26.もう二度と解けない呪い(前編)
『すずな!久しぶり~!!』
スマホのディスプレイが光る。
『書籍化おめでとう!近頃のすずなの活躍、私も楽しんで拝見させていただいています!
今となってはすずな先生か、すごいなぁ。高校ではお互い書きまくったものだけど、気づいたらもう見えないくらい遠くに行っちゃったみたい……』
長い長いメッセージ。
ただ無心に眺める。
『……抱え込んじゃだめよ、すずな。きっとすずなは溜めちゃうか』
文の途中でディスプレイを閉じる。
「…………」
心のうちに溜まる黒くて粘着質の塊。
なんとか抑え込もうと胸をさする。
枕もとの棚にスマホを置こうと手を伸ばす。
が手から抜け落ち、ボトムと音を立てる。
その音に少し目が覚めると、天井に腕を伸ばす。
細くて赤い、頼りない腕。ところどころが炎症を起こして膨らんでいる。
──ケロイド。
指は嘗ての形をとうに失っており、それは夏の暑さに溶けて接地面とくっついたゴムを彷彿とさせた。
カーテンの閉じられた薄暗い部屋。
医療器具の独特の匂いが充満している。
生活臭など、最早遠い昔に枯れていた。
ただ10cmほど開けられた窓にカーテンが靡くのみ。
気が付けば指は、彼方スズナの名を打ち込んでいた。
人の評価に敏感になっていた。人の目という目に言葉にならない恐怖を感じた。
なのに見てしまった。
そのくせ心配の声を自らシャットアウトしていた私は馬鹿である。
でも当時の私にとって、これらに目を向けるという選択肢は逃げを意味した。
少数意見に慢心してしまうことが怖くて、恐ろしくて堪らなかった。
「……きもち、わる」
私は、他ならぬ私に恐怖していた。
―*―*―*―
私の人生はあの日から色褪せた。
燃え盛る炎。
野次馬の叫び声。
思い出すにも酷な、少年の屍。
その日から私の感情は色褪せていった。
あの日私は誓ったのだと。
少年のように真暗闇に生きる人を笑顔にできる人間になるのだと。
その願いは乞う程に使命感へと形を変え、ゆっくり、ゆっくりと禍々しい「呪い」に変貌していった。
「なに、してんだろ。わたし」
──結局。
私は中途半端に燃えて終わるのだ。
煙を巻き、不完全燃焼を起こして。
中途半端に、くすんだ灰色、茶色、黄色、青色。
すっかり燃え切ってしまえばどんなに良かったことか。けれど私にはできなかった。
今の私は、さながら捨てられたブリキの人形。
スクラップにでもしてほしかった。
―*―*―*―
『そういえば最近彼方すずな見なくなったな』
『一発屋みたいなとこあったもんなぁ。当時は大学生作家だったけど今は会社勤めなのかな』
『所詮一発屋』
SNSのポスト。それに続くリプ欄。いいねは6件。RPは0。返信が2つ。
この頃にもなると、最早小説など書いてはいなかった。
書けなかった。
頭がまるで働かなかった。
腕もそうだ。30分もタイピングをすれば直ぐに限界が来た。
「わたしって、なんだろ……」
ぼやく。
火事の直後に比べれば、身体は随分と動くようになった。
しかしその間に筋力が著しく落ちてしまったようで、動かしても関節は伸びないし、直ぐ疲れてしまう。
こんな筈ではなかった。
私の中の理想図は、もっと華やいでいた。
人を笑顔にしたかった。だから笑顔でいたかった。
なのに、私は笑い方すら忘れてしまった。
冬の暴風は、部屋の窓をガタガタと震わせている。
皮肉なことに、今日も世界は平和である。
―*―*―*―
『ずずな、お誕生日おめでとう!苦しいと思うけど私はすずなの味方だからね。相談あったらいつでも話聞くよ!いい一日にしてね』
メッセージの送り主。廣崎ユイ。
私が入院してから、誕生日になると毎年のようにメッセージをくれていた。
本当に嬉しかった。何度ユリの言葉に励まされたことか。
これだけは本当に嘘じゃない。
だから、私はこの瞬間をもう一度やり直したくてたまらない。
『私の気持ちもわからないくせに』
洩れ出た。
漏れ出た言葉を捕まえようとして、もっと出た。
心の内側に閉じ込めていたはずのどろどろとした感情が一つ、ひとつと溢れ出た。
誰もいない部屋に、私の音だけが響き渡る。
時計の針は深夜23時を回っている
私はその日、唯一の親友を失った。
―*―*―*―
「う゛っ、………………う」
人の去った後の部屋はいつにも増して無音。
心臓の鼓動だけが強烈に響く。
その鼓動は、過去を思い返すほどに粗く、荒く波打つ。
強烈な眠気が過去を映したのだ。
寝なければよかった。見たくなかった。
全部思い出してしまった。
ああ………………
陽はとっくに傾いており、強烈な西日が私を照り付ける。
「忘れていたかったぁー…………」
机に突っ伏して、ひたすらに空気を見つめながら、ぼやく。
私のものかわからない涙が溢れ出す。
世界は幸せに満ちている、と誰かが言った。
世界は希望に溢れている、と誰かが笑った。
正気じゃない。
きっとそんなこと言う奴は何もわかっていない。
そうじゃなければ人間じゃない。
「ふうっ…………ふぅっ……」
何度もなんども深呼吸を繰り返す。
だめだ。ここでは駄目だ、と胸元を叩き続ける。
──あきらめたい。
諦めたい、あきらめたい。
全部放り投げて終わらせてしまいたい。
誰か、私を殺せ。
わたしを……。
私を…………。
「……っゔ」
声が、出なかった。