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脳筋王子と肥満王~仏独伊が出来た頃の物語〜  作者: ほうこうおんち
脳筋王の時代、そしてその次の時代へ(西暦889年~899年)
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東フランク王アルヌルフの治世

 東フランク王国には多数の都がある。

 王都としてはフランクフルト、カール大帝の都であり「帝国」の都としてはアーヘン、祖父ルートヴィヒ2世の離宮としてコブレンツ、バイエルンの地方首都レーゲンスブルク等である。

 亡きカール3世は、アルザス地方のセレスタに自分の宮殿を造っていたが、彼の廃位によってそれは廃棄される。

 新たに東フランク王となったアルヌルフも宮殿建設を行う。


「レーゲンスブルクに宮殿を造り、そこに政府を置く!」

 彼は王宮、政府庁舎、教会、父祖の墓地と連携した設備の建設を命じた。

 そして彼はレーゲンスブルクで議会を開く。

 そこで彼は、王位継承の後の封建領主としての契約を諸侯たちと取り交わした。


 アルヌルフの封土叙任にはある特徴がある。

 聖職者も領主となるが、そうでない世俗の領主も多い。

 彼は世俗の領主たちに手厚かった。

 意外な事に、東フランク王国歴代王の中で、いやこの時代の為政者の中で、アルヌルフが最も多くの文書を発給している。

 彼は脳筋であるのに、臣下の統治に対し文書をもってシステマチックに行っていた。


「陛下、逃げない!

 文書は減らさない限り、どんどん増えて付きまとって来ますぞ!」

 という書記官アスペルトが王をどやしつける声は聞こえなかった事にしておこう。


 ただ、アルヌルフは先代カール3世の宮廷の文官たちを解雇せず、そのまま自分の官僚として雇用しているのは確かな事実であった。


 一方で聖職者に対してもぬかりは無い。

 叙任した司教たちを統制下に置き、国政に関わる多くの教会会議を主催した。

 司教たちもアルヌルフとの関係を重視し、積極的に彼を指示するようになる。


 そんな中、宰相のマインツ大司教リュートベルトが死亡してしまう。

 アレマニアの貴族の出身で、863年にマインツ大司教になって以来、26年に渡って大司教の他、王の補佐官や宰相を勤め上げた功労者であった。

 アルヌルフは、書記官のアスペルトをレーゲンスブルク司教に任じ、同時に宰相にした。

 書記官としては公証人であるエンギルペロがその任に当たる。


 アルヌルフの人事には一つの特徴がある。

 それは、これまで彼に反発して来た者も、積極的に重職に就けている事だ。

 元々彼は私生児であり、王となる事も領地を相続する事も出来なかった。

 それ故に彼を馬鹿にしたり、いざ実権を握るとなると離反した者もいる。

 そんな彼等を咎める事なく、指導者的役割に任じた為、多くの諸侯は彼を支持するようになった。


「陛下、むしろ自分の気に入らない人を重用する方が、人は陛下の公平性を信じますわ」

 と進言する15歳くらいの女の子の言葉も聞こえなかった事にしよう。


 ただ、彼も就任初年に何もかも成功していた訳ではない。

 ザクセン奥地に住むスラヴ系のオボトリート族に対する遠征は失敗した。

 ザクセン貴族たちに乞われてのものだったが、道が不案内だった事と準備不足な事で、地の利を得たオボトリート族に敗北したのだ。

 再戦を望むアルヌルフに対し、キリスト教関係者が

「彼等はまだ古い信仰の者たちだから、しっかり帰依させたい」

 と申し出て、彼等が交渉をした結果、東フランク王の支配下に入るという事でどうにか落着した。

 オボトリート族はカール大帝の時代からフランク王国の同盟者であり、無理に攻める必要は無かったというフランケン貴族に対し、領土的野心を持つザクセン貴族は反発する。

 貴族間の利害対立に戦意を削がれたアルヌルフは、オボトリート族の形式的な臣従を受け容れて、さっさとバイエルンに戻ってしまった。


 また、西暦889年5月に、プロヴァンス王ルイの母親、エルメンガルドの訪問を受けていた。

 エルメンガルドは、イタリア王にして西ローマ皇帝だったロドヴィコ2世の娘である。

 教皇ヨハネス8世の計らいで、西フランク王国から分離独立したプロヴァンス王ボソに嫁いだ。

 この中フランク王ロタール1世という、カロリング家では長男の血筋の女性は、アルヌルフを上位とする同盟を申し込む。

「私は元々イタリア王の血筋。

 我が子にはイタリア王となって欲しいのです。

 決して東フランクとは争いません。

 貴方様を盟主とし、臣従しますので、どうか我が子ルイの庇護と支援をお願いします」

 そう申し込むエルメンガルドに、アルヌルフは折れた。

 彼はどうも、押しの強い女性に弱かったりする。

 アルヌルフの後援を取り付けたエルメンガルドは、イタリア王を要求し始めた。

 これが混乱の一因となるのだが、アルヌルフはそこまで深く考えていない。




 イタリア王は現在、ベレンガーリオ1世という、フリウーリ辺境伯がなっていた。

 彼は同じ女系でカロリング家と縁があるスポレート公グイード2世と密約し、スポレート公が西フランク王を目指すから、自分がイタリア王となるという事にしていた。

 既成事実を積み上げてイタリア王となったのだが、そこに西フランク王になり損ねたスポレート公が戻って来る。

 スポレート公は改めてイタリア王を目指し、ベレンガーリオ1世と争い始めた。


 サラセン人が再びラツィオの海岸に現れる。

 これに対し、スポレート公が出動して撃退をした。

 この戦いでローマの支持を得たスポレート公はベレンガーリオ1世に戦争を仕掛ける。

 トレッビア川の戦いでスポレート公はベレンガーリオを徹底的に打ち破ると、そのままイタリア王国首都パヴィアで会議を開き、自身をイタリア王に指名させた。

 だがベレンガーリオも廃位されたのではない。

 教会はここで妙な原理主義を出し

「教会によって戴冠した王は、破門によってしかその地位を失わない」

 とした為、イタリアにはスポレート公グイード2世と、フリウーリ辺境伯ベレンガーリオ1世の2人の王が並立する事になる。

 そこにプロヴァンス王ルイも、祖父ロドヴィコ2世の血筋という事でイタリア王位を要求して来た。

 競争者が3人になったのである。

 この混乱に対し、グイード2世は教会に対し、自らを西ローマ皇帝とするよう強要し始めた。

 教皇ステファヌス5世はアルヌルフに救援を求めるが、彼は忙しかった。

 何よりアルヌルフは、イタリアの揉め事に首を突っ込む意思がない。

 混乱の一因を作ったのもアルヌルフなのだが、基本彼はイタリアの複雑怪奇さに辟易し、放置を選択する。

 結局教皇は、俗世の権力に屈してグイード2世にローマ皇帝の冠を授ける。

 権威と軍事力という点で、グイード2世が数歩リードした。


「しかし、余計な火種をばら撒いてくれたものよ」

 グイード2世は、アルプス山脈の彼方に居るアルヌルフに対し不満を持つ。

 奴がプロヴァンス王をイタリア王にする事に手を貸さなければ、イタリア王争奪戦は三つ巴にはならなかったのだ。


「これはちょっと反撃しないと気が済まない」

 そういうグイード2世を周囲は諫める。

 イタリアに敵が2人居るのに、更に敵を増やしてどうするのか?

 アルヌルフは北イタリアを更に北上し、アルプス山脈を越えないと攻められない。

 南イタリアのスポレートに本拠地があるグイード2世が攻めるには、障害が多過ぎる。

 その上、アルヌルフは先年こそ失敗したが、スラヴ人との戦争を続けて来て、軍事的には非凡な人物であるし、東フランク王国軍も大軍である。

 イタリア王・西ローマ皇帝なんて言いながら、実質はイタリアの一諸侯に過ぎないグイード2世の勝てる相手ではない。


 色々諫言されたグイード2世だが、顔には悪い笑顔が貼り付いたままだ。

「君たちに言われるような事は百も承知だ。

 一体誰が、東フランク王を攻めるなんて言った?」

「ではどうするのですか?

 反撃するとか言っていましたよね」

 フフフと笑うとグイード2世は考えを示した。

「あの者には、イタリア王位争奪戦に余計な者を突っ込まれた。

 私も同じ事をするんだよ。

 東フランク王位も争奪戦となれば良いのだ」


 こうして東フランク王国にも火種が飛ばされる。

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