イタリアにおけるアルヌルフ
皇帝・スポレート公グイード2世の「東フランク軍を打ち破る」策とは、上ブルゴーニュ王ルドルフを動かす事であった。
トランスジュラネ辺境伯ルドルフは先帝カール3世が死んだ際、諸侯に担がれて上ブルゴーニュの君主に担がれた人物である。
元々ルドルフとアルヌルフは対立していた。
ブルゴーニュは、885年のヴァイキングによるパリ包囲の際、カール3世によって
「ブルゴーニュなら略奪しても良い」
なんて言われ、被害を受けていた。
故に、カール3世の甥であるアルヌルフに対しても、少なくとも好意は抱いていない。
そこで、グイードはルドルフと手を組み、彼にアルプスに進出してもらってイタリアに進出した東フランク軍の背後を脅かす作戦を立てたのだ。
ルドルフは戦わず、そこに居るだけでイタリアと東フランク本国とを分断出来るから、嫌がらせとしては最適なのだ。
まず、アルプス山脈の麓に領土を持つイヴレーア辺境伯アンスカーリオに、東フランク王国とイタリアを接続する道の封鎖を命じた。
その上でブルゴーニュの援軍を得て、守りを固める。
如何にパンノニア回りで東フランク王国とは往復が可能とはいえ、迂回路故に時間が掛かるし、直進コースを塞がれるのは心理的に圧を掛けられるだろう。
更に、このまま東フランク軍がローマに向かえば、イヴレーア辺境伯とブルゴーニュ王の軍が背後から襲い掛かって来るかもしれない。
東フランク軍を北イタリアに封じ込める事が可能な策であった。
イタリア遠征軍司令官である庶長子のツヴェンティボルトは、危険を察知してイタリアを放棄、本国に帰還する。
結局迂回路を使い、大回りをする事にはなったが、損害をほとんど出さずに本国に引き返す事が出来た。
小癪なグイードの策を知ったアルヌルフは激怒し、次は自分が出て行ってグイードを叩きのめす事にする。
改めて、占領は簡単だが維持するのは難しく、戦闘以外の要素が重要なイタリアの厄介さを悟ったアルヌルフは、準備を整え終えた翌895年に侵攻する事にした。
教皇の依頼を受けたという形であり、確かに友人でもあるフォルモススを助けたい気持ちはある。
それでも一番の目的はスポレート公グイード。
彼を討ち取れば、教皇の依頼も完遂出来よう。
だが、これは空回りする事になる。
東フランク軍を追い返した直後、スポレート公グイードは病に倒れる。
主君の病気に、スポレート軍の士気は瓦解した。
それでも彼等は戦争を放棄してはいない。
動けない皇帝に代わり、妻のアゲルトルーデがローマに入る。
我が子ランベルトを共同皇帝として戴冠させるよう教皇に強要。
しかし教皇フォルモススはこれを拒否。
彼女は言う事を聞かない教皇を、サンタアンジェロ城に幽閉してしまった。
一方でローマ貴族たちや市民たちに命令を出し、市の防衛隊を組織する。
こうして妻が動いている中、グイードは闘病空しくタロ川付近の陣所で死亡した。
厄介なイタリアの謀略家が死んだ事を、アルヌルフは知らない。
アルヌルフは895年秋、農繁期を終えてからイタリア攻撃に向かう。
今回はツヴェンティボルトが留守番であった。
次代国王は嫡子のルートヴィヒだが、ツヴェンティボルトも共同統治者として、嫡子成長までの間は国を仕切る役割を負わされたのだ。
アルヌルフは正式にロタリンギア副王・共同統治者に任じた長男に向かって
「俺に代わって政治をしよう。
お前なら出来る。
宰相の言う事をよく聞くようにね!」
と後の事は丸投げして、馬に跨った。
後ろで長男が何やら喚いて、曾祖父になるルイトポルドから慰められているが、知った事ではない。
こうして政治的補佐官でもある王妃と主力部隊をパンノニア回りで進発させると、自身は通常の騎兵を率いてアルプスに突入した。
アルヌルフの軍は、槍の密集突撃をする歩兵部隊、多方面での戦いで即応可能な騎兵部隊、戦場において最大の攻撃力を発揮出来る重騎兵とがあるが、今回は戦略機動重視の通常騎兵が正解だろう。
彼は敵の意表をついて、山中に籠る敵軍を攻撃する。
これに敵軍は驚き、イヴレーア辺境伯とブルゴーニュ王はほとんど戦わずに後退を命じた。
その後、ブルゴーニュ王ルドルフはアルヌルフに和平を申し込む。
皇帝グイード2世が死んだ以上、彼にとってこのままアルプスで戦い続ける意味は無かった。
西フランクでは、成長したシャルルを担いで、現在の王であるパリ伯ウードから交代しようという動きも起こっているし、遠方に居るよりブルゴーニュ本国に戻りたかったのである。
ルドルフは、アルヌルフを「フランク王」として諸王の上位に置く事を認め、その下に入る事で和睦した。
「どうせだから、一戦交えない?」
ルドルフにそう言うアルヌルフだったが、返答は「嫌です」であった。
現在、西フランク王ウード、イタリア王ベレンガーリオ、プロヴァンス王ルイ、そしてまだ領地はないが西フランクのシャルルはアルヌルフを「カロリング朝フランク王国」の宗主として認め、東フランク王国を盟主としている。
ブルゴーニュ王ルドルフもこれを認めた事で、彼をフランク王として認めていないのは、イタリア王・スポレート公グイードだけとなった。
グイードを屈服させれば、名目上のフランク王国統一は成る。
交渉で何とか出来るのだが、そこは「交渉よりも戦争」なアルヌルフ、どうせだからグイードを倒す事に決め、部下たちもそれを支持した。
かくしてアルプスを通じて東フランクとイタリアを繋ぐ道は導通し、アルヌルフはそのままイタリアに進撃する。
改めてイタリアに入ったアルヌルフは、フリウーリ伯ベレンガーリオの挨拶を受ける。
「初めまして、フランク王陛下…………あの……痛いです」
「挨拶だよ。
握手は相手の手を破裂させるくらい強く握るものだろ?」
「ぐあああああ、やめ、やめて下さい」
「それでもカロリング家の縁者か!?」
「女系ですから、カロリング家関係無ーい!
ハアハア……。
指の関節が腫れて、握ると痛いんですけど」
「次に会う時までに、イタリア王らしく鍛えておけ」
『いや、王ってそんな化け物じみた握力つける必要ないでしょうに』
ツッコミは内心だけにして、ベレンガーリオは現在のイタリア情勢について、レクチャーを始める。
アルヌルフは、ここでやっとグイード2世の死を確報として知った。
噂こそ聞いていたものの、スポレート軍は士気が下がってはいるが、まだ戦闘態勢であった為、油断ならないグイード2世はまだ生きているものと思い込んでいたのだ。
「であれば、ちょっと過大な軍だったかもしれない」
『本当にそうです!!
この文明の地に、なんで騎馬民族を連れて来てるんだよ!」
アルヌルフは東フランク軍だけでなく、同盟関係にあったスラヴ人やマジャール人も参陣させていた。
そしてマジャール人は、来たついでに喜んで北イタリア各地での略奪を始めた為、アルヌルフの評判を下げてしまう。
とりあえず外面は良いアルヌルフは、マジャール人たちに上手く褒美を与えて帰還を命じ、北イタリア諸侯を物理的に懐柔した。
その間、スポレート軍は戦わずに後退し、本拠地に籠ってしまう。
「グイードが死んだのは、本当の事だったんだな」
アルヌルフは、態勢だけは戦う姿勢ながら、いざ戦おうとすると逃げ出す様を見て、皇帝の死をやっと実感した。
この当時の情報の遅さはそんなもので、真っ先にローマを抑えてアルヌルフの情報源・教皇フォルモススを幽閉し、当時最速・最高精度のキリスト教聖職者ネットワークを封じた皇后アゲルトルーデは見事という他ない。
北イタリアをどうにか掌握したアルヌルフがローマに向かった時には、越年して西暦896年になってしまった。
アルヌルフもいい加減ウンザリして来ている。
こんなに長く、この嫌な地に滞在するつもりは無かったのに。
そしてグイードの妻・アゲルトルーデはローマ郊外に塹壕を掘らせ、籠城態勢に入っている。
更に長期戦になりそうで嫌な気分になるアルヌルフだったが、この戦いはあっさり終わる。
連れて来ていたスラヴ人たちが、退屈しのぎに狩猟を始める。
この時に一羽の兎が、ローマ市内方面に逃げ出した。
それを追いかけるスラヴ人たち。
その必死な形相を見たローマ防衛隊の兵士たちは
「北の蛮族の軍が本気で攻めて来たぞ!」
「もうダメだ、残酷に殺される!」
「死にたくない、助けてくれー!」
そう言って持ち場を放棄し、逃げ出してしまった。
如何にアゲルトルーデが皇后として威厳を示そうとも、女性では軍の統率には限界があった。
もはやローマを守る事は出来ない。
彼女はランベルトを連れて、東フランク軍が攻めて来る前にスポレートへ逃走する。
そしてローマの城門はガラ空きとなっていた。
かくしてアルヌルフはあっさりローマ入城を果たす。
「こんな結末、納得出来るかよ!
上ブルゴーニュも、スポレートも、ローマもまともに戦わない!
一戦させろ!
一戦させろ!
戦わせろよぉぉぉ!
でなければ、焼き討ちさせろ!」
戦いが無かった為、荒れるアルヌルフを皆で宥める。
「マジャール人じゃないんですから!」
「ヴァイキングじゃあるまいし」
「サラセン人みたいな事言わないで下さい!」
蛮族の名前を相次いで出されて、流石のアルヌルフも鼻白んだようだ。
落ち着きを取り戻したアルヌルフは、教皇が幽閉されているサンタアンジェロ城に向かう。
「おお、アルヌルフ殿、よくぞ駆け付けて下さった」
解放されたフォルモススは、旧知の王と会って喜ぶ。
「お久しぶりです、教皇猊下」
ジャブで牽制してからの、投縄打を出すアルヌルフだが、教皇は完全に動きを読んで、優雅にアルヌルフの背後に回り込む。
「貴方は会った時から変わりませんなぁ」
お互いを確かめ合った後、両者は抱擁して再会を祝す。
アルヌルフが締め付けに入る前に、教皇はさりげなく脱出して尋ねた。
「よく来てくれました。
しかし、私との友誼の為だけで、大軍を連れては来ませんよね?」
「借りは返さないと気持ち悪いものでね」
アルヌルフは横を向きながら話す。
絶対にそれだけではないのだろう、明らかに嘘を吐いている。
照れ隠しなのがバレバレだ。
久々に会うとはいえ、アルヌルフは確かに昔のアンセギス卿、今の教皇フォルモススに友情を抱いていたのだ。
フォルモススも、それについて何もツッコミを入れない。
サンピエトロ寺院に戻ったフォルモススは、アルヌルフに冠を授けると言う。
「そなたをイタリア王、そしてローマ皇帝に任ずる」
「嫌なこった」
「そう言うな」
「要らんのだよ、特にイタリア王は」
「どうしてだ?」
「こんな魔境に縛り付けられてたまるか!」
「ローマ皇帝は欲しいのだな?」
「それも要らないけど、持っていて問題は無いかな?
カール大帝と同じであるなら、有ってどうこうって事もないかもしれん」
「なら、皇帝位を授けるが、ローマ皇帝はイタリア王を兼任するのが習わし。
大人しくイタリア王位も貰っておきなされ」
「うーむ……」
「納得し難いかもしれないが、私としても形式通りにしておきたい。
前例から逸脱したくはない」
「まあ、任せた」
「よし、では戴冠式の時は空気を読んでくれよ。
私とそなただけの場だから、馴れ馴れしい口調でも良いが、一応教皇と王という立場があるのですからな」
「大丈夫だ、俺はこう見えて、外面は良いものでな。
亡き父上からも、祖父上からもそうしろって(肉体言語で)教えられたからな」
「それならばよかろう。
では、頼むぞ」
この戴冠式が次の波乱を呼ぶ事になるのを、2人はまだ察せない。
おまけ:
この上ブルゴーニュ王も、後でイタリア王に名乗りを挙げて、イタリア王を巡る戦いは更に複雑になります。
本作のルドルフの子、ルドルフ2世の時に東フランク王国に敗北。
イタリア王の象徴「聖モーリスの槍」を東フランク王国に渡します。
この事で(アルヌルフが生きていたら嫌がるであろうが)東フランク王はイタリア王を兼任する資格を得るわけです。




