つ赤髪の青年――レオン皇子は、人を食ったような笑みを浮かべて私を見下ろしている。

 その背後には、巨大な赤い竜がうずくまっていた。

 鮮やかな鱗を持つ美しい竜だ。

 けれど、その首には禍々しい黒い首輪が嵌められ、そこから伸びる鎖のような魔力の光が、レオン皇子の手元へと繋がっている。


 まるで、猛獣を縛り付ける鎖だ。


「ああ、そうだ。公爵夫人だか何だか知らないが、随分と面白い芸ができるらしいじゃないか」


 レオン皇子は私の反応を楽しむように、一歩近づいてきた。


「竜と話せる女。帝国の魔導師たちも興味津々でな。俺が直々に品定めに来てやったというわけだ」


 品定め。

 その言葉の響きに、胸の奥がざらりと逆撫でされる。

 彼は私を人間として見ていない。

 珍しい動物か、あるいは道具として見ている目だ。


「貴様……!」


 鋭い怒声と共に、グレイド様が私の前に躍り出た。

 抜身の剣を手に、その背中は殺気で張り詰めている。


「我が妻に対し、随分な口の利き方だな、レオン皇子。ここはドラグニール帝国ではない。即刻退去願おうか」

「おいおい、怖いねぇ。氷の騎士殿は」


 レオン皇子は大げさに肩をすくめたが、その目は笑っていなかった。


「退去? 俺は正式な外交使節として来たんだぜ? ほら、入国許可証もある」


 彼が懐から取り出した羊皮紙には、確かに王家の印が押されていた。

 グレイド様がギリリと奥歯を噛み締める音が聞こえる。

 外交特権を持つ相手を、問答無用で斬り捨てるわけにはいかないのだ。


 その時だった。

 遠くの竜舎から、地響きのような足音が近づいてきた。


『おい! 誰だテメェ! 俺の庭でデカい顔してんじゃねえ!』


 ヴェルドアだ。

 騒ぎを聞きつけたのか、ドスドスと庭園になだれ込んできた。

 彼はレオン皇子を見て威嚇の声を上げたが、その視線が赤い竜に向けられた瞬間、ピタリと止まった。


『……あ?』


 ヴェルドアの金色の瞳が、うずくまる赤竜をじっと見つめる。

 そして、困惑したように私に話しかけてきた。


『なぁエルマ。あいつ、なんで泣いてんだ?』


 泣いている?

 私はハッとして赤竜を見た。

 爬虫類の瞳から涙が流れているわけではない。

 けれど、ヴェルドアには聞こえているのだ。

 同族だからこそわかる、言葉にならない悲鳴が。


「……泣いているんですか?」

「あん? 何のことだ」


 レオン皇子が怪訝な顔をする。

 私は彼ではなく、赤い竜に向かって一歩踏み出した。


「その竜です。苦しそうに見えます。その首輪、外してあげられないんですか?」

「ははっ、何を言うかと思えば」


 レオン皇子は鼻で笑い、手元の鎖をジャラリと鳴らした。

 すると、赤竜の体がビクリと跳ね、苦悶の声を上げて地面に頭を擦り付けた。


「これは『支配の楔』だ。これがあるからこそ、知能の低い魔獣を完璧に制御できる。外したら暴れるだけだろ?」

「知能が低い……?」

「ああ。竜なんてのは強大なだけのトカゲだ。人間様が管理し、正しく使ってやらなきゃ価値がない。」


 価値がない。

 彼は明確にそう言った。

 ヴェルドアが、私におねだりしたり、拗ねたり、笑ったりするあの豊かな心を、「価値がない」と切り捨てたのだ。


 プツン、と私の中で何かが切れた。

 ベアトリス夫人に叩き込まれた礼儀作法も、相手が皇子だという身分差も、一瞬で吹き飛んだ。


「訂正してください」


 私は震える声で言った。


「竜は道具じゃありません。心も、言葉もあります。あなたが耳を塞いでいるだけです!」

「……ほう?」


 レオン皇子の目が、面白がるように細められた。


「威勢がいいな。だが、証拠はあるのか? 俺のアカは、一度だって口を利いたことなんかないぜ?」


 アカ。

 それがこの赤竜の名前らしい。

 私は赤竜を見つめた。

 その瞳は虚ろで、光を失っているように見える。

 けれど、ヴェルドアが「泣いている」と言ったのなら、きっと心はあるはずだ。


「私が聞きます。証明してみせます」

「エルマ」


 グレイド様が心配そうに私の名を呼んだ。

 私は彼を見上げ、頷いてみせた。

 大丈夫です。あなたの妻として、そしてヴェルドアの相棒として、引くわけにはいきませんから。


 ***


 公爵邸の大広間では、急遽、歓迎の宴が催されることになった。

 歓迎とは名ばかりの、ピリピリとした緊張感に包まれた会食だ。


 上座にはグレイド様と私。

 向かい側にはレオン皇子が、ふんぞり返るように座っている。

 ベアトリス夫人は別室で待機しているが、いつでも飛び出せるように扇子を構えている気配がした。


 レオン皇子はワイングラスを揺らしながら、不躾な視線を私に固定していた。


「で? さっきの続きだが。あんた、本当に竜の声が聞こえるのか?」

「はい。通訳もできます」

「へぇ。じゃあ、俺のアカが何を考えてるか、今ここで当ててみろよ」


 彼は窓の外を指差した。

 庭にはヴェルドアと赤竜が並んでいる。

 ヴェルドアが心配そうに赤竜の顔を覗き込み、赤竜はただじっと動かずにいる。


 私は目を閉じ、意識を集中させた。

 耳を澄ます。

 ヴェルドアの声は大きくはっきり聞こえる。

 けれど、赤竜の声は……微かだ。

 ノイズのような雑音の奥に、小さな、震える思考の欠片がある。


『……いたい……くるしい……』

『ご主人様……褒めて……』


 それは、悲痛なほどの忠誠心だった。

 痛めつけられてもなお、主人の役に立ちたいと願う、純粋な心。


 私は目を開け、静かに告げた。


「……痛い、と言っています」

「は?」

「首輪が痛いと。それから……『ご主人様に褒めてほしい』と。そう思っています」


 レオン皇子の動きが止まった。

 彼は驚いたように窓の外を見たが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。


「馬鹿馬鹿しい。そんな殊勝なことを考えるわけがない。あいつは俺が鞭を入れなきゃ飛ばない駄犬だぞ?」

「信じないのなら、試してみればいいでしょう。一度でいいから、鞭ではなく、言葉をかけてあげてください」

「断る。支配こそが絶対だ。甘やかしてつけあがらせる趣味はない」


 話が通じない。

 この人は、竜を対等な存在として認める気が端から無いのだ。


 悔しさで唇を噛んだ私に、レオン皇子が身を乗り出してきた。


「だが、あんたのその能力……本物なら惜しいな」

「えっ?」

「こんな田舎の公爵夫人にしておくにはもったいない。どうだ? 俺の国に来ないか?」


 彼はテーブル越しに手を伸ばし、私の手首を掴んだ。

 熱い、強引な手だった。


「帝国なら、あんたの力を最大限に活かせる。竜の通訳? いいや、もっと効率的な使い道があるはずだ。軍事転用すれば、世界を獲れる」

「は、離してください!」

「俺の妃になれば、富も名誉も思いのままだ。冷血漢の公爵なんかより、俺の方が楽しませてやれるぜ?」


 顔が近い。

 肉食獣のような瞳が、私を完全に獲物として捉えている。


 その瞬間。


 ガァンッ!!


 金属音が響き、レオン皇子の目の前に銀色の刃が突き立てられた。

 グレイド様が、テーブルにナイフを突き刺したのだ。

 私の手首を掴むレオン皇子の指先、数ミリのところに。


「……その汚い手を離せ」


 地獄の底から響くような声だった。

 グレイド様の周囲の空気が、凍りついたように冷たく張り詰めている。

 青い瞳には、理性を焼き尽くすほどの嫉妬と殺意が渦巻いていた。


「俺の妻だ。これ以上触れるなら、外交特権など知ったことか。その腕ごと切り落とす」


 本気だ。

 この人は、今ここで皇子を殺しかねない。


 レオン皇子は口笛を吹き、パッと手を離した。


「おお、怖い怖い。冗談だよ、ちょっと挨拶しただけだろ」

「挨拶なら口でしろ。手足を使う必要はない」


 グレイド様は私を引き寄せ、背中に隠すようにして立った。

 その腕が微かに震えているのがわかる。

 怒りだけじゃない。

 私を奪われるかもしれないという、焦燥感のようなものが伝わってきた。


 レオン皇子は立ち上がり、服の埃を払う仕草をした。


「まあいい。今日のところは引き上げよう。だがな、公爵」


 彼は去り際に振り返り、獰猛な笑みを私に向けた。


「俺は諦めが悪いんだ。その女、正式に譲ってくれないか?」

「なっ……!?」

「条件はそっちで決めていい。金か? 領土か? 帝国の技術供与でもいいぞ。国益を考えれば、悪い話じゃないはずだ」


 人身売買のような提案を、平然と言ってのける。

 グレイド様が剣を抜こうとするのを、私は必死で背中から抱きついて止めた。


「帰れ!!」


 グレイド様の咆哮が屋敷を揺らした。

 レオン皇子は高笑いを残し、大広間を出て行った。


 残された私たちは、しばらく動けなかった。

 静寂の中で、グレイド様の荒い息遣いだけが聞こえる。


「……エルマ」


 彼が振り返り、私を強く抱きしめた。

 痛いほどに。


「渡さない。誰にも、絶対に」


 その言葉は、愛の告白というよりは、何かに怯えるような響きを含んでいた。

 彼の不安が、過剰な束縛へと変わっていく予兆を、私はまだ知らずにいた。


 窓の外では、ヴェルドアが悲しげに空を見上げている。

 連れ去られていく赤い竜の背中が、小さくなっていくのを、ただ見つめていた。


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