14.覚醒
そんな誕生日会をした数日後のことだ。
母が体調不良となった。
母は「多分、貧血だと思うわ。大丈夫よ」と言っていた。
だが、大事を取って、父が母を病院へ連れていくことになった。
そんな事情もあり、急遽、界と巡は鏡美に預けられることになった。
「ほーれ、巡、おもちゃだぞー」
「だぁ」
道場で界は巡をあやす。
巡はもうはいはいができるようになっていたので、界のことを一生懸命追いかけてくる。
「界様は、赤ちゃんをあやすのが上手でございますね」
そんな界の様子を見て、鏡美はそんなことを言う。
「そ、そうですかね……」
「えぇ……とても……」
(…………なんか今日、少し……)
その日の鏡美は、なんとなく物憂げな雰囲気に見えた。
その理由はすぐにわかった。
「……!?」
ガラッという音がして道場の扉が開かれる。
(え……?)
そこには父や母でもない人物がいた。
男だった。
年齢は父と同じ30代くらい。
服装も父と似ていて和装である。
そこから破魔師であることが予想できた。
しかし表情は父とは全く異なり、眉間にしわをよせ、恐ろしい形相をしていた。
その男が言う。
「これまでよくやった、鏡美……」
「……はい、赤池様」
(……鏡美先生……? どういう……)
「これが例の悪憑の子だな……」
赤池と呼ばれた男は、界を睨みつける。
(赤池……? どこかで……。……っ!)
界はふと生まれた日のことを思い出す。
界はその日、降霊の儀で、鬼神ドウマをその身に卸された。
悪霊降霊の儀は、通常であれば、生まれたその瞬間に周囲にいる人間を呪い殺す。
しかし、界が生まれた時は、母親を含め誰一人、犠牲とならなかったのだ。
それが最強の悪霊と呼ばれる鬼神ドウマであったにも関わらずだ。
そのことを異例中の異例と称し、不吉、処分すべきと主張したのが、この男……赤池であった。
七代名家の一つ。赤池家の当主である。
(その赤池がここにいる。どうやら鏡美先生が一枚噛んでるみたいだな……)
鏡美はプロフェッショナルであった。
鏡美のここでの本当の仕事は家庭教師に扮し、〝異例の依代の子の調査と依頼主への近況の報告〟をすることであった。
鏡美は赤池に対し、界に関して一つの〝結論〟を報告した。
それは、〝界は鬼神ドウマに精神を全く乗っ取られていない〟ということである。
理由は主に二つ。
一つ目が〝妖術が使えなかったこと〟である。
界は妖術の訓練をする際、最初から妖術を使えることはほとんどなかった。
これは悪霊に乗っ取られている依代の子には起こりえない特性であった。
通常、依代の子は悪霊に乗っ取られているため、最初から妖術を使うことができるのだ。
しかし、界はそれができなかった。それも最強の悪霊〝鬼神ドウマ〟をその身に宿しているにも関わらずだ。
二つ目が〝ドウマとの会話〟である。
界はしばしば独り言をつぶやいた。
問題はその内容だ。
時にはドウマと呼びかけたり、時にはツッコミらしきことをするようなこともあった。
以上、二点から、鏡美は〝界は鬼神ドウマに精神を全く乗っ取られていない〟と結論付け、赤池へと報告したのであった。
その赤池は相変わらず界を睨みつけ、そして語り掛ける。
「鏡美から聞いている。どういう理屈かはわからないが、君はドウマ様……いや、ドウマの支配を受けていないようだね」
「……どういうことぉ?」
界はとりあえずとぼけてみる。
と……、
「処さねばならぬ……」
「え……?」
【下がれ! 小僧……!】
(っ……!)
ドウマが叫ばなかったら危なかったかもしれない。
先ほどまで界がいた場所は炎に包まれていた。
「…………しくじったか」
赤池は舌打ちをする。
「鏡美……やれ」
「…………はい」
鏡美は静かに返事をすると界の前に立つ。
そして……、
「炎術〝火柱〟」
界に向かって炎の妖術を放つ。
(くっ……鏡美先生、嘘だろ……? この一年間は全部、この日のための演技だったってことかよ)
界はかろうじて炎を回避する。
(……巡だけは巻き添えにしないようにしないと)
界はそう思い、巡から距離を取ろうとする。
その瞬間、
「炎術〝炎渦〟ぁ」
(なっ……!)
赤池が巡に向けて妖術を放つ。
界は慌てて、引き返す。
「ぐぁっ!」
(痛え……)
巡をかばい、炎を背中に受け、界は膝をつく。
「無駄なあがきはやめてさっさと諦めたまえ……」
赤池は界を見下ろし、冷酷に言い放つ。
(こいつ…………本気で子供を殺す気だ……)
赤池の明確な殺意に気づいた時、界は身体が震えるのを感じる。
(……怖い)
身体に刻まれた前世における死の理不尽さがフラッシュバックする。
そして、灼熱の苦しみというすぐ先の未来に接し、呼吸が荒くなる。
赤池は無慈悲にも口が開く。
「終わりだ……炎術〝炎渦〟」
その瞬間、界は、心臓が握りつぶされるような感覚がした。
(…………)
「…………あ、あれ……?」
しかし、界は想像したような痛みや灼熱の苦しみは起きていなかった。
「…………どういうつもりだ?」
「……あ」
界が顔を上げると、赤池との間に、巫女服の背中が見えた。
「鏡美よ……それは依頼主である私への反逆と受け取っていいのか?」
「赤池様、ご依頼いただいた最悪の事態を回避するために界様の状況を確認し、報告するという仕事は確かに完遂しました。赤池様の目的が界様の状況確認という申告の範囲を大きく逸脱していらっしゃるようなので、ここからは仕事ではなくプライベートとさせていただきます」
(……鏡美先生)
「そうか、ならば新たに依頼しよう。そいつを殺せ」
赤池は鏡美に冷たく命令する。
だが、
「…………恐れ入りますが、お受けできかねます」
鏡美はそれを拒否する。
「あん……? 貴様はどんな仕事でも引き受けるのがポリシーではなかったか?」
「どんなに理不尽な仕事でも受けるが私のポリシーです。難易度を問わないだけであって、目的を問わないわけではございません」
「はぁ……そうかい」
「それに……赤池様もご存じでしょう?」
「……なんだ?」
「この五年間、一度たりとも災厄らしい災厄が発生していません」
「……」
「界様は……危険分子の異端などではございません。むしろ前例のない救世主でございます……!」
「……はぁ」
赤池は気だるそうに聞いている。
「それと赤池様、一点、サービスでご報告がございます」
「……ん?」
「界様は依代の子であられる前に……少々、大人気取りで生意気ではございますが……ごく普通の謙虚で優しい男の子でございます」
(っ……!)
「あぁ、そうか……。本当に全くいらないサービスだった。ならば、貴様もまとめて処分するまでだ」
そう言うと、赤池は手を前にかざす。
「くらうがいい……! 炎術〝大炎渦〟!!」
巨大な炎が襲い来る。
「……くっ、水術〝水壁〟」
鏡美は水の壁でそれを防ごうとする。
だが……、
「なんだ、その薄い壁は……?」
「っ……」
炎の脇から赤池が鏡美に急接近していた。
そして……、
「きゃぁあああ!」
強烈な鉄拳が鏡美の顔面に炸裂する。
鏡美はその一撃で数メートル後方に吹き飛ばされる。
「鏡美よぉ……別に反逆するのは構わないが、その相手が誰だかよく考えた上での判断か?」
「くっ……」
鏡美は唇を噛みしめる。
「赤池家当主にして、クラス4〝能級〟破魔師のこの私に立てつくということの意味がわからないほど愚かではなかろう?」
赤池の言うように、破魔師には階級があった。
=================================================
【破魔師階級】
1~9のクラスがある。
一般的な破魔師はクラス1。
優秀な破魔師はクラス2。
特に優秀な破魔師はクラス3となる。
クラス4以上は極めて強力な破魔師として認定され、固有級が付与される。
クラス1
クラス2
クラス3
クラス4 能級
クラス5 力級
クラス6 主級
クラス7 座級
クラス8 智級
クラス9 熾級
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「鏡美、貴様の階級はせいぜいクラス2だろ? よくもまぁ、その階級で私にたてつこうと思ったものだ? 深く後悔することだ……。 炎術〝業火〟」
強い炎の柱が鏡美に迫りくる。
「くっ……水術〝水連弾〟」
鏡美は水の妖術でそれに抵抗する。
しかし……、
「きゃあああ」
赤池の放った業火は鏡美の水の妖術を掻き消しながら突き進み、鏡美の身体にまで到達する。
鏡美は炎を身体に受け、膝をつく。
「あぁ……あぁ……涙ぐましいなぁ……水は火に強いもんなぁ……しかし、それは同じくらいの力であったらの話……」
その間に赤池は余裕を見せつけるかのようにゆっくりと歩いて鏡美に近付いてくる。
「あまりに大きな力量差の前には、相性など意味をなさない……」
そして、
「炎術〝炎蝋牢〟」
「きゃっ!」
蝋燭のようなもので、鏡美の両手首を拘束し、吊るすように無理矢理立ち上がらせると、
「おらぉ!」
「きゃああ゛あ」
赤池は動くことができない鏡美を激しく殴打する。
「おらぁ! おらぁ……! 鏡美ぃ……まるでサンドバッグだなぁ……。貴様、依代の子にサンドバッグにされるのが好きだったよなぁ? どうだ? 嬉しいか? ん? 気持ちいいか?」
「やめろ……」
「……あ゛?」
楽しく鏡美をサンドバッグにしていた赤池は手を止め、制止を口にした人物に視線を送る。
それは依代の子、界であった。
「あぁ、もうすぐお前もこうしてやるから、いい子で待ってろ……。ん? それとも自分が先の方がいいってことかな?」
赤池は優しげに微笑みながら界に問いかける。
「っ……」
その赤池の邪悪な姿に界は唇を噛み締める。
「あぁ、ちなみに君の検査結果は聞いているよ」
「え……?」
「魔力量の測定結果だよ……。測定不能だそうだね。つまり君には才能ないよ」
「っ……」
「そもそも悪憑の子ってのはね、七歳で悪霊が抜けた後はただの抜け殻。それまでの悪霊の支配がかえって邪魔になり、大成しないと言われている」
赤池は饒舌に語っている。
「さて、それじゃあ、君も鏡美と同じように拘束してからサンドバッグにしてやろう」
「なんでだ?」
「あん?」
「俺が依代の子の異端だから処分するんじゃなかったのか? だったら殺すだけでいいはずだろ? あんたのやり方はどう考えても常軌を逸してる」
「五歳児のくせに難しい言葉を知ってるんでちゅね……偉い偉い……」
「っ……」
「うん、まぁね、君が悪霊に乗っ取られていようがいまいが関係ないんだよね。それは建前というやつだ」
「え……?」
「真弓だ……」
「は……?」
真弓とは界の母の名であった。
「なぜだ? なぜ真弓は、依代の子を産んだくせに死なないんだ? ずるいではないか?」
(……どういうことだ?)
「それもこれも彰彦とかいう男が悪い……」
(彰彦……父の名だ)
「真弓が妊娠し、霊紋が現れたと聞いた時、私の心は洗われたのだ。当然の報いだ。この私から真弓を奪ったのだ。せっかくこの私が正妻に迎えてやろうと思っていたのに……。そんな穢された真弓が死ぬとわかった時、私の心は報われたのだ。それなのに……」
赤池はほろりと涙を流す。
「私から真弓を奪っておいて! 依代の子を産み落としても真弓を失わない。彰彦はずるい! 真弓も子供も才能も何も失わずに何もかも手に入れた彰彦が疎ましい! ずるい……ずるいずるいずるいずるいずるいずるい!」
(こいつ……要するに母さんに好意を抱いていたが、母さんは父ちゃんと結婚したから、変な恨み方してるのか!?)
「だからさぁ……奴の大切なもの……一つくらい奪っても許されるだろう?」
赤池の想像以上に幼稚で純粋な悪意に界は絶句する。
「さぁ、おしゃべりはおしまいだよ。炎術〝炎蝋牢〟」
赤池は鏡美に使用しているものと同じ拘束妖術を界に向かって放つ。
界はその瞬間、恐怖からか身体が硬直してしまう。
(くそ……怖くたっていい……! 動け俺……! 今、動かないでどうする……!)
界はなんとか弱い自分を奮い立たせる。
「……水術〝流水〟!」
地面に水を噴射する勢いを利用してをかろうじて攻撃を避ける。
「っ……! ふん……、ドウマの力を借りた妖術か……。ガキのくせに忌々しい……。だが、さっきまでびびり散らかしていたガキに何ができる?」
(くっ……どんなに鍛えてても五歳児の身体能力で大人に勝てるわけがねぇ……)
界は唇を噛みしめる。
その時であった。
【小僧……】
ドウマが語り掛けてくる。
【なぁ、小僧……死にたくなけりゃ儂様に全てを委ねろ】
(っ……! どういう……?)
【わからぬのか? 儂様にその身を委ねろと言うことだ。儂様ならあんな輩は一瞬で灰にしてくれようぞ】
ドウマの提案。それは生まれてからこれまで界がずっと拒んできた乗っ取りであった。
(…………)
最強最悪と呼ばれる悪霊ドウマ。
そのドウマに身を委ねるということは、世界に災厄をもたらす程の危険が伴う。
その反面、本当に力を借りることができるならば……。
「ありがとうな、ドウマ」
【別に小僧のためではな……】
「だけど、いいや」
【は……? いいや…………とは?】
「だから不要です」
【な、なんだと!?】
容認されると思っていたドウマは驚く。
【小僧、このままじゃ下手したら死ぬぞ!? 儂様に乗っ取られると勘ぐっているのか?】
「……それもあるけど」
【なっ!?】
(それもある。だけど……それだけじゃない)
界は思う。
最強の悪霊ドウマ。
その強力な力を借りることに惹かれないと言ったら嘘になる。
だけど……ドウマは七つの誕生日でいなくなる。
だとしたら、ここでドウマに頼ってるようじゃダメだ。
ドウマに頼らずに自分自身が恐怖に立ち向かうこと。
それができないなら、俺はきっと、父ちゃんも母さんも……誰も守れない……。
なぜだか分からないけど、そんな気がするんだ。
「だから、ドウマの力は借りねえ……」
「何をひとりでぶつぶつと言っているのだ、気持ち悪い……」
赤池は嫌悪の視線を界に向ける。
界は余裕がなかったのかドウマとの会話を全て口に出してしまっていた。
「ゆっくりといたぶろうかと思っていたが、もういい……さっさと焼き尽くされろ……! 炎術〝大業火〟ぁ!」
(っ……!)
赤池が巨大な炎を放ち、界達はたちまちに灼熱の炎に包まれる。
「ははは……ざまぁみろ…………彰彦ぉ……これで平等というものだ」
赤池は顔を抑えるようにして微笑む。
だが、
「そんな平等あってたまるか……」
「っ!?」
炎の中から声がした。
「なっ……!? どういう!?」
炎が徐々に弱まっていくと、その中にいたはずの三人は全員、無傷であった。
全員が全くの無傷である。
「……か、壁……だと?」
光の壁のようなものが炎の進行を阻害していた。
「な、なんだ、この光の壁は……このような術は見たことが……」
「えーと……〝壁〟(仮)……です」
「っっっ!? 壁……? ま、まさかこれは……は、はく……魄術……!?」
赤池の表情が凍り付く。




