8.異世界さんぽ
「……?」
見慣れぬ屋敷。見慣れぬ部屋。見慣れぬ鏡。
私は、その鏡の向こう側にくぎ付けになっていた。
鏡の奥には、耳の長い、緑色の髪の少女が映っている。
でも、おかしいのだ。
私が右手を挙げても、左足を挙げても、同じ動きをしてくる。
試しに覗き込んでみると、彼女も覗き込んできた。
少し荒れた純白の肌に、そばかす。つり目はきついが、その表情はこころなしか不安げ。
と、彼女は胸元に垂れる髪を触りだした。
なんだと思い目を落とすと、私も髪を触っている。
緑色の髪のふわりとした感触が手に伝わる。
「……」
鏡を見る。
手元を見る。
鏡を見る。
手元を見る。
…………。
「……え?」
私は、目が覚めたらエルフになっていた。
―*―*―*―
異世界。
紛れもなく異世界にいた。
どうやら私は他人の身体に意識のみ転生しているらしい。
周りの状況と、なにより自分の顔を見るにそれは明らかである。
「はあ」
外、一面野原だったな。
とりあえず、一度この異世界とやらを探索してみたい。
自分の脚を使ってベッドから立ち上がると、私はドアノブに手をかけた。
―*―*―*―
この身体の主の名は、やはりアーリンで間違いないらしい。
アーリン・フーシレア。屋敷や身なりを見るに、身分は低くなさそうだ。
そして、あの美男子がアスク。呪いとかなんとか言っていたおじさんが、アレラ。
顔つきが似ているのを考えると、皆フーシレア姓だろうか。
でも、今わかっているのはそれだけ。
とにかく、なにもかもがてんでわからない。これが私の現状である。
それにしても。
「屋敷、でかすぎるだろ……」
思わず共感を求めてしまう。
この屋敷、国会議事堂とかホワイトハウスとか、そんな感じのスケール感。
ホワイトハウスは見たことないけど。でも、とにかく足音が響くくらいには広い。
実はこれがハリウッド映画の撮影中で、あなたは映画のエキストラです、とか言われてもまだ信じられようものだが。
……いや、それは言い過ぎか。
「あの……アーリン様」
後ろから語り掛けるのは、恐らくこの屋敷の使用人、エリー・ギープ。
私が目覚めたとき、美男子の後ろでタオルを絞っていた使用人その人である。
先程から私の後ろをピタとついてきているのは、アーリンの世話係だからだろうか。声色は、ちょっと暗め。
「廊下でさえこんなに手を広げても余裕しゃくしゃくだなんて、この屋敷は広いですね」
私はエリーの方へ振り返ると、手を大きく広げてみせる。
「……そうですね」
エリーの目は訝しげ。私を警戒しているのだろう。
そりゃあそうだと思う。だって、私は私を隠そうとしていないのだから。
「ごめんなさい、エリーさん」
「……はい?」
「こんな話、したいわけじゃないことはわかっています。でも、もう少しだけ歩かせていただけませんか」
もう少しだけ。大地を。空気を。野花の匂いを。私の足で歩いて感じていたいのだ。
「……アーリン様がそうおっしゃるのでしたら」
「ありがとう。……あの、それと。話し相手になってくれませんか?」
「…………アーリン様が、そうおっしゃるのでしたら」
エリーは静かに目を閉じ、軽く礼をする。
「ごめんね、ありがとう」
エリーは私の存在に勘付いていると思う。
でも、私の願いに耳を傾けてくれた。
きっと、優しい方なのだろう。
神様ってのは、案外慈悲深いのかもしれない。
―*―*―*―
「私、小さな頃は足早かったんですよ」
屋敷前の野原を歩く。
草は所狭しと生い茂っており、穏やかな風にサアサアと波をつくっている。
小説書いてた頃は、こういう場面をよく登場させたものだ。行けなかったから。
だから、こうして歩けて嬉しいな。
「アーリン様は、昔から運動が得意ではなかったと聞いておりますが」
「……そうなんだね」
手の平を見る。
豆ができている。
二の腕を優しく擦る。
瞳を閉じる。
「良いところだね、ここは」
「気に入っていただけた様で」
エリーは軽く礼をしつつ、上目遣いでアーリンを見つめている。
―*―*―*―
「小さな頃は、友だちとよく遊んだっけ」
「お友達、ですか」
野原の中心の木の下に腰掛ける。
座ると、風が心地よい。風の匂いって、どの世界も変わらないのね。
「そう。ゲームしたりとか、外で昆虫取りとか。信じられないよね。今となっては昆虫なんて見たくもないのに。でも、当時はどうしようもなくワクワクしてね、楽しかったんだ」
「……わかる気がします」
エリーの顔は、少し穏やかになる。
「アーリン様も、よくここでお休みになられていたんですよ」
「あら、アーリンは案外私と似てるのかもね」
私は、あえてにししと笑ってみせる。
するとエリーはここにきてやっと表情を変える。
困り顔だ。
「あの頃は、母さんとよくピクニックに行ってね。丁度この原っぱみたいなとこに来ては、走り回って、お弁当を食べて。父さんは早くに亡くしたから顔も覚えてないけれど、お母さんとの思い出はよく覚えてる」
「お母様には恩返しできましたか」
「……ううん。寧ろ苦しませちゃったと思う」
聞いてないからわからないけれど。
間違いなく私は親不孝者だ。
「そう、でしょうか」
エリーと私は、ここにきて初めて目を合わせる。
「どうしたの?」
「親というものは、子が健やかに生きるだけで幸せなものなのでは」
「……私は、ちゃんと生きれたのかな」
野原を見つめる。
たんぽぽみたいな花が点々と、蕾を膨らませている。
変なこと訊いちゃったかもな。
「生きれたんじゃないですかね」
「ふふ、ひどい適当だね」
あまりに素っ気ない返答に思わず笑みがこぼれる。
まあ、不審者相手だし、無理ないけど。
「適当、でしょうか」
「え?」
「あなたのことは存じ上げません。しかし、あなたがしっかりと生きたということなら、私にもわかります」
「……なんでさ」
素朴な疑問がこぼれる。
「あなたがそんな顔をしているものですから」
思わず頬に手を当てる。
エリーは、口元だけ笑うと徐ろに立ち上がる。
「さあ、アスク様がお戻りになる頃です。私たちも参りましょう」
「…………わかった、行こうか」
私も腰を上げ、今度はエリーに付いていく。
向かうは、守護室とやら。
心は晴れやかである。
※2025/8/08…文章表現の一部変更(軽微)
※2025/8/11…文章表現の一部変更(軽微)