23.リリー・ギープは信じない
「私はあなたを信用していませんから」
胸がドキリと痛む。
靴の音がコツコツと廊下にこだまする。
右隣少し前を歩く彼女の顔をちらと覗いてみる。
顔は、至って冷静。しかしその瞳の奥には、確かに憤りの感情が存在していた。
「そうですか」
「トモリ様はあなたを随分気に入っているようですが」
「はあ」
そんなことを私に言われても。
そう思わないでもないが、わからない。
これもなにか裏の意味があるのかもと思うと下手なことは言えない。
郷に入っては、郷に従え。と言うくらいだし、初めのうちだけでもそうしておかねば関係すら築けないというものだ。
……なるべく、人には嫌われずにいたい。
「エリーは」
リリーの声が少しだけ細くなる。
「え?」
「いや……なんでもございません」
私の生返事にリリーは即座に前言撤回を返す。
「はあ」
リリーは、終始前を見つめたままただ歩くのみである。
これ以上何も話す気が無いことを表情から読み取ると、私も視線を前に戻す。
フーシレア邸はむちゃくちゃに大きかったものだが、この屋敷もなかなかだ。
広さにして、ちょっとした和風旅館くらいだろうか。
フーシレア邸とは違い平屋建てなのが、余計に広さを感じさせるのかもしれない。
廊下の窓から外を覗くと、そこには庭があった。
見たことのない柄の蝶が数匹羽搏いている。
息を吸えば、空気もうまい。
どうやら屋敷の周りは木々に囲まれているようなので、だからかと一人納得する。
葉が音もなくそよぐのを見て、そこで屋敷の窓が全て閉ざされていることを知る。
―*―*―*―
「つきましたよ」
いつの間にかリリーはドアの前に足を止めており、危うくぶつかりそうになるのをぐっと踏みとどまる。
「言っておきますが、何か怪しい動きをしたら……」
目はずっと合わない。
「そんなことするつもりも、動機もありません」
一応強い調子で訴える。
リリーは少しきょどるように瞳を揺らすが、特に言い返すでもなく私の背中を押す。背中伝いに感じた手の感触は、思いのほか力強かった。
「では対応が決まり次第、呼びに参りますので」
そう言うとリリーはドアノブを掴み、バタンと戸を閉ざす。
と同時に、カチと金属音。試しに戸に手をかけてみるが、開かない。
「……まあ、そうなるよね」
鍵を閉められたらしい。
鍵穴なんてあったかなんて思いつつ、今更考えても何か変わるわけではないとすぐに思考をやめる。
「……待つか」
ひとつ大きくため息。
私は、部屋の奥へと歩みを進めた。
―*―*―*―
「万物を焼き払いし炎……ここに顕現せん」
そう唱えると、指の先にはたちどころに火の玉が現れる。
蝋燭の炎ほどの大きさのそれは、音を立てずにただ揺れている。
天井を見る。いつしか付けた焦げ跡が、黒く存在を主張している。
「カナタスズナ……ね」
呟く。
アーリン・フーシレア。17歳。性格は落ち着いた方で、あまり自己肯定感は高くなかったはずだ。
これが彼女への印象。……かつての。
「やはり、アーリンが自身を呪ったのは事実……?」
呪い。
言霊を上手く扱えない子供がよく起こす、言霊の誤発。
兄アル・フーシレアの死を己のせいだと責め、自らを呪った。この事案が統一連邦と関わりないのなら、その線が濃厚か。
「そして、転生」
スズナのあの様子。彼女は終始嘘をついているようには見えなかった。
とすると、一つの仮説が成り立つ。
ふたつの事柄は、直接的に関係していた。
アーリン呪いの効果により、スズナは転生したという仮説だ。
でも、わからない。
わからないし、仮に転生が本当だとしても彼女が善人である根拠はどこにもない。
……いや、それはあるんだったか。
『彼女は、なんというか。かつての私の様でした』
昨日、エリーはスズナのことをこう評していた。
彼女の心はひび割れている、と。やはり彼女は善人なのか。
……だとしても、だ。
アーリンの損失はあまりにも大きい。
生かしておいたとしても、ニジ教会だって何かしら動くだろうし。
それこそこの事実を統一連邦に知られれば、なんらか揚げ足を取られそうで怖い。
「……いいや、違うだろうそれは」
そんなしみったれた考えを持つなんて、どうかしている。ねちねち一人で考えていても、何も変わらないのだ。
——第一、私はスズナを殺せるのか。
それじゃぁ、あまりにもかわいそうじゃないか。
そう、私は私の思うままにやるのだ。
いままでずっとそうしてきたように。
「すうーーー。ふう…………」
大きく、深呼吸をする。
「……ちょっと、ハイになってるのかな、私は」
頬を両手でたたく。
もう一度、大きく息を吸う。
「……よし」
トモリは、指に灯る炎を消す。
―*―*―*―
昼頃。場所は領主室。
「部屋の前には一人術師をつけておきました」
「ありがとう」
リリーが領主室に戻ってくる。
顔色は……あまり芳しくない。機嫌、悪そうだな。
「……トモリ様は、脇が甘すぎます」
リリーは目の前に仁王立ちすると、その冷めた目で見降ろし、訴えてくる。
「統一連邦からの刺客である可能性は、なくなったわけではない。それにスズナ・カナタの言うことが本当だとしても、ニジ教会がどう動くか分かったものではない。もしかしたら、そうやってレア領とニジ教会との関係を絶たせようと帝国や共和国が仕掛けた罠なのかもしれない。彼女は存在だけで脅威足り得ることを、貴女は十分に理解しているのですか?」
リリーは、その髪を揺らしながら訴える。
リリーの言い分はもっともである。だから、重い。
のしかかる。
「そうだよねぇ……」
天井を見て、どうしたもんかと思う。
やっぱりまあるく焦げた跡が目に入る。
「でも、私は。ここは……曲げたくない」
「どうしてっどうしてそこまで彼女の味方をするのですか!」
リリーの語調が荒くなる。
苦しそうな表情が痛い。でも、そんなの顔に出せないから、耐える。
「だって、可哀想じゃないか」
そう言いながら、私は天井を見つめ続ける。あまり考えすぎぬように。
少し、口角が上がるのを感じる。
「っっだから、彼女が転生者という確証はないんですよ?!なのに」
「確証ならあるよ」
「っっはぁ?!!」
リリーはすっかり平常心を失くしてしまっている。
「彼女の様子と、雰囲気と、勘。リリーとエリーの時もそうだったじゃないか。そして実際、二人は今も私のために尽くしてくれている」
「──っ」
次の言葉を必死に探すが、見つからない様子。
リリーとて必死だということを、私はわかっている。
それに、私の理屈がまるで通っていないことも。
だから。
「大丈夫」
私は、リリーを安心させるために言葉を探す。
でもうまく見つからないから、結局また脳内にあるテンプレートのうちの一つを引っ張り出してしまう。
「私は。私たちは絶対にうまくいくよ」
せめてもの償いとして、やさしく頬を緩める。
「…………」
リリーはしばらく私を睨むが、やがてハアと大げさに溜息をすると、吐き捨てるように言う。
「トモリ様がそこまでおっしゃるのなら、私はあなたに尽くすのみです。っあーもう、あなたのご老体を精々お支えいたしますよ!!」
リリーは打たれ強い。
……いや。打たれ強くはないのかもしれないが、己を曲げる強さを持っている。それでいて一本、しっかりと芯を持っているのだ。
私にはない強さ。正直に、すごいと思う。
「ありがとう、リリー。本当に。…………で、誰がご老体だって?」
「天井を焦がすようなお方には謝罪致しません」
「え゛っ」
「……気付いてないとでも思ったんですか?」
リリーはぐいと目を細める。
その目には、少しだけ不安の色。
「……ゴメンナサイ」
だから私は、目線で優しく微笑みかける。
私は、「私の物語」が新たなフェーズへ向かうのを、ただ肌に感じていた。