アンデルナハの戦い(後編)
自ら休戦協定を結ぼうと呼び掛けながら、それを利用して奇襲を掛ける西フランク王シャルル2世。
だが、この作戦を知ってルートヴィヒ若王に通報した者がいる。
休戦の為の使者となっていた「聖人」ケルン大司教ヴィリベルトである。
シャルルの陣に留まっていた彼は、奇襲作戦について図らずも聞いてしまう。
平和主義な聖職者だから、シャルルも油断していたのかもしれない。
だがヴィリベルトは動いた。
シャルルの軍より速く、単騎で東フランク連合軍本陣に駆け込んだのだ。
「まあ、バレたなら仕方が無い。
今からでは甥っ子も手を打つ事は出来まい」
シャルルは高を括っていたが、彼はここで戦下手を発揮する。
敵にバレたという情報を、部下たちに知らせなかったのだ。
まあ通信が未発達なこの時代、無理に伝令を飛ばして進軍を遅らせれば、逆に混乱してしまったかもしれない。
流れに身を任せて西フランク軍は闇夜を進む。
ヴィリベルトの報告を受けた時、ルートヴィヒ3世はまさに就寝する所であった。
「しまった。
完全にしてやられた」
「如何します?
離脱した騎士たちを呼び戻しますか?」
「そんな時間は無い。
今いる軍で迎え撃つ。
すぐに対応出来るのは?」
「フーゴー様の特殊部隊です」
「やむを得ん。
あれは敵を怯ませる局面で使う予定だったが、そうも言ってられん。
正面に展開させよ!」
東フランク連合軍が慌ただしく動き始める。
『それでも間に合うかどうか……』
焦れるルートヴィヒ3世。
だが、天は彼に味方したようだ。
夜襲の為夜間東フランク連合軍に迫ろうとした時、豪雨が西フランク軍を襲ったのだ。
西フランク軍は泥濘の中で立ち往生する。
道が悪くなっただけでなく、明かりが無い為、幾つもの部隊が迷子になってしまった。
彼等は天からの水攻めを食らっていた。
10月の冷える中、ずぶ濡れの西フランク軍の行軍は次第に遅くなり、部隊もバラバラになっていった。
「やはり、大司教を利用し、相手を騙すような作戦が神の怒りを買ったのでは?」
「卑怯なやり方は良くないのでは?」
軍内に畏れの気分が漲って来た。
10月8日早朝、ようやく東フランク連合軍本陣を見る。
もはや夜襲ではない。
濡れ鼠となり、一晩中行軍してぐったりしている西フランク軍は、そこに畏怖すべきものを見る。
「聖霊だ。
神の軍がいる」
それはフーゴーが率いる特殊部隊である。
彼等はあえて、白い装束を鎧の上に纏っていた。
この部隊に配属されたアルヌルフは
「面白いかと思ったら、つまらん。
白い服ごときで、神の軍だと錯覚なんかするものか?」
と文句を垂れていたが、
「使う局面によっては効果がある。
はったりも使いようだよ」
そうフーゴーは返していた。
その局面が、まさに訪れていた。
徹夜で行軍し、濡れて疲労のピークにある、キリスト教を真摯に信じる騎士。
その前に、朝日を浴びて神々しく輝いて見える、白づくめの騎士。
自分たちの奇襲策が後ろめたく、しかも豪雨という神罰を受けた気分でそれを見てしまった日には、一気に戦意を失ってしまうのだ。
「よし、突撃せよ!!」
アルヌルフとフーゴーは馬腹を蹴って突撃を行う。
彼等は亡き先王の人質となっていた時、軍事教育も受けていた。
『良いか、フランクの王族は先陣を切って突撃する勇気を持たねばならない。
だが、戦闘となった後、向こう見ずに敵陣深く切り込んではならない。
一番槍を付けたなら、後は一歩下がって味方の攻撃を後ろから眺めよ。
戦勲が欲しい味方の活躍の場を奪ってはならない。
一歩引いて戦場全体を見渡せ。
頭に血が上ったまま敵と戦えば必ず死ぬ。
後ろから戦場全体を見渡せば、伏兵や、横から攻めて来る敵も見つけ出せる。
勇気を持ち、そして冷静さをも持つのだ』
このルートヴィヒ2世の教えをアルヌルフは
「前進! 前進! 前進! 前進!」
と解釈してのけたのだから、あの世の祖父も頭を抱えるだろう。
だが、何だかんだで祖父の教えは身に染み付いている。
敵を槍で馬から叩き落とした後は、配下の騎士たちが戦うに任せ、アルヌルフとフーゴーは戦場全体を眺めていた。
次第に「聖霊の軍」という錯覚から目が覚め、西フランク軍も戦意を立て直して来ている。
そんな西フランク軍の側面に、別の部隊が向かっていた。
それはフランケンの騎士たちであった。
若王は、一旦緊張感が切れている離脱中の軍に期待していない。
近くに居る対応可能な部隊を、準備が整い次第戦場に放っている。
本来、兵力の逐次投入は兵法の悪手である。
だが、今回はそれこそ正解であった。
聖霊の軍に一回戦意を失った西フランク軍が立て直した直後、混乱した戦場を避けて迂回していたフランケン騎士たちが側撃を掛ける。
再び心が折れる西フランク軍。
シャルル2世は一旦兵を引くように命じる。
だがそこに、新たに投入されたザクセン騎士たちが背後から襲い掛かった。
シャルル2世は、最早勝つ事ではなく、生きて帰る事に目的を切り替える。
突破陣形を取るよう命じ、そのまま背後からの攻撃を気にせず、退路にいるザクセン騎士団に猛攻を仕掛けた。
若王の舅に当たるザクセン公は、兵力のほとんどを対ヴァイキングに充てている為、この戦場に来ている騎士は少数である。
それ故、しばらくの戦闘の後、西フランク軍はザクセン騎士団を突破する。
安心したのも束の間、ルートヴィヒ3世は最後の手持ち部隊を投入した。
何とか編成に成功した重騎兵部隊がシャルル2世を追撃する。
そして、シャルル2世の側近、旗手をしていたレジナード伯爵が討ち取られる。
地に落ちる西ローマ皇帝旗。
勝敗はこれにて決した。
「このまま追撃を掛けるぞ」
アルヌルフの言葉に、フーゴーも異を唱えない。
それは軍事の常識とも言えた。
休戦協定を結ぼうという呼びかけに騙され、現在東フランク連合軍は全体の六割程しかいない。
少数の軍で、運と戦術と「奇襲した筈なのに、髪の軍が待ち構えていた」という心理面でのショック効果によって西フランクの大軍を撃破したのだ。
だが、そのまま帰してしまったのでは、再び体制を整えて攻めて来る。
ここは完膚なきまで叩きのめすのだ。
東フランク連合軍は嵩に懸かって西フランク軍を追撃する。
追撃は二日に渡って続けられた。
トロワ司教、アレドラム伯、アダラルド伯、バーナード伯、エヴァータイド伯と言った西フランク王国の貴族は、森林に隠れてやり過ごそうとした。
だが、何か手柄を挙げて生活を楽にしたい農奴たちに見つかってしまい、武器や貴重品、衣服までも剥ぎ取られ、草や藁で裸体を隠す形で捕虜にされた。
捕虜の中には、王室宰相やゴズリン修道院長という名も含まれている。
捕虜になるのはマシな方であろう。
フランク伯、ジェローム伯、パリ伯、オーヴェルニュ伯、そしてラングル司教といった面々は戦死してしまった。
彼等高貴な人間は、生きるにせよ死ぬにせよ、まだ丁重な扱いをされた方である。
配下の多くの従者や小間使いたちは、久々にゲルマン人らしい蛮性を解き放った東フランク連合軍によって虐殺され、死体からは身ぐるみが剥がれた。
陣に残されていた物資、武器、金銀財宝も東フランク連合軍の手に落ちた。
シャルル2世の惨敗である。
シャルルは首都アーヘンを捨て、リエージュまで逃げてそこの聖ランベール修道院に避難する。
そこで防戦体制を取るが、周囲に兵は無く、全くもって心許ない。
『こんな気分は、以前兄に攻められ、諸侯が全て離反したあの時以来だ……』
シャルルは唇を噛む。
だが、ルートヴィヒ3世は流石にリエージュまで追撃はしなかった。
シャルル2世はどうにか助かったのである。
まあ、助かった後は後始末がのしかかって来る。
身代金を払って、捕虜となった宰相たちを救わねばならない。
全く頭の痛い話であった。
ルートヴィヒ3世は、西フランク王国首都、いや、カール大帝も過ごした「大フランク帝国」の首都アーヘンに入城し、ここで勝利宣言をする。
3日をアーヘンで過ごした後、戦利品を曳いて一旦本国に帰還した。
帰還後、フランクフルトでルートヴィヒ3世は、勝利の祝賀に来たアレマニア王カールと会う。
「兄上、この度は勝利おめでとうございます
んじゃ、帰りますんで」
カールはこんな感じなので、祝賀だけを受けると、その夜晩餐会をして帰りを見送った。
ルートヴィヒ3世はその後、シャルル2世に蚕食されていたロタリンギアの地を奪還に動く。
それだけでなく、西フランク領となっていた地域にも侵攻し、これを占領した。
占領地の仕置きをメスの地で行っていた時の事である。
「申し上げます。
カールマン陛下がおいでになりました」
末弟カールとは違い、ある意味油断が出来ない兄・カールマンがバイエルンからやって来た。
『さて、兄上は何を言って来るかな?』
シャルル2世とは別の意味で、戦後も気を抜けないルートヴィヒ3世であった。
今日はここまで。
明日まで2話投稿でいきます。