19.とある老エルフの長考
遡ること、二日前。
事態は急変した。
―*―*―*―
「なにそれ、どういうこと?」
自らの声が、部屋中に響き渡る。
場所は、レア領白ロ地域トモリ邸の領主室。
向かうは、つい先程会ったばかりの少年アスク。
陽はすっかり傾いてしまっているが、私たちの状況もまた変化しそうな予感が立ち込めている。
「つまり、アーリン様は記憶を失ったのではなく、何者かに意識を乗っ取られていると?」
たまらず問いかけるのはリリー。怪訝そうな表情をしている。
アーリンが意識を乗っ取られた、ね。
面白くないな。こちらにとっても、あちらにとっても。
「はい、その通りです」
「それ本当だったら戦争モノだけどね。リリー、どう思う?」
問いかけると、苦しげな表情のままリリーは答える。
「この手の悪行を思いつきそうなのはニジ教会というより統一連邦。帝国や共和国の線もあり得ますが……さすがにここまではできないでしょう」
「なるほどね」
同感。
緑耳地域守護家。地方を治める一族。要職である。
相手国も、おいそれと殺してローリスクとはいくまい。
必ずどこかでボロが出る。
それに、アーリンは今私たちの手中にある。つまりは調べたい放題ということ。
おまけに、当のアーリン本人は逃亡した挙句アスクにあっさり見つかる始末。
要するに、計画性がなさすぎるのだ。
そして、計画性がないといえば統一連邦。
そういうことだ。
「私も統一連邦の仕業とみる。そもそもニジ教会はウチを無碍にできないはずだし」
そう言うと、ふいにアスクは顔を上げる。
表情は、なんというか、困り顔である。
「どうしたの?」
「どうやら、そういうわけでもないようでして……」
「ん?……詳しく教えて」
統一連邦の仕業ではないと確信している?
なにか事情が変わったのだろうか。
──統一連邦。
正式には、南方獣族統一多民族連邦。
我らレア領の丁度真南に位置する、27の連邦構成主体から構成された大国。
大国といっても、物は言いよう。連邦というだけに小さな地方領主が幾つも集合することで国家の様相をなしているこの国だが、統率の方はまるでなっていない。
なぜかって、各地方領主の主張が激しすぎるからだ。
まあ、そんななんちゃって大国のことだから、ここまで手の込んだことは難しいかもしれない。
それに第一、レア領と統一連邦には大きな確執がある。
変に手を出せば互いに良い結果にならないことくらい、いくら統一連邦でも重々承知しているはず。
そう考えたら統一連邦ではないかもしれない。
「どうやら意識を乗っ取った者に敵意はないようでして。誰かに脅されてやむを得ず、という線も薄いのではないかと」
「ふうん?何を根拠に」
「エルが全幅の信頼を置いているのが気になるということ。あとは、エリーがあまりにも警戒していないことです」
エル、か。
それは確かに私も気になっていた。
アスクがアーリンをここまで連れてきたとき、なぜかエルはアーリンに懐いていた。
彼女は年相応に無邪気ではある反面、好き嫌いは激しい方である。それに、言霊能力への耐性もあるはずだから言霊による怪獣の線も薄いだろう。
それがどうしてアーリンと出会って、あそこまでお気に召したのかよくわからない。
しかし、それよりも後者。エリーの方が気になる。
エリーはとある言霊を行使できる。
「読心」。自らの意思での行使は難しいものの、どうやら相手の感情の動きなんかをなんとなく感じることができるらしい。
そんな彼女がアーリンを警戒していないということ。
アーリン付の使用人であるエリーが、だ。
私が思うに、これは相当重要。
「エルはともかく、エリーの方は気になるね。一度話を聞きたいかな」
「すぐにお呼びします」
アスクはすぐさま返事し、軽くお辞儀をする。
礼儀作法がきっちりしている。ぜひリリーも参考にしてほしいものだ。
さて。となると。
「この調子だと、さっきの話はもう一度考え直すことになるかも。それは了解してほしい」
アーリンの記憶を取り戻す話である。
「…………」
アスクは……返事なし。
まあ、無理ない。心中複雑だろう。わかるよ。
目の端では、リリーがアスクの態度に眉をぴくつかせている。
さあ、彼女が手を出さないうちに早くこの場を締めなければ。
「とにかく、だ。アレラとエリーを呼んできて」
「……はい。仰せのままに」
そう言うとアスクは、再びこの部屋を後にする。
その後ろ姿は、どこか寂しげだった。
―*―*―*―
「さて、複雑な問題になってきたな……」
顎に手を当て、一人考える。
この件、思っていたほど簡単な話じゃないかもしれない。
統一連邦の仕業というならば、相応の対応ができるというもの。
だがしかし。
これがもし「たまたま起きたこと」だったとしたら、レア領はどうすべきか。
……よわったなあ。
変な能力に溢れるこの世界だ。その可能性を捨てきれない。
「まあ、とにかく話からか」
わからないならば、訊けばよいだけ。
まずはエリーの話を聞く。そして、アーリン本人が目覚め次第そいつと話をする。
手元に情報がなさすぎるから今は困っているが、これで何か変わるかもしれない。
打開策が見えんとも限らないだろう。
「そうですね。私も、是非そのお話に同席させてください」
リリーが口を挟む。
いたのか、リリー。
彼女の方へ振り返ると、鬼のような目つきで睨まれる。
……あなたはどうしてそんなに怒っているんだい?
エリーが絡んでいるからだろうか。
まあそうだろうな。
「リリー、顔怖いよ。表情管理に気をつけたほうがいい」
「あら、領主様こそ酷いしかめ面ですよ」
スッと目を逸らすと、リリーはすまし顔でそう答える。
慌てて頬に手を当てて確かめる。
「お互い様、ね……」
私は椅子にもたれかかると、大きく息を吐く。
眉間の皮膚は、いつの間にか波打っていた。




