第一章:悪役令嬢の運命
帝国暦三七二年、春。
ヴィルヘルム帝国の首都は、桜の花が満開に咲き誇っていた。
その美しさに人々は歓声を上げ、宮廷の舞踏会も今宵は特別な一夜となる。
「お嬢様、お化粧を整えてください。皇帝陛下もご臨席なさいます」
「うるさいわね。もう、毎晩毎晩、同じような儀礼ばかり……」
鏡の前に座る少女──ジュリエナ・ルミ・バルクロアは、黒いリボンで結んだ黒髪をふわっと揺らし、眉をひそめた。
彼女の瞳は、深い青。
まるで夜の湖のように、どこか妖しく、どこか悲しげだ。
貴族の令嬢。
皇帝の甥にあたる名家の娘。
しかし、彼女の立場は決して安泰ではない。
なぜなら──彼女は、悪役令嬢だから。
「また、あの平民の娘が来るのね」
ジュリエナは、鏡越しに自分の唇を歪めた。
今夜の舞踏会には、皇帝の寵愛を一身に受ける平民出身のルチア・マルケッティが招かれている。
彼女は清らかで、優しく、誰からも好かれる──まさに、物語のヒロイン。
そして、ジュリエナは、そのヒロインを陥れ、王太子を奪い、最後には処刑される──そんな運命の悪役。
「……馬鹿らしい」
ジュリエナは立ち上がり、黒いドレスの裾を翻す。
「私は、誰かの物語の駒じゃない。ましてや、死ぬために生まれたわけじゃない」
彼女の胸には、一つの記憶があった。
三日前の夜、夢の中で見た月の獣──銀の角を持ち、瞳が七色に光る、鹿のような存在。
その獣は、彼女の名を呼び、こう囁いた。
『お前は、選ばれた花嫁。月の契約を結び、運命を断ち切れ』
──異類婚姻譚。
それは、人間と非人間の結びつきを描く、古の禁忌の物語。
だが、ジュリエナは知らなかった。
その夢が、現実の始まりだったとは。