東フランク王国の3兄弟
アルヌルフが父カールマンと会うのは久しぶりの事であった。
「久しいな、アルヌルフ!」
「父上こそお変わりなく!」
父子は抱き合う。
ミシミシ……
ギシギシ……
「ア……アルヌルフ……大分力が強くなったな……」
「ち……父上こそ……相変わらずの剛力……」
お互い相手の背の部分で両手を組み、鯖折りを仕掛けている。
「アルヌルフよ……そろそろ父の勝ちを認めても良いのだぞ」
「父上こそ、顔が紫色になって来ましたぞ。
負けを認められては……」
「ナメるなよ、王族たるもの、周囲に弱みは見せられぬものぞ」
「それは俺こそ同じ事。
私生児たる俺は、ナメられたら生きていけぬ」
「なに?
お前をそのように扱う者が居るのか?
そんな奴は締め殺してやろう!」
バキバキバキ……
「その前に俺を締め殺す気ですか?
もう俺も全力出しますぞ」
「さっきから全力の癖に、何を言っておる」
ゴキバキゴキ……
「やめなされ!
力試しなら別の機会になされ!」
フルダ修道院長ジギハルトが、十字架を指の間に3本挟んだ拳で両者に一撃を食らわし、背骨折りを強制的に終わらせた。
彼は「戦う司祭」ではないものの、脳筋のこの父子を止めるには多少の暴力も「それ以上の惨劇を止める為の、神の御心」として許されるものと勝手に解釈していた。
……そうしないと、どうにもならない。
とりあえず落ち着いた所で、カールマンの軍はイタリアに向けて南下する。
彼の称号は「バイエルン副王」であり、現在のドイツ南部を父の共同統治者として治めていた。
イタリアに行くには、アルプス山脈をどうにかしなければならない。
「我々の言語には、迂回とか後退とか、まどろっこしい言葉は存在しない」
「流石父上!」
「ヒャッハー、副王様の命令だ!
道すがら略奪しながら突き進もうぜ」
「イタリアに入ったら、とりあえず何を取ろうか?」
「そんなもん、着いた時に考えろや」
脳筋の軍は直進してイタリアに向かう。
『やれやれ、これは私がしっかり道案内をしないと、道を無視して直進行軍しかねない』
ジギハルトはこめかみの辺りをもみもみしながら、この軍の案内を勤める事になる。
アルプス突破は、実はそれ程難しい事ではない。
古来より道がちゃんとあるのだ。
一般に言う「アルプス越え」というのは、知らない道を踏破して敵の意表を突く事である。
今回、東フランク王国バイエルン軍団は、ちゃんとした道を進んで行った。
ハンニバルの真似をしたがり、山を跳び谷を越えイタリアの町にやって来た、をしたがる父子をどうにかこうにか制御しながら。
普通、山道を進む軍の存在を知った場合、防御側は隘路で待ち構えるものである。
しかし新皇帝シャルル2世はそうしなかった。
出来なかった。
シャルルの兄「ドイツ王」と呼ばれた東フランク王ルートヴィヒ2世が、再度西フランク王国に侵攻をした為、シャルルはイタリアを離れて国に戻っていたのである。
こちらは現在の南仏プロヴァンスを領有している為、苦労せずに帰国可能であった。
シャルルが残していった義兄ボソと、東フランク王国軍は対峙する。
だが、カールマンは攻撃に出なかった。
「最も好戦的な奴」と後世評されたカールマンであるが、流石に司教たちが見ている中で野蛮な事は出来ない。
……一度、某司教を会った時に、抱擁しながら
「俺が先帝の意中の後継者であったと、認めて欲しいなっ!」
と言いながら相手の背骨を鳴らすのを見たジギハルトが、カールマンに代わって全ての面倒事を行うと説得し、カールマンは軍営に籠る事になった。
ジギハルトは聖クレメンテ修道院を通じて、
「バイエルン副王カールマンこそ、ロドヴィコ2世の正統な後継者である」
と宣言させる。
これに対し西フランクのボソは、ある意味もっと効果的な手を使った。
シャルル2世は既に、南イタリアの統治権をローマ教会に移譲させている。
ボソは更に教会に対し、莫大な金・銀・宝石をばら撒いている。
この俗物的なやり方に、筋道立てたジギハルトの方法では太刀打ち出来ない。
「だから、焼けばいいじゃん、殺せばいいじゃん、奪えばいいじゃん」
アルヌルフのボヤキに、カールマンは拳の一撃を食らわす。
「何とかしたらいいじゃんとか、そんな言葉を使うな。
いいか、フランク族は、その言葉を頭に思い浮かべた時には実際にやっちまって、もう既に終わってるんだよ!」
「そうだった、すまねえ父上。
よし、今から一緒に、これから一緒に、略奪に行こうぞ!」
「待って下さい!
これから貴方たちの領地になるかもしれないのに、自領から略奪するんですか?」
「うん」
「それが何か?」
『駄目だこいつら、早く何とかしないと……』
こんな脳筋父子の略奪を防いだのは、フルダ修道院長ジギハルトではなく、王国宰相でもあるマインツ大司教リュートベルトからの急使であった。
「なんと!
父上が倒れた?」
「え、祖父様が?」
「急ぎ国に戻らんと」
「いや、祖父様が死んだんじゃなければ、このままここで略奪して行っても」
再びカールマンの拳骨が飛ぶ。
「言っただろ!
俺たちフランク族は”奪いに行こうぜ”じゃないんだ、”もう奪った”なんだよ。
さっさと帰って相続会議に参加しないと、勝手に領土を奪われてしまうんだよ」
「……理解しました。
祖父様が手をこまねいている間に、禿叔父に奪われたイタリアみたいになるんですね」
「そういう事だ。
愚弟に奪われる前に帰るぞ!」
こうして何の成果も無くカールマンはイタリアの地を離れた。
ルートヴィヒ2世にも3人の子がいる。
揃って父に反乱を起こしたろくでなしどもだ。
長男のカールマンの場合は
「勝手に外国を攻めてやったぜ」
を咎められた為、その外国であるモラヴィアと手を組んで反乱を起こしたものとなる。
次男のルートヴィヒ3世の場合は、ちょっと厄介な事情だ。
ルートヴィヒ3世はザクセン副王として、父と同じ共同統治者となっている。
このザクセンは、カール大帝の征服以前は伝統的なゲルマン宗教を信じる、キリスト教徒から見たら「異教徒」サクソン人の国であった。
このザクセンを服属させ、そこの有力者をザクセン公として封じたのだが、ルートヴィヒ3世の妻のそのザクセン公の娘である。
統治に当たって現地の有力者の娘を娶るのは悪い事ではないが、問題はこの妻リウトガルトが極めて野心家であった事だ。
妻の実家のザクセン公の後ろ盾を得て、ルートヴィヒ3世は父に逆らっているのである。
故に、現王はルートヴィヒ3世とリウトガルトとの間の子を人質として差し出させるつもりだったが、875年時点で子は娘のヒルデガルドしかいない。
そこで私生児、リウトガルトの子ではないヒューゴーを人質にしていたという事になる。
ルートヴィヒ2世は、カールマンよりもルートヴィヒ3世の方を警戒し、ヒューゴーは今でも手元に置いていた。
もう一人、弟がいる。
それがカールである。
この人物、幼い時に「悪魔憑き」になってしまった。
現代の病理学で判断すれば、てんかん発作であった可能性が高い。
この時代で幸いである。
悪魔憑きはお祓いだけで済んだのだから。
もっと後の世だと、火あぶりにされたり、終生人目につかぬよう幽閉されてしまっただろう。
カールはその後、ちゃんと王国の分割相続の対象者の一人とされている。
しかし、彼は兄たちのような共同統治者・副王にはされず、ブライスガウ伯として諸侯の一人となっていた。
一度の悪魔憑きの結果、
「非常にキリスト教的で、神を畏れ、心から神の戒律を守り、教会の命令に非常に忠実に従い、施しを惜しまず、絶えず祈りと歌を実践し、常に神を讃えることに熱心」
という人格になっていた。
……群雄的な視点で見るなら、灰汁の無い、敬虔なだけの無能者とも言えよう。
だが、父に何かあった場合、次兄のルートヴィヒ3世が末弟のカールと、その家臣たちを抱き込んで領土配分に利用するかもしれない。
カールマンはそれを警戒し、急ぎ父が担ぎ込まれたフランクフルトに急行する。
東フランク王ルートヴィヒ2世は、まだ死んではいなかった。
しかし、何度も繰り返し患って来た全身麻痺が起こっていて、今度は復活しないかもしれない。
本人もそれを分かっていたのだろう。
寝所に駆け付けた3兄弟を前に
「わしが死んだ後の相続について、今決めよう。
というか、既に決めたから、伝える。
宰相もいる事だし、これは王国の決定であると共に、神も照覧された事となる。
文句言うなよ。
絶対後から揉めるなよ。
いいか、不満持って戦争すんじゃねえぞ」
王は子供たちをギロリと睨みながらそう言った。
離れた場所で聞いていたアルヌルフは
『やるなよ、やるなよって言うのは、必ず起こるって事だよな!
父上と叔父たちとの戦争が起こるって事か?』
と、不安と期待と血の滾りを覚えるのであった。
ザンクト・ガレン修道院のノトケルは、カールマンを
「bellicosissimus(最も好戦的な奴)」
と評したそうです。
おまけ:ザクセンに布教したキリスト教
「イエス・キリストとは戦士なのだ!
バルタザール、メルキオール、カスパーも東方から来た三戦士なのだ!
軍神たる唯一神の為、今日も神の子キリストは戦う。
そう、オーディンの子のトールのように!」
どう読んでも異端です、ありがとうございました。