一、ゲロと出会い
「おええええええええええ」
紅葉で色づく木々のさざめきを1人の呻き声が遮った。冷たい腐葉土に生ぬるい吐瀉物が落ちる。
(体が重くて、すごく気持ちがわるい…さっきのマズイ肉が原因か…?)
村の外れにある神聖な山に躊躇なく吐瀉物を打ちつけた青年、シュウジは今日めでたく18歳、すなわち成人となり、村から追い出されたのである。
彼は物心ついた時から両親がおらず、村長の家で育った。
しかし、前村長のタイゾウが老衰で亡くなってからは奴隷同然の環境で生きていた。寝床は物置小屋の藁だし、風呂は入れてもらえないのでいつも凍えながら川で身体を清めていたし、一日に与えられる食事は夜に1回、その日の残り物を与えられただけだ。暑い夏の日には腐っている時もあった。当然、成長期の少年にそれで十分なわけがなかった。彼は夜中、よく村を抜け出し、近づいてはいけないと幼児の頃から教え込まれる神域とされる山に入り、狩りをしていた。
というのも、現村長の息子、カイゾウが妖術を習う様子をこっそり見ていたので、クマやイノシシと直接対峙することなく倒すことができたのだ。もちろん、最初のうちは気づかぬうちに彼らに近づかれ、襲われることもあったが妖術で戦い、どうにか生き延びてきた。が、ようやく敵ばかりの村を正式に抜け出すことができたのに、イノシシのような何かを見つけ、炎の妖術で踊焼きしたのだが、食べてみたら今こうして死にかけている。
(俺、村で虐げられる人間としてはかなり上手く生きていると思っていたんだけど、それもここで終わりか…悔しいなあ…)
なんて思いながら、視界を歪ませていると、くぐもった声が聞こえてきた。
「…ーい、おーい、聞こえているか?」
必死に声のする方を向くと、歪んだ視界の中に青色の塊が現れる。
(バケモノ…?)
「お前、この物怪を食ったのか。馬鹿だな。物怪は妖力が集中しているから食うと危ないと学校で習わなかったのか?」
青色の塊が何かの棒をかざすと、体が軽くなっていく。どうにか立ち上がれるようになり、改めて青色の塊を見ると、金髪碧眼の面のいい青年が全身青色の服で身を包んでいるだけであった。そして、何やら怖い顔をしている。
「お前、何者だ?」
「俺はシュウジ、だ…そこの村から今日、出てきた」
「お前、スパイだな?そこの村にいるシュウジと言う人物は既に死んでいると戸籍に登録されている。そして、物怪を倒し、食っても死なずに済むような妖力量の人間がいると言う報告もない。」
彼の顔がより険しくなる。ああ、やっぱり俺は村の人間として扱われていなかったんだな、とシュウジは実感した。別に期待していたわけでもないのだが、やはり、改まってそう言われると傷ついてしまうのである。鼻の奥がツンとする。もう成人したのに、泣くわけにはいかない、と堪える。
「っはは、なーんてな。少し試しただけだ。おそらく村でいじめられていた、とかだろう?よくあるんだよ。特に、隔世遺伝で妖術師が産まれてくると不吉だ、呪いだと周りが騒ぐんだ。」
シュウジはさっきまであれほど敵意に溢れていた人間が急に笑い、友好的な態度を示すので、わけがわからなくなってしまった。そんな彼を気にする様子も見せず、全身青色青年は物怪の骸を弄りながら話を続ける。
「一度は戸籍に登録されているあたりから推測するに、両親か誰か、守ってくれていた人が亡くなってしまったんだろう。これほどの物怪を倒せるんだ。素晴らしい提案をしよう。お前も妖術師にならないか?君はきっといい妖術師になれる。僕の知り合いに紹介しよう。」
「その…妖術師ってのは儲かるのか?」
「ああ、ガッポガポだ。」
「じゃあ、なる!紹介してくれ…とびっきりすごいやつに!」
「それは君次第だな。」
全身青色少年は爽やかに微笑む。今まで何度か村で優しくしてくれた人はいたが、みんな村長に怯えて見て見ぬ振りをするようになった。…こんなに頼もしい優しさは、シュウジにとって生まれて初めてだった。
山から降りて歩きながら、全身青色少年と話をした。年は俺より2個上で、名前はハルキと言うらしい。アオイとかじゃないのか、と言うと何故か急に顔を赤くしてそれは別の人の名前だ、俺じゃないとかぶつぶつ呟き出して、案外面倒くさい人間なのかもしれない、と思った。
「ついたぞ。ここがこの地域の役所だ。」
ハルキが指を指した場所には今まで見たどんな建物よりも大きいものが立っていた。
「な、なんだこの建物!村長の家よりずっと大きいぞ!」
ハルキは少し驚いた様子をして、爽やかに微笑む。
「まあね。ここら辺の村長たちの長の家、だと思っていいよ。」
「な、なるほど…」
中に入ると、恐ろしい針で血を抜かれたり、服を脱がされたり、よくわからないものの上に乗ったり、よくわからないものの上を走らされたり、よくわからないものを握らされたり、とにかくよくわからなかった。全部終わったようで、またしてもよくわからない部屋で縮こまって待っていると、ハルキが息を切らしてやってきた。
「お前!先天属性が二つあるのか!?」
「先天属性ってなんだ?」
「最初に使えた妖術はなんだ?!」
「炎だけど…?」
「か、風は!?」
「風?使ったことない……あ…あれってもしかして風だったのか?」
初めてカイゾウの真似をした時、周りが少し風で揺れたのだ。その時は失敗したと思っていたのだが、どうやらあれが風属性の妖術、風術らしい。
「これはすごいことになったぞ…!まずはあいつに連絡して、それから…」
シュウジはよくわからないが、おそらく自分には先天属性、つまり最初から使える妖術の属性が二つあって、それが普通じゃないということだろう、と推測した。これからは山でその日暮らしをするのではないのだから、ちゃんと世界のことを学んでいこうと、気を引き締めた。
その後、戻ってきたハルキから親族のことを聞かれたが、何も知らないので、この日はそれで終わった。宿に行くと、ふかふかのベッドがあった。生まれて初めてのベッドはなんだか懐かしい感じがした。
翌日、ハルキは飛行術を教える、と言った。風術の一つらしく、これを使えるようにならないととびっきりすごい人には紹介できないらしい。
「…うわあっ!」
「っはは、誰でも最初はそんなものだよ。もっと勢いをつけなきゃ飛べないよ。」
ハルキが使っている時は簡単そうに見えたが、実際にやってみるとかなり難しい。勢いをつけるのがかなり怖いのだ。
初心者は助走をつけて、風術で身体を浮かせる。この風術を使い始めるタイミングや強さが難しいのだ。早すぎたり強すぎたりすると、飛ぶ前に転んでしまう。かと言って弱すぎたり遅すぎたりしても飛べない。さらに、飛ぶことができてもそれを持続させるのが尚更難しいのである。体幹のあたりが攣りそうだ。
「うーーん、これができないと、とびっきりすごい人に紹介できないどころか、妖術師にもなれないなあ」
ハルキはいかにも困った、という顔でこっちを見る。
「今日でこの宿から役所まで飛んで見せるぞ、オレは!!」
シュウジは息を切らしながら言い切った。ハルキに失望されてしまいそうな、この小さくて大きな機会が手のひらから溢れてしまいそうな、そんな気がして、言わずにはいられなかった。
「うん。その意気で頑張ってくれ。」
(本当は飛行術より先に教える風術はたくさんあるけど…、これくらいできなきゃあの方には紹介できないよね)
ハルキは爽やかに微笑みつつ、少し不安になる。シュウジはおそらく史上初の先天属性が2つある人間だ。先天属性の妖術は他の属性の妖術より威力や成長スピードが高い傾向がある。これを彼自身でモノにできなければ、他国や闇組織に捕らえられ、洗脳や薬漬けにされ、兵器として扱われる可能性だってある。特に、換魂術を信仰する団体、継魂会が実験体として欲しがる可能性が高い。換魂術なんかあるわけないが、あいつらは変わった性質を持つ妖術師を見つけるとすぐ実験体にしたがり誘拐するので、犯罪者集団と認定されている。
「そうだ、僕はあの山でまだやることがあったんだ。シュウジはここで練習してて。暗くなる前には帰ってくるから。」
ハルキは役所で待機していた自分の部下を1人呼び、こっそりシュウジの護衛につかせた。
上司のハルキから妖術師の卵の護衛を命じられたケントは、護衛対象を一時間ほどじっくり観察させてもらった。その結果、二つ見えてきた事がある。まず一つ、彼の妖力の使い方には品がない。きっと、如何に妖力を抑えて妖術を使うか、如何に無駄なく放った妖力を妖術に還元させるか、そういった視点が欠けているのだ。妖力を放つ量がまるで嵐とともに荒ぶる海面のうねりのように乱れている。全く持ってエレガントでない。空き地で音痴野郎のリサイタルを聴いている気分だ。鳥肌が立つ。
そして、二つ目。彼にはリズム感がない。リズム感というのは一見、妖術には無関係のように思われるが全くそんなことはない。妖術を発動させるタイミング、これで生死を分けることは戦場では多々あるのだ。あと一瞬早く発動していれば、と何度悔いたことか。天性のリズム感を持つ僕でさえ、こうなのだ。彼が今日中に役所まで飛ぶどころか、安定して空中に浮遊ことすら想像できない。
「そこのおっさん、さっきから俺を見て、何してるんだ?」
ケントは驚愕した。彼は今年で18、つまりこの護衛対象と同い年なのだ。それなのに、『おっさん』…?
「おっさん…。僕の名前はケントだ。しかし、君のとっておっさんとは美青年を表すのかな。きっとそうだろう。でもね、僕にとってのおっさんとは、僕以外の男を指すんだ。つまり…」
「つまり…?」
「君こそがおっさんだ。シュウジくん。」




