9.レア領緑耳地域守護室にて(前編)
「こちらです」
エリーが手を向ける先は、守護室。
もっと他の名前はなかったものか。守護する目的の部屋なのか、守護という肩書の者の部屋なのかわかりづらい。
どうやら正解は後者のようだが。
「……んと、私から入ればいいのかな」
「あ、私が先に入ります」
はっとしたように訂正する。
以前はアーリン自身が戸を叩いていたのだろうか。
コンコンコンと三度戸が叩かれる。
廊下の向こうへ音がこだまする。
二度叩いたらトイレだななどと考える。
緊張はしていない。
「ソモアレラ、ソモアーリンツリチモエレモセト」
思わずエリーを二度見。
……え?何語?
「ヤセ、ホエリ」
扉の向こうから唸るような重低音が響いてくる。
この声は恐らくアーリンの叔父、アレラだ。
彼も何言ってるのか全然わからない。
「ハ」
「ちょ、ちょっとまってよ」
「なんですか、入りますよ」
ああ、今度は日本語。
なんなんだ、一体。
あ、いや。そうか。
異世界だから異世界語はあって当然だ。むしろそうであったほうが自然というもの。
……いや、やっぱりおかしい。
私が目覚めたとき。
美男子が目の前にいたあのとき、私はおぼろげながらも彼の言葉を理解していた。
それに、なぜエリーは日本語を使っているのか。
彼女は日本を知っている……?
エリーを見る。
いない。
ぎょっとして辺りを見渡すと、彼女は部屋の奥へスタスタと歩いている。
慌てて後を追う。
―*―*―*―
「ソチ、ハワドエネホエラウコ」
「モズントセコロヘタツヤラセエヂスコ」
「……エッチメラ」
「ソモアーリンナノコメネビツゼワコクゴエモス」
「…………ア?」
全く聞き取れない異国の語。舌を巻く音がやけにはっきり聞こえてくる。
私だけ取り残されている疎外感。孤独感。
私はこの感覚を知っている。
……そうだ。中学時代、ALTとスピーキングテストしたときこんな気分だったか。
いや、そうじゃなくて。
なぜエリーは日本語を理解していたのか。
なぜアスクの言葉を理解できたのか。
なぜ私は異世界へ来ることができたのか。
疑問は思考を巡らせるほどに沸いて出てくる。
しかし、一番疑問なのはもっと根本的なところ。
私がこの世界に転生した理由だ。
などと考えていると、アレラの目はぎょろりとこちらへ向けられる。
私の体は反射的にビクと跳ねる。
「な、なんすかオジキ」
柄でもない言葉で反応してしまう。
咄嗟にでてきた言葉がそれしかなかった。職業病かもしれない。
「アモイホ、ドリド」
「いやき、きとれませんってオジ」
「ア?」
さっきから ア? だけすごく聞き取れる。怖いからやめてほしい。
オジキと言われてキレてるのなら謝るから。
「チワシエセョナコナウシエゴトコエタアマンリモス」
エリーが割って入る。
なにか、フォローしてくれたのだろうか。そんな感じの表情ではないが。
「……あ?」
今度は少し疑問げという感じ。
とにかく、エリーがなにか横槍を入れたのは間違いなさそうだ。
「タネコク、カナキワマツトヒルビケヂス」
「ソモトモリ、コ……。エモアスクンムコンシチエルナドゴ……」
アレラはため息をつき、腕を組んで考え込んでしまう。
「……ちょっとねえ、どういう話してるの?」
堪らずエリーに耳打ちする。
流石に置いてけぼりが過ぎてもどかしい。
「話すわけがないでしょう……?あなた、状況分かっていますか?」
凄まれてしまった。
まあ、確かにそうか。私は傍から見れば不審者である。
わかりやすくうなだれてみる。感情は行動で表す方が理解されやすいと思うし。決して凄まれた当てつけなどではない。
……やだなエリーさんそんな顔で見ないでよ。
と、アレラが腕を組んだままこちらに目を向ける。
「アモイホ、ドリド」
独り言のように呟いている。
「アモイホ……ドリド」
復唱してみる。
さっきも言っていたが、どういう意味なのだろう。
私の身辺について聞いているのだろうか。
よくわからないが、南米のドリンクでありそうな名前ということだけはわかる。
「お前は誰だ、と言っています。答えてください」
エリーが初めて翻訳してくれる。やはり私について訊いていたようだ。
翻訳、全部してほしいんだけどな。
そう流し目で訴えかけるが、エリーは眼を見開きぐっと眉を寄せる。
早く答えろ、の目だ。
「いや、誰だと言われても、地球という星に住んでる日本人としか」
「日本人……」
エリーは顎に手を当てる。
…………
え、聞き覚えあるの?
「知ってるんですか?」
「失礼します」
私の声に被せるように、何者かが荒々しく守護室の戸を開ける。
緑色の髪。背は高く整った顔つき。
アスクである。
アレラは、彼の顔を見るなり立ち上がり身を乗り出す。
戸は叩いてから開けるべきだぞ、なんて口が裂けても言えない雰囲気だ。
「ダウドット、ソモトモリホノワタ」
アレラは鋭い眼差しでアスクを見つめる。ちょっと緊張していそうな感じ。
「ケアク、マダセチクドソルタナカタ。カリヂソモアーリンナケアクマヘタモズオワセワヂセャウ」
アスクは少々穏やかな顔つきでそう答える。
だが、これに呼応するようにアレラの顔も穏やかに……とはいかない。
「アスク。サウエウンキネマエコノエヤウヂノ」
「…………ハ?」
アスクがアレラの息子だということは雰囲気でわかっている。
──君、父親に似てるね。言い方までそっくりだ。
「アーリンナノコネホ、ビツナゼワコクゴエル」
アレラが言い放った、その瞬間。
空気が変わった。
そんなはずはないのに、雰囲気で肌や喉がピリピリと痛み、息が吸いづらい。全身に鳥肌が立つ。
「…………あ、これ」
私は、この正体を知っている。
怒りだ。
※2025/8/07…表現の軽微な変更