25.ともだち
「──ねえ、おきてよ。ねえってば」
声が聞こえる。
「ん、ん…………」
目を開く。
頭がぼんやりとして、視点が上手く定まらない。
ここで、はじめて寝ていたのだと気が付く。
陽は次第に色づき始め、若干光を強めている。
数時間は寝てしまっただろうか。
目は相も変わらず重く、光が眩しくて、ズムと鈍く傷んだ。
「起きたね、アーリン」
アーリン。
私の身体は反射的に跳ねる。意識が急激にはっきりしてくる。
……初めて聞く声。
「痛ッた」
思い切り眉をひそめる。
急に動かしたせいか、首が痛い。見ると、どうやら机に突っ伏していたようだ。
身体をねじり、ゆっくりと声の主へと目を向ける。
「アーリン。顔はそのまんまだね」
胸に針が刺さる。
急いで胸に手を当てる。握り絞める。
顔が見れない。
この人もアーリンのことを知っているのか。……というか、どうやって入ってきたんだ、この部屋に。
「ど、ちらさまですか」
寝起きの消え入りそうな声を振り絞り、訊く。……寝起きだから、だけではないと直ぐに考えを改める。
「そうか……。やっぱりいなくなっちゃったんだね」
「ねえ、そんなはなしするためにきたの?」
もう一つの声が入り口あたりから聞こえてくる。コツ、コツとやけに軽い足音がこだまする。
「やっほ、すずな」
つい先程聞いたばかりのこの声が、妙に心を温かくする。えるちゃんだ。
入口へと続く細い廊下の影から、切り揃えられた髪をゆらと揺らしながら顔をのぞかせる。
屈託のないはずの笑顔は、今は少しだけ優しい気がした。
「……ごめんなさい」
思わず、謝る。
「え?どうしてごめんなさい、?」
「……」
私こそ、訊きたかった。
「いや、なんでもないの」
私の言葉は、相手に伝わることを拒んだ。
その不完全燃焼分、頭の中でぐるぐると駆け巡る。
口から出られない言葉は、囚人の如く心を荒らして回る。
「……ふふ」
その人が、ふいに笑う。
笑みがこぼれる、という感じではない。意識的に、という感じでもない。
その声は、なにかを包み込むかのように優しく、少し怖い感じがした。それは、さながらトモリの笑みを彷彿とさせる。
国民性だろうか。
「なんだ。いなくなってなんかなかったじゃん」
初めて、その人の顔を見る。
中性的な声だったけれど、姿は女性そのもの。
面長、高身長、少し褐色がかった肌。さながら体育会系、といった感じのイメージ。目はどぎついつり目で瞳孔は黄色がかっており、深紅の癖っ毛は後ろで束ねられている。
私の予想ほど、その人の顔は恐ろしくなんてなかった。
彼女は、遠くを見ていた。私が知る由もない程の遠くを。
と思えば、勢いよく瞬きし、眼は細くなり、最後にひとつまみの優しさを帯びる。
えるちゃんは、困ったように苦笑いしながらも終始彼女の言葉に耳を傾けている。
「大丈夫だよ、私があなたを守るから」
唐突に、彼女は言う。
そして私の手を取っては、「うわ冷た」と小声でぼやき、両手で包み込んでくれる。
彼女の手は、ほんのり暖かかった。
「……あなたは、誰なんですか?」
なんとなくわかっていた。でも確証を得るため、取り敢えず訊いた。
彼女は、にっこりと笑みを浮かべ、八重歯を見せる。
「ガドリニウム・キドレア。アーリンの親友」
―*―*―*―
「ガドって呼んで。君は……スズナちゃんっていうの?」
彼女は日本語が使えた。
ニジ教の信仰対象「いつかの君」が操るという、その言語。
世界宗教と言うだけに、その使い手は少なくないのだろうか。
「はい、そうです……」
「敬語はやめようよ、ほらタメ口でさ。よそよそしいのは嫌だから」
結局ガドは、私がリリーに呼ばれるまで話し相手になってくれた。
というのも、どうやら私と会話をしたくてえるちゃんに頼み込んでいたらしい。
「ほんとはいやだったけど、ガドはむげにできないから」
そうえるちゃんが口を尖らせるものだから、そこで彼女の身分が高いことを知る。
彼女は赤眼地域守護家であるキドレア家の出身らしい。思わず聞き返してしまったが、どうやらここの領土は四つの地域から成っているらしく、白ロ地域、緑耳地域、赤眼地域、青鼻地域の四地域それぞれに「その土地を守護する一族」である地域守護家が存在することを教えてくれた。
守護。なんだか、鎌倉時代みたいだ。
その他にも、私のこととか、ガドのこととか、色々なことを日が傾くまで話した。
初めこそよそよそしかったが次第に打ち解けていき、互いのことを理解すればするほどに会話が弾んだ。……勿論、えるちゃんも交えてね。
アーリンとガドの過去についての話をしているときは、苦しかった。
でも、ろくに女子会なるものを経験できなかった私だから、この新鮮な楽しさを始終体中に感じていた。
……こんなに楽しいと思えたのは、何時振りだったか。
「ありがとう」
時間で言えば、1,2時間くらいなものだ。
それでも、他でもない、彼女の心が身に染みる。
そろそろ時間だから、と手を振り部屋を後にする彼女の後姿を、私はただ眩しく見つめていた。
―*―*―*―
バタン、と軋むドアの閉まる音が廊下に響く。
「だいじょうぶ、?ガド」
エルが私の顔を覗き込んでくる。
「スズナちゃんの根暗なとこ、なんかアーリンみたいでさ。笑っちゃったよ」
わざと声色を上げてみる。
「ひとりで、せおっちゃくるしいよ」
「……うん、ありがとうね」
顔だけ笑う。
ドアの取っ手から手が離れない。歩みが進まない。視界がぼやける。
「考えちゃうの。……私が、もっと支えられていたら今もここにいたのかな、って」
言葉が詰まる。声が掠れる。
鼻に、唇に、目に、熱が帯びる。
「これじゃあ、浮かばれないよ。あんな頑張ってたのにさ」
後姿。
思い出される、君の手。
忘れもしない。初めて話してくれたのは、君だったね。
ゆっくりと目をつぶり、こつり、とドアに頭をあてる。
「だから今度は、私があなたのためになる」
わかっている。彼女は、もういないのかもしれない。……いないんだろう。
そもそも死というのはさほど珍しいことではない。
でも、お礼に。
せめて、あなたという存在がこの世界で霧となって消えてしまわぬように。
「だから、笑って、スズナちゃん」
「ガドもね」
目を細めながらエルを見る。
彼女の眼は、すっかり不安に染まっていた。
頭にそっと手を当てる。
暖かい。その温かさは、何時でも変わらなくて安心する。
おもむろに彼女の脇腹に手を差し込むと、よっと持ち上げ、ひょっと腕に抱え込む。
「エルは優しいなあ」
「えるはなにもしらずにつれてきただけだから。なにもやさしくないよ」
エルは目を閉じ、とぼけたように眉を上げる。
「そうじゃなくて、いろいろ」
「いろいろぉ?」
エルは、ようやくにこ、と笑う。
それを合図に私は、ようやく廊下を歩きだす。
コツコツと、私の靴は大きく音を立てる。
部屋は、一歩踏みしめるごとに遠くなる。
──いったんはさよならだね、アーリン。
本当にさよならできるかなんて、私が一番わからなかった。