ローマ教皇フォルモスス
西暦891年9月、ローマ教皇ステファヌス5世が薨去した。
この教皇はカール3世存命中の885年に選出され、6年もその地位にいた。
前後の歴史を知れば、長期間活動していた事になる。
ただ、彼が選出された当時は、まだ統一フランク王・西ローマ皇帝カール3世に政治や軍事を任せる事でやっていけると思われていた時期である。
肥満王が廃位され、フランク王国が3つ以上に割れ、イタリア王を主張する者が3人現れるという非常時を想定した選出ではない。
当時、余りにもヨハネス8世の「世俗も聖が支配すべき」という派閥と、マリヌス1世やアンセギスの「フランク族の好きにさせた方が良い、あまり聖が俗に関わるべきではない」という派閥の抗争が激しかった為、波風立てない人物が選ばれたに過ぎない。
その中庸な人物が、積極的に俗と関わらなければ教皇領の維持が出来ない時代に、トップを勤めなければならなかったのは苦痛だったかもしれない。
くたびれ果てた教皇は、暗殺でも病死でもなく普通に亡くなった。
そして教皇選択会議が開かれ、ポルト大司教アンセギスが教皇に選出される。
ヨハネス8世と争った872年のコンクラーヴェから19年、その間破門され追放されたり、複数の教皇が暗殺されるのを見たり関わったりしながら、やっと教皇になった。
アンセギスは教皇フォルモススという名乗りに変わる。
この報は、各地のフランク王国系の王たちに伝達された。
「へー、アンセギス卿が教皇にねえ。
まあ、あの人なら分からなくもないけど」
アルヌルフが呟く。
教皇になる前から、アンセギスとアルヌルフは友誼を持っていた。
俗人な聖職者ばかりと思っていたアルヌルフにとって、聖なる雰囲気を纏っていたアンセギスは、確かに信仰するに足る人物である。
これまでの行動も信仰の為に捧げて来たものだ。
そんな人物が、俗を支配しようとしていた当時の教皇を手にかけようとした覚悟、自分の手を汚す事を厭わないその心に、アルヌルフは感心し、友誼を結ぶ事を承知してのである。
以降も折りを見ては連絡を取り合い、昵懇の仲と言える聖職者だ。
「まあ、あの御仁なら大丈夫だろう」
アルヌルフはそう考える。
こう考えるのはアルヌルフだけで、他は違う思いを抱いている。
東方においては聖人中の聖人であった。
スラヴ人やブルガリア人に神の教えを広め、王たちもその人柄に敬意を抱いている。
多くの者たちが、自分の住む地の司教となり、いつまでも留まって欲しいと思っていた。
しかし、イタリアにおいては違う。
キリスト教にすっかり支配されているイタリアにおいて、聖職者とは自己の利害に絡む役人に過ぎない。
教会の中で高位の職に就き、政敵の足を引っ張り、利益のある役に手下を入り込ませ、人事の為に多数派を形成する、そういう教団のドロドロした部分を地域スケールでやっているのがイタリアの地なのだ。
それからしたら、皇帝という役職を得たグイード2世にとって、教皇フォルモススは自分の為に動くか、政敵になるかという関心しかない。
故にグイード2世は、様々な形でフォルモススに圧を掛け始めた。
西方においても、フォルモススは便利な道具扱いである。
思い起こせば、彼がかつてシャルル禿頭王を西ローマ皇帝にしたのだ。
であるならば、彼を利用すれば自分も西フランク王になれるだろう。
そういう事情もあり、カロリング家のシャルルとその母親アデライード、そしてカロリング家の復活を願う者たちが教皇に接近し始める。
一方の現西フランク王ウードも、シャルル派の動きを封じるべく、教皇を自分の派閥に引き込もうとする。
そしてローマ教会内では、正直なところ
「政治力を発揮して、混乱を極める現在の状況に対応していって欲しい」
という願いを託されている。
一部の者は、かつてのヨハネス8世暗殺に、当時のアンセギスが関わったかもしれないと感づいていて、いざという時そういう事が出来る俗世の才覚にも期待をかけていた。
東方において只管伝導活動に人生を捧げていた聖人は、俗世の垢の方からやって来て付着され、不本意な生き方を強要される。
ローマ教会の中で、自分の信頼出来る人物が実権を握った事も手伝い、アルヌルフは久々に政治的な事を行う。
交渉をしない人物と言われているが、時と場合による。
アルヌルフはグイード2世に対し、匿っている反乱者ベルンハルトを差し出すよう要求した。
グイード2世はそれを拒むも、当のベルンハルトの方が故郷に帰りたがった。
ベルンハルトは教皇フォルモススに仲介を頼む。
アルヌルフは教皇から送られて来たベルンハルト赦免依頼の手紙を読むと
「どうやら随分と反省しているようだな。
許してやっても良いんじゃないか?」
と上機嫌になっていた。
フォルモススからの話では、やはりまだ少年だけあって、聖職者の前で泣き崩れて許しを請うたという。
基本的にカロリング家の者には甘いアルヌルフは、ベルンハルトを許すつもりなのだが、諸侯がこれに待ったを掛ける。
「あの者は反乱の張本人。
許すとか、示しがつきません」
「そうです。
またアレマニアの者が反乱を起こす事も有り得ます」
「身内だからと、甘い事は無しですぞ」
そう主張するも、彼等にもアルヌルフを攻め切れない。
これは政治的な面と私的家族的な面とが並立していたからだ。
政治的な話なら、アルヌルフは議会には逆らわない。
自分の政治力皆無を自覚している為、何事も諸侯との合意形成で内政・外交・宗教行事を行っている。
アルヌルフが独裁権を持つのは、軍事権だけであった。
裁判については、アルヌルフと諸侯は半々である。
王の裁量で決める事もあるし、議会に委ねる事もある。
そして「東フランク王」という立場と共に、現在カロリング家の家長手にな立場としては、アルヌルフには家庭の問題としてベルンハルトの処置を決める権限があった。
それ故、「反乱人」の処遇であれば諸侯たちにも配慮するが、カロリング家の一員としてのベルンハルトの処置については、アルヌルフも頑として譲らない。
公私の区別を付けづらい時代、王に絶対的な権力が無い中世ヨーロッパならでは、といった拗れであろう。
「それこそ、アンセギス様……いや教皇猊下に頼んでみたら如何でしょう?」
助け船は側近中の側近、ルイトポルドから出された。
「どういう事だ、祖父さん」
「いえ、陛下も諸侯も言い出した以上、後には引きにくいじゃありませんか。
だったら、誰もが納得する第三者に間に入って貰うのです」
「うん……」
「何か不満でもあるのですか?」
「聖職者に借りを作ると危険かな、と思ってね」
「それを盾にするような教皇猊下ではありますまい。
あと、陛下としても借りなんて無視しそうなものですが」
「それは違うぞ。
借りは返しておかないと気分が悪い。
例え返せと言われなくても、俺としては返すべきだと思っている」
妙な所で義理堅いのである。
『そういえば、亡き御父上カールマン陛下も、借りは必ず返す主義だったなあ』
父子の似た部分を思い、なんだか泣けて来たルイトポルド爺さんであった。
そしてベルンハルト、アルヌルフ両人から頼まれたフォルモススは、苦笑いして応じる。
これも教皇の政治利用には変わらないが、仲直りする為に骨を折ってくれなんていう依頼なら、喜んで頼まれようじゃないか。
「相変わらず、武人らしい真っ直ぐな方だ、アルヌルフ殿は」
そう呟きながら、フォルモススは助祭に命じて、非公式の教皇書簡を作る。
『咎人ベルンハルトは神に対して懺悔した。
神は咎人ベルンハルトに幾ばくかの苦行を課した。
そしてベルンハルトは免罪された。
地上の何人も、これ以上の罪を問える事は無いだろう。
ベルンハルトは故郷に戻り、その地で天に召される日まで過ごされるように』
一応書簡通り、ベルンハルトには神への奉仕活動が課され、それを成し遂げてもいた。
これが提示されると、バイエルンの他、ロタリンギア、ザクセン、フランケン、そしてアレマニアの諸侯全てがベルンハルトの帰還を認める事にする。
アルヌルフも安心し、和解の書状をベルンハルトに送った。
ベルンハルトも謝罪と降伏の書状を送って来た為、全てのけじめが着く。
ペナルティとして「ロタリンギア副王」の件は無しになったが、それもやむを得ない。
ベルンハルトは晴れて東フランク王国に帰って来た。
だが、アルヌルフは気づいていない。
自分が脳筋なのだから、部下や諸侯だって似たようなものだという事に。
謀事が多い西フランク王シャルル禿頭王の下では、諸侯も同じように謀議好きになる。
裏の仕事や、経済・信仰とも関わる駆け引きが盛んなイタリアでは、全体的にそうなってしまう。
だから、東フランク諸侯はアルヌルフから伝えられた教皇の考えを聞いて、こう思ったのだ。
「『故郷に戻り、その地で天に召される日まで過ごされるように』
これは、故郷の地で殺して、神の御許に送っても良いって事だな」
と。
ここまでのローマ教皇まとめ:
第107代 ヨハネス8世(在位872-882、暗殺死)
第108代 マリヌス1世(在位882-884、変死)
第109代 ハドリアヌス8世(在位884-885、暗殺死)
第110代 ステファヌス5世(在位885-891、自然死)
第111代 フォルモスス(在位891-???)




