表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

2.アーリン・フーシレア(後編)

 明るい光が私を包み込む。


 明るい光。あまりの眩しさに、思わず眉をひそめる。

 起きかけでうまく開かない眼の上に腕を乗せる。


 夢を見た。

 ただ、良い記憶ではなかったことは確か。

 気持ちのわるい冷や汗と、いやに高鳴る鼓動がそれを物語っている。


 体がだるい。脱力感。


「アーリン様。お目覚めのようですね」


 腕をゆっくりとどけ、目を開ける。

 布団をどけ、体を起こし、声のした方向に焦点を合わせる。

 少しぼやける。ぐっと目を凝らすと、だんだんと視点が定まっていく。


 ああ。

 理解する。すべて。


「……」


 ここは、フーシレア一族が代々住処としてきた邸宅──フーシレア邸の一室。

 普段は使われていないいわゆる客室のようなもので、物はテーブルやタンスやベッドと最低限のため少々殺風景である。

 空部屋特有の埃臭さを感じないことから、使用人の日頃の仕事ぶりがうかがえる。


 窓からはそよと優しげな風が吹き抜け、彼の髪を擽る。


 彼──アスク・フーシレアは、私の従弟である。歳は一つ下の一六歳。

 未だ子供らしいところもうかがえるが、彼は秀才である。人格者であるし、読み書き算術も人一倍得意としている。

 しかし、彼の真髄はそこではない。


 私にはない。

 得難く、得ていねばならなかった、その才を持つ。


 目をそらしたくなる。だから目を細める。

 風は私の頬にそっと触れ、呼応するように涙が一筋こぼれる。


 アスクは、ただ困ったような悲しいような顔を浮かべて私を見つめる。

 その柑橘色の、宝石ような瞳孔を見ると、吸い込まれそうになる。

 魔性である。


 しばらく見つめあう。

 ふいに、アスクが口を開きかける。しかし直ぐにその口を閉ざし、目線を逸らす。

 宝石が一瞬揺れる。

 そうしてゆっくりと俯くと、眉を強く顰める。


 しばらく静寂の時が流れる。


 時が経つごとに、私の心臓は痛いくらいに波打ち、息はつまり。

 ついに、私の方から強張る口を無理に開く。


「アスク」


 アスクの耳が少し動く。


「……はい」


 声が震えている。私の声も。


「……その、ありがとう。もう大丈夫だから。一人にさせてほしい」


 なけなしの作り笑いを添える。

 でも、必死に一声を発したところで、このやるせなさ、もやもや、どろどろ、くやしさ、ぐちゃぐちゃがどうにかなるはずなどなかった。


 むしろ、私の中の何かが。大事な、大きな何かがまろび出そうになる。

 慌てて胸に手を当て、締め付ける。


「そう、ですか。そうですよね。……では。少し席を外させていただきますね」


 そう言うと、アスクは席を立つ。


「うん、ありがとう」


 私は、最後にやっと一言を出す。


 アスクが背を向けたと同時に、体を丸め俯く。

 冷や汗が布団に数滴落ちる。


―*―*―*―


 アスクが部屋を出る音がする。


 かちゃと扉が閉じる音が、部屋中にこだまする。目を強く閉ざす。

 風の音が、聞こえる。


 と、少し強い風が吹きつけ、私の汗に濡れる衣服に触れる。

 ひやりと肌を冷やす。


 先ほどから、冷や汗が止まらない。

 首筋に雫が伝っては、肌を伝い、服を濡らすという一連の動作を繰り返している。


 私は、怖い。

 今のすべてが。恐い。


 なにを思ったのか、私はベッドから体を起こし、扉に向かって歩き始める。

 おぼつかぬ足取りで、一歩進むごとに頭がギンと鋭く痛む。


 部屋をでる。

 左に向かい、歩みを進める。

 汗が一滴、頬から落ちる。


 廊下を歩く。体を左右に揺らしながら。

 あそこも、あそこも。すべての場所に、兄との思い出が張り付いている。


 追憶しているのではない。追憶する間もなく、溢れ出てくるのだ。

 それでいて、離れない。

 隅まで見回しながら、ゆっくりと歩く。


 気づいたら、庭に出ていた。

 思い出すのは、別れの場面。

 あれが、今生の別れになろうとは。私は、再び目を閉ざす。


 俯く。

 再開を約束した兄は、嘘つきなのか。嘘つきなのだろうか。

 ……私を、だましたのか。


 いや、ちがう。私が…………。

 そう思ったあたりから、私のリミッターにはハッキリとひびが走った。


「もう……やだ」


 悪い想像しかできなくなっている。

 瞬く間に地面が見えなくなる。と思えば、大粒の涙がぼろぼろと零れる。

 顔を思いっきりゆがめる。ゆがめたら、戻らなくなる。


 天を仰ぐように空に目を向ける。

 今の私は、さぞかし酷い顔をしているのだろう。


「う……う゛、ぅ…………」


 地面に膝をつく。手をつく。下を向く。

 涙があふれだす。ぼたぼたと音が鳴る。


 兄の笑顔。兄の笑い声。兄の。アル兄さんの、顔が、声が、ありありと浮かぶ。

 私にはアル兄さんしかいなかった。なのに、彼はもういない。


 私が殺したのだ。


 瞬間、はっきりと聞こえた。


「あ」


 私が壊れる音が。


 父も、母も、アル兄さんもいた。みんながいたあの時の思い出が蘇る。

 もういないのに。私が壊したのに。

 都合が良いことこの上ないというのに。


 今ではもう昔の、ふつうの日々。

 その砕け散ったかけらを、今になって、取り戻したいと、強く願った。


「…………おいてかないで」


 でも、私は弱虫だから。

 あろうことか、一人であることを嘆いた。


 空はいつのまにか雲一つなくなっており。

 今日は、春にしてはまだ少し寒さの残る、肌寒い日だった。


 私は、気づいた時には、自らに呪いの言葉を吐いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ