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脳筋王子と肥満王~仏独伊が出来た頃の物語〜  作者: ほうこうおんち
祖父たちの世代の物語(西暦875~877年)
7/42

アンデルナハの戦い(前編)

「フフフ……これ程までの軍が集まろうとはな」

 西フランク王シャルル2世はほくそ笑んでいた。

 フランク伯ラガナール、パリ伯アダラール、オーヴェルニュ伯ベルナール、パリ司教ゴスリン、ラングル司教ゲイロといった諸侯が率いる兵力は約5万。

 かつて兄ルートヴィヒ2世に攻められた時は、駆けつける諸侯が全くおらず、ブルゴーニュに逃亡しなければならなかったのが遠い思い出となっている。


 シャルル2世は戦争が弱い。

 故に大軍を動員し、それで押し潰そうというのはちょっと違う。

 彼はこの大軍を、戦わずして勝つ道具にするつもりなのだ。

 メスの地に大軍を進めたシャルルは、東フランク王国の貴族・諸侯・司教区に向けて新しい土地や特権の提供を約束する書状を送りつけた。

 そして

「メスの地にて待つ」

 と記し、彼等の到着を待つ事にする。


 一方、東フランク王ルートヴィヒ3世(若王)は、ケルン大司教ヴィリベルトを招待する。

 この人物は、宗教的に尊敬を受けている所謂「聖人」である他に、現在の教皇ヨハネス8世に対して貸しがあった。

 教皇選出(コンクラーベ)において、既に人望が高かったポルト大司教アンセギスを、教皇の側近に過ぎない助祭長の当時のヨハネスが破った事で

「この選挙には不正があった」

 と噂が立てられた。

 ヴィリベルトはこれに対し

「選挙は正当であった」

 と表明し、いち早くヨハネス8世に忠誠を誓ったのだ。

 この人物は、シャルル2世とも先王ルートヴィヒ2世とも関係があったが、今回ルートヴィヒ3世の味方についてくれたのだ。


 シャルル2世は、東フランクの有力者を味方に付けるに当たり、自己の正当性を示す「プロパガンダ戦」を始めた。

 メルセン条約に遡り、「ロタリンギア王である自分の領土を、東フランク王は不当に奪った」という主張である。

 若王はこれを、ケルン大司教から先んじて聞いていた為、即座に対抗策を取る。

 それが「神の裁き」にその身に受ける事である。




 中世の戦争は、ヨーロッパも日本も「験を担ぐ」。

 吉日を選ぶ、吉兆を尊ぶ、御籤を引く等等。

 ヨーロッパでは、この戦争が神の御心に背いていないかを示すのだ。

 その為の「神の裁き」だが、旧約聖書に倣ったものとも、フランク族の風習とも言われる。

「火の試練」「冷水の試練」「鉄の試練」という3つのテストを行うものだ。

「火の試練」は、日本では今でも寺社で行っている「火渡り」の事で、無事に渡り切れば神の試練に合格したものとされる。

「鉄の試練」は、日本で言えば「火起請」に当たる。

 織田信長もやったという、焼けた鉄を祭壇まで運び切れば神の試練に合格したと判断する。

「冷水の試練」は、中世の魔女裁判でよく行われたものだ。

 川に落とし、沈んだなら人間、浮かんで来たら魔力を使ったから魔女というものだったが、この時代のものはそこまで厳しくはないだろう。

 若王はそれぞれに10人ずつの部下を使い、全員難なくクリアした事で「自分たちの戦いは神の御心に沿ったものだ」と示した。

……まあ、こういう試練用のプロを使ったのだろう。

 日本の「火渡り」も「火起請」も成功するものなんだし、怯えて変に躊躇しなければ何とかなる。

 若王のしたたかな事は、この立会人に「聖人」ヴィリベルトを選んだ事だ。

 説得力が全く違う。

 若王には指示が集まり、シャルル2世の呼びかけに応じる東フランク貴族はほとんどいなかった。


 シャルル2世は宣伝戦の失敗を悟る。

「やるなぁ、我が甥よ。

 だが、まだ戦争は始まったばかりだ。

 戦いとは頭を使ってやるものだよ」

「……陛下の場合、まともに戦ったら勝てませんからな」

「……言うな、フランク伯よ」

 シャルルは一度メスの陣を引き払い、アーヘンに戻って準備を整える。

 兵站というものが存在していない中世の戦争では、長滞在は物資を食い潰す一方である為、本格的な戦争を行う場合一回態勢を立て直した方が良い。


 その間に東フランク王国各国から軍が集結して来た。




「えーっと、来たのか? アルヌルフ」

 若王の陣にいたフーゴーがアルヌルフを出迎える。

 彼等の祖父である先王の人質として過ごしていた時以来の仲であり、親しい関係であった。

 若王の庶子であるフーゴーはアルヌルフと同年代、彼もようやく一部隊の指揮を任されるようになっていた。

「しかし、カールマン伯父上からの援軍を、君自身が率いて来るとは思わなかった。

 庶子とはいえ、王子なんだから挨拶だけしたら帰るんだろ?

 そうであってくれ」

「まさか。

 こんな楽しい事に参加せずに帰る事なんか出来ないよ」

「……知ってたさ、君がそういう奴だって事は……」


 アルヌルフは、叔父の若王に挨拶する。

「フーゴーから聞いた。

 よく来てくれた。

 しかし、7千騎とは随分な数だ。

 それだけ出しても大丈夫なのか?」

「まあ、バイエルンはイタリアの方でしか禿げの領土と接していないのでね。

 そっちからの侵攻は無いから、我々は暇になってしまう」

「そうか、ならば喜んで君を預かろう」

「で、俺は先陣か? 先陣だろ? 先陣に決まってるよな?」

「あのなぁ……、アルヌルフよ。

 うちにはうちの事情があるんだよ」


 封建時代の軍は、王の招集に応じて騎士たちが集結して来るものだから、集結してくれた騎士たちの名誉を重んじてやらねばならない。

 若王の軍では、北方への備えの中で何とか送られて来たザクセン騎士と、主力となるフランケン騎士、マインツ等の司教たちの騎士団、そして王直属軍(パラディン)たちの名誉を調整する必要がある。

 飛び入り参戦の渡りの騎士もいるが、アルヌルフたちもそれと似たようなものだから、彼等は予備軍とした方が良い。

 まして、庶子とはいえ兄の子を最前線で戦死なんかさせたら大変な事になる。


「父上、アルヌルフには私の手伝いを頼みたいが、よろしいでしょうか?」

 フーゴーが若王に提案した。

 この聞かん坊は、何か面白い事をさせておかないと、勝手な行動をしかねない。

 人質時代を共にしたから、フーゴーはよく知っていた。

「よかろう。

 任せる」

 若王はそう答えた後、小声で

「うまく手綱を握っておいてくれ」

 と付け加えた。

 彼も、兄カールマンの好戦さをよく知っていた。

 勝手に戦争を起こし、咎められたら、昨日まで戦っていた敵と手を組んで反撃して来るような男だ。

 その血を濃厚に継いだと思われる以上、誰かの目の届く場所に置いた方が良いだろう。


「で、俺たちの役割は?」

「我々は特殊部隊だ」

「何それ、面白そう」

「そう思っていてくれ」

「よしよし、流石はフーゴー。

 よく誘ってくれた!」

『実際は、お前にとって面白いかどうか分からんぞ』


 更に末弟・アレマニア王カールからの援軍も合流し、東フランク連合軍の兵力は4万8千とシャルルの軍に互する規模になった。

 地の利を見れば、東フランク軍が有利だろう。

 カールは自ら兵を率いていない。

 その気力も統率力も無い。

 舅のノルトガウ辺境伯が代理で5千の部隊を率いていた。



 東フランク連合の兵力を知ったシャルルは、アーヘンを出発しケルンを経てライン川左岸に布陣をした。

「如何しますか?

 敵軍は我々と同程度の戦力ですぞ」

 パリ伯アダラールが指摘する。

「安心せよ。

 敵を打ち破る手立ては考えておる」

「いや、国王陛下は戦争が弱過ぎるから不安しか無いのですが……」

 これにはフランク伯ラガナールやパリ司教ゴーズランも頷く。

「分かっておる。

 私の弱さは、私が一番理解している。

 それを踏まえての策略と思って欲しい」

「まあ、お分かりでしたら、それ以上は申し上げません……」


 シャルルはしばらくこの地に留まる。

 これに対し東フランク連合軍は、夜間に電撃的にアンデルナハの地に進出し、そこに野営した。

 アンデルナハはローマ時代から存在したライン川交易上の要地で、フランク王国時代は国王荘館・王宮のある地として利用されていた。

 この地には過去に強固な市壁が築かれ、今は大分崩れているとはいえ、防御するにも十分である。

 東フランク連合軍が優位な地に布陣したのを見たシャルルは、いよいよ動き始めた。


 まずアーヘンの王宮から、妊娠中の妻リチルドにリエージュ司教フランコンと修道院長ヒルドウィンを付けて避難させる。

 弱腰な姿勢を見せた上で、彼は東フランク連合軍総司令官であるルートヴィヒ3世に休戦を申し込んだ。

 ルートヴィヒ若王は、しばらく考えた後、この申し出を受ける。

 これには「聖人」ヴィリベルトからの忠告もあった。

 聖人だけあり、無闇な戦争を望まず、カロリング一族の平和を願ったのだ。

 若王は単に聖人の提言を受けて休戦をしたのではない。

 彼の軍も大軍であり、主力である騎士の馬の(まぐさ)を十分に蓄えておく必要があった。

 休戦の使者としてヴィリベルトを送る。

 シャルルもこれを受け、ヴィリベルトに対し熱く平和について語った。

 彼は昔の条約通りにロタリンギアを得たい、戦争など望んでいない、騎士たちの名誉の為に軍を率いて来ただけで戦う気は無い、等等。


 こうして一時的に気が緩む瞬間が出来てしまった。

 若王は西フランク軍の攻撃は無いものとし、一部の部隊に食糧や秣確保の為に陣を離れる事を許可した。

 騎士たちは、王国の補給を受けて行動している訳ではない。

 彼等は装備も馬も物資も自弁しているのだ。

 この許可は有り難く、彼等は喜んで物資補充の為に出かけていった。




「アルヌルフ。

 君の部隊は長駆バイエルンから来た。

 物資が足りなくなっていないか?」

 フーゴーの問いに、アルヌルフは目を剥いて反論する。

「馬が動かなければ歩いて戦えば良い。

 秣を採りに行っている間に、戦闘が始まったら来た意味が無い」

「今は休戦協定を結ぼうとしている最中だぞ」

「休戦は成立しちゃいないだろ」

「そうだな」

「禿げは攻めて来るぞ。

 俺の勘がそう告げている」

『うむ……一理ある。

 我が特殊部隊はこのままここに留めておこう』


 戦馬鹿は割と勘が鋭い。

 アルヌルフの直感は当たっていた。

 シャルル2世は、全軍に触れを出す。

「休戦はまだ成っていない。

 しかし敵は油断し、部隊を外に出し、数を減らしている。

 今こそ攻撃の時だ!

 まだ休戦が成っていない以上、決して卑怯なものではないぞ!

 よし出陣だ!」


 西フランク軍は夜半、幾つもの部隊で敵陣を包囲するように進軍を始めた。

 西暦876年10月7日の事である。

※:史料では、アルヌルフのアンデルナハの戦いへの参戦は確認出来ませんでした。

しかし、「参戦していなかった」という記述もありませんでした。

なので、主人公空気過ぎるので、参戦させました。

史実準拠ではありますが、書いてない事多過ぎるので、小説としては面白い方にします。

(史実完全準拠の論文書いてるわけじゃないので)


しかし、中世ヨーロッパの戦争ってこんな感じなのね。

アレクサンドロスやハンニバルの頃より、作戦面ではかなり退化してますね。

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