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32.三週目の日暮れ(前編)

 トモリの邸宅にやってきてから3週間が経った。


 野花が蕾をつくる中庭。

 毎度いろいろの香りを広げる食堂。

 こじんまりとしつつも清潔感のある自室。……嘗て私が監禁されていた部屋である。


 この屋敷も、あの景色も、少しずつ見慣れてきた。

 異世界(このせかい)に慣れてきた、と言う方が正しいのかもしれない。


 まあ、人の適応能力とは不思議なものだ。

 初めはあんなに目新しかった西洋風の町並みも、野原に飛び交う蝶の柄も、そういうモノだと思えば案外腑に落ちてしまうもので。


 郷に入っては郷に従え、と言うくらいだし、私がこの世界にきちんと向き合っている証拠だろうか。


 少なくとも、少しずつ、されど着実に、である。

 慌ててはいけない。


 朝、食堂でご飯を食べる。

 食後はエリーと言霊の練習。

 昼食を挟み、午後はまた言霊の練習。

 夜はやっぱりエリーから現地語を学ぶ。


 近頃はすっかり、このサイクルの繰り返し。


 初めは非日常だったのに、今となっては案外量産型の日常である。


 それで、わかったことがある。

 言霊についてである。


 初めの1週間で、私には言霊の才能が無いことに気が付いた。どんなに力んで、どんなに顔を歪めて踏ん張っても、アスクや人攫いのときような力は起こらなかった。


 次の1週間で、私は言霊に向き合えていないのだと思った。言霊を行使することばかりに目が行き、言霊自体に向き合うことをしていなかったのだと考えたのだ。


 そして最後の1週間でようやく、私は言霊に囚われていたことに気付いた。


 こんなふうに、この3週間私は言霊のことばかり考えていた。

 何故使えないのか。使えない私は劣っているのか。

 そういう不安の気持ちに苛まれながら。


 あなたは、異世界に憧れるか。

 なぜあなたは、異世界に憧れるか。


 この世界の住人でもない私に、その『異能力』を使いこなすことが、一瞬でも、なぜできると思ったのだ。


─*─*─*─


「スズナが倒れたって?」


 斜陽。伸びる黒い影。

 燃えるような橙色がレア領 領主室に張り付く。

 それはさながら火災現場。延いては若干の寂しさと棘を思わせた。


 春といっても、日が暮れると未だ冬の寒気が肌を擽る。息を吸うと鼻の奥に消えた空気が触れる。


 トモリは、暮れ行く西日が肌を焼くのも気にも留めず、口をへの字に、眉をハの字に曲げる。


「それ、どうしてかってわかる?」


 堪らず問う。

 昨日までは異常などはまったく見られなかったはず。それがどうして。

 統一連邦に手を打たれたか。

 あるいはニジ教会が化けの皮を剝がしたか。


 ……もしかして。

 アーリンと同じではないだろうな。


 …………いや、まさかな。

 頬に一筋、嫌な汗が流れる。


「あなたは本当に日頃人の顔を見て話をしていますか」


 ため息交じりに言い捨てるのはトモリの秘書、リリーである。


「……いやそんな言い方はないだろう」


 この状況でこの発言。文句の一つでも吐きたくなる。

 しかしリリーはというと、トモリの意図を知ってか知らずか、済まし顔で続ける。


「私は彼女のことが得意ではありません。ですが」


 彼女の視線が鋭く私を貫く。


「彼女が今現実に打ちのめされていることくらい、嫌でもわかりますよ」


 きっぱりと言い放つ。


 彼女の背は緋色に染まり、頬には影が溜まる。そのあまりの圧力に、たまらず目を逸らしたくなる。

 その神妙な面持から推し量るに、複雑な感情が入り乱れているのをトモリは肌に感じ取る。


 しかし今はそれどころではない。


「……なぜだろう。なんでスズナは」


 私に言ってくれなかったのか。

 なんて、とても言えなかった。


 そうしてようやく、少々気が動転していることを自覚する。

 デスクに両肘をつけ、顔に両手を当てる。


 冷たい。


 ああ、大人げない。落ち着きが無い。まるで子供ではないか。

 と、頭では解っていても。心の方はどうしても落ち着かない。


 落ち着いてはいけない気がするのだ。


 根拠などない。直感的にそう思う。


「とにかく、私が診る。スズナは例の寝室にいるんだったよね」

「あなたは」


 ふいにリリーが声を上げる。


 それは声と呼ぶにはあまりに弱弱しく、いつものような覇気と勢いなどまるで感じなかった。

 それがとても意外だったから。

 トモリは弾かれたように振り返る。


 逆光で彼女の顔はよく見えなかった。

 でも、酷く悲しんでいるように見えた。

 それだけは解った。


「トモリ様は、なぜそこまでスズナ・カナタに気をかけるのですか」


 声は、少し震えている。揺れている。

 リリーの影は、ゆっくりと薄くなる。

 太陽は遠くの地平線の奥に姿を隠し始めている。


 トモリは、ふわりと笑うとこう応える。


「それが私にとっても、君にとっても最良だからね」


 ──また私は、脳内のテンプレートを吐いた。

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