30.リスタート(後編)
「あなたは神のためにその数奇なる運命と類稀なる知性を捧げることを誓いますか」
「はい。誓います」
少女は両手を胸の前に結び、ゆっくりと面前の立会人へ捧げる。
漆黒の袖先はあたたかな風にヒラと揺れる。
「……いい表情だ。力の限りやってみな」
立会人を務める女は小声でそう囁く。
女──教皇レヴィン=ララは、なにか思うところがあったのか、緊張と重責に強張る少女の顔を見ると、口の端を引き笑う。
レヴィンの目じりや頬にははっきりと皺が刻まれており、貫禄と威厳を感じさせる。
杖つきであるレヴィンは、右手に握り締めていたT字杖で地面を二度叩くと、こちらへ顔を向けた観衆をゆっくりと見渡しつつ、一際声を張り上げる。
「私の名において、ここに新たな『青の大司教』の誕生を宣言する。彼女は若く経験も少ない。だが、だからこそこの若く気力に溢れる眼差しは、ニジ教会に新たなる風を吹かせるだろう。ひとつ、私らも期待の眼差しを向けてみようじゃないか」
「教会と神の御為。必ずや『青の大司教』としての責務を全うします」
その瞬間、大聖堂に拍手が轟く。
男。女。年齢。派閥の別。あらゆる垣根を超え、この時ばかりは祝福の意を示す。
そういう教会の慣習である。
今から一年前のとある春の日。ニジ教会聖地シュケーオンに新たな風が吹く。
決して穏やかではない、されどたしかに春の風である。
純黒のマントに身を包む少女は、その瞳に強い決意を抱いていた。
─*─*─*─
ニジ教会聖地シュケーオン。その中心部にそびえる大聖堂。
洗練された純白の建造物が建ち並ぶ美しい都市として有名なシュケーオンであるが、その中心部にそびえるひときわ背の高い教会が大聖堂である。
その昔、いつかの君が降り立ったとされるこの地。今となってはニジ教会の総本山となっている。
「これでスタビリス卿の時代も終わるな」
「7代続いた『穏健の紳士』の歴史もここに途絶えるわけだ」
『青の大司教』就任式典の熱冷めやらぬ中、とあるふたりの老枢機卿は小声で会話している。
「穏健派の顔であるスタビリス卿が『青の大司教』から失脚された今、時代は益々ダリアへ傾くのだろうな」
「どうだろう、それは一概には言えないのかもしれない」
「……?」
すぐ隣に青髪の少女が通りかかるのを、彼らは目じりで追う。
少女はというと、大聖堂に集いし錚々たる顔ぶれへ挨拶にまわっている。
その若い背が負うには大きすぎる責任が、今彼女には降りかかっているのだ。
「シレンチウム家。穏健の新鋭ねぇ。たしか昨年、ノビリス卿の後釜として穏健派首長も継いでいたような」
「それは新大司教の母、ハナモモ・シレンチウム様だな。ほら、あそこにいらっしゃる」
見ると、確かに見覚えのある顔が新大司教の隣にいる。
輪郭や目の形に目を向けると、さすが親子、よく似ている。
「こう見ると益々疑問だな。穏健派は気をおかしくしたのだろうか。経験の浅いシレンチウム家に権力を集中させるなど、それこそ過激派ではあるまいし」
「らしくないことは否定しないが、これも意図的だろう。過激派と似たやり口でシレンチウム家を持ち上げた一連の流れ。これは言い換えると」
老枢機卿は再び大司教の姿を見つめる。
若すぎる。されど底の知れない女。
「穏健派が仕掛けた、過激派への最後の『果たし状』」
─*─*─*─
ニジ教会には三つの派閥が存在している。
聖術拡大反対派。聖術拡大推進派。そして、そのどちらにも属さない分裂否定派。
これらはそれぞれ穏健派、過激派、傍観派と呼称される。
ちなみに「聖術」とは、一言で申せば言霊の別称である。
「お初にお目にかかります、パックス様」
「あはは、ぜひルビアと呼んでください。シレンチウム卿」
「は、はい」
かくいう私──アネモネ・シレンチウムは、ひとしきり教会の重鎮への挨拶回りを終えたため、満を持して大司教様への挨拶に赴いているところである。
「大司教」といっても、その実各派閥の勢力均衡のために利用されている側面が強く、3枠ある大司教の席を1席ずつ各派閥が牛耳るという態勢がここ数十年の慣習となっている。
そして今私が相対するのは通称「緑の大司教」、ルビア・パックス。傍観派首長も兼任している。
「まったく、こんな時にクルデイル卿はどこに行ってしまったのでしょう」
「……『孤高』ダリア・クルデイル」
ダリア・クルデイル
「赤の大司教」その人であり、こちらもやはり過激派首長を兼任している。
「はは、そんなに固くなることはありませんよ。彼も人間です」
「はい……」
「その顔。やはり不安ですか」
「…………はい」
過激派と穏健派は数十年間もの間対立関係にある。それも、傍観派が生まれる程度には確執が深い。
そんな過激派のトップと挨拶をしなければならないのだ。不安にもなる。
「では挨拶などしなければ良いのでは」などと思わなくもないが、それではいけない。
派閥の別以前に、私たちは席を並べているわけだから。ニジ教会を代表する、大司教の席に。
「……まあそうですよね。心中お察しします」
あなたに私の気持ちがわかってたまるか。
つい口にしてしまいそうになるのを慌てて抑える。
「まあ、でもね。会ってみればわかりますよ」
私は数年間彼と職を共にしていますが、あなたが想像しているような人ではないかもしれません。
ルビアはそう言うと、笑いながら手を振りこの場を去っていった。
─*─*─*─
「ダリア大司教、いませんね……」
あれから大聖堂の中をくまなく探して回ったが、全然見つからない。
大司教なのだから、もう少し影が濃くたっていいじゃないか。
そう思ってたら、地面の煉瓦の隙間につまずいた。
「いて……」
手に持っていた荷物が宙を舞う。
あ。世界が回っている。
と、時間差でじわりと頭に鈍痛が走る。
……私は、そう。
いつもこうなのだ。
いつもこういうドジをしてはまわりの方や母様に迷惑をかけてきた。
けど。
だからといって、なんでも思い通りに行くのかといえば、それは話が別。
やってしまったら、それをどう利用するかが重要。
転んでもタダでは起きないということだ。
「おい、荷物はここに置いておくぞ」
「あ……ありがとうございます」
とはいうものの。
大司教就任から早くも1週間。私は一体なにをしているのだろう。
引き継ぎに業務確認。それと挨拶まわり。環境を整えるだけで7日間も費やしてしてしまっている。
そして気がつけば、こうしてつまずいている。
いったい、なにをしているんだ。私は。
ちょっと悲観的にもなってしまう。
「拾っていただいてありがとうございます。……では。神の加護のあらんことを」
でも、そう。こうしている暇ではない。
私は荷物を拾ってくれた親切な方に礼を言うと、足早にこの場を去ろうとする。
私が変えなければならないのだ。
私が。
「お前」
「──え?」
思わず振り向く。
「お前。『青の大司教』か」
「…………孤高」
荷物を拾ってくれた、赤髪の長身男。
彼は──『赤の大司教』だった。
「ふん。その二つ名はあまり好かん」
「すみません、まさか貴方がクルデイル卿とは思わず、驚いた拍子につい二つ名で」
「いや、いい。気にしていない。……お前は」
「あ、申し遅れました。アネモネ・シレンチウムと言います」
慌てて自己紹介をする。
「知っている」
知っていたらしい。
また早とちってしまった。
「……そう警戒するな。さすがに傷つく」
「あ……はい」
そう言うと彼はスッと目を逸らし、瞬く間にこの場をあとにしてしまった。
「思っていた人物像と違う……?」
過激派首長と聞き警戒していたが、思いのほか物腰は柔らかいのかもしれない。
そう思いつつ、私も荷物を持ち直し、また足を踏みしめた。
─*─*─*─
それから丸一年後。
彼方すずなが転生したのは丁度その頃だ。