雑感:フランク王国と宗教
(作者の私見入りまくりです)
フランク王国はニケーア派(いわゆるアタナシウス派)キリスト教の国である。
しかし、ゲルマン民族には第1回ニケーア公会議で異端とされたアリウス派が広まっていた。
一般に「ローマ内で布教禁止となったからゲルマン人社会に活路を見い出した」とされるが、どうも違うようだ。
元々のキリスト教はアリウス派的な「キリストは唯一神ではなく、その御子であり神性は有する」といったもので、後から「キリストは神・人・聖霊である三位一体」という概念が出来た。
だから、ゲルマン人への布教の段階ではアリウス派的なものであり、その時はローマ帝国内でも同じであったが、後から異端とされローマ帝国内はニケーア派のみとなった。
「アリウス派的なもの」と書いた。
実はアリウス派について調べたが、資料がさっぱり無かった。
教義的な問題で、「キリストは唯一神の創りし者」か「キリストは神そのものであり、人性も有し、聖霊でもある」という違いでしか語られていない。
アリウス派は、ゴート語に翻訳を行った為、それがゲルマン人への布教に一役買ったともされる。
そんなものなので、史料の残骸からアリウス派について妄想してみた。
史料は断片的にあるが、学術論文じゃないので正しさは保証しない。
キリスト教は、様々な思想を吸収している。
クリスマスというのはミトラ教の冬至祭を取り込んだものだ。
マニ教の影響を受けたグノーシス主義なんてのも一時存在した。
聖母マリア崇拝も、公式には認めていないが、多神教の影響と言えよう。
イスラム教からツッコミ入れられるまでは、聖像という偶像崇拝に近い事もしていた。
そんな感じで、ニケーア派こと正統はギリシャ及び東方の影響を受けている。
「三位一体」なんてものは、ギリシャ哲学のようなものだ。
ロゴスという概念はギリシャ哲学から取り入れたものだ。
ギリシャの地・コンスタンティノープルに首都を移したコンスタンティヌス大帝は、古きローマの影響を嫌っていた。
その為、ギリシャ哲学的なニケーア派の方を正統としたが、コンスタンティヌスの子のコンスタンティウス2世はアリウス派を優遇し、アタナシウス司教を迫害もしている。
皇帝にとっては、正しいかどうかより「好きか嫌いか」であったようにも見える。
作中、ザクセンに広まったキリスト教の解釈「キリストは戦士なんだ」というものを「後書き」でネタにした。
冗談ではなく、古ザクセン語で書かれた叙事詩『ヘーリアント』に書かれている話。
よく言われる日本にキリスト教が来た時の逸話
「おらが改宗して救われるのは分かった。
だけんど、おらの親たちはどうなんだべ?」
「洗礼を受ける前に死んだので、救われません」
「それ、おかしくね?
んだば、おらは親父たちと同じ地獄の方さ行くべや」
というもの、これはゲルマン人への布教の時の話と言われている。
ゲルマン人に広まったキリスト教が、現地化されていないとは考えにくい。
そうやってちょっとずつ現地に受け入れやすく変えて来たのがキリスト教で、それ故に異端を決める公会議を何度もして来たのだから。
作者は、ローマ帝国に居た頃と、公会議後に積極的にゲルマン人に布教した頃でアリウス派は変化したように考える。
ゲルマンの文化と混合したアリウス派。
ギリシャ哲学と混合したニケーア派。
特にゲルマン化したアリウス派からしたら
「三位一体とかよく分からん事言ってる方が異端だろ。
勝利の神キリストへの冒涜だ!
神の子が神で、絶対的な神の創造物で何かおかしいのか?
オーディン神の子のトールも神なんだから、不思議はない」
となる。
まあ、正統からしたら
「だから、それは多神教になるから、唯一父なる神のみという教えに悖る」
となり、両者は相容れなくなる。
前提、おしまい。
フランク王国に話を戻すと、さっさと正統派に改宗したフランク族の中の、サリー・フランク族からしたら、教会と手を組んで教化という名の勢力拡大をさせるのは、
・古いゲルマンの宗教を信じる者たち
・ゲルマン化したアリウス派を信じる者たち
・スラヴ人の諸族それぞれの宗教を信じる者たち
となるだろう。
西フランク王国は、相手はノルマン人、即ちヴァイキングだけになる。
東フランク王国は、ザクセン人、バイエルン人を抱え、スラヴ人やヴァイキングと相対する。
イタリア王国やローマ教皇領は、同じ宗教を信じる者たちしか住んでいない。
となると、地域ごとの意識の違いが生じる。
また、ローマ教会の方もゲルマン人用に軟化したかもしれない。
聖像の問題では、明確にコンスタンティノープル教会と対立している。
なお、まだ大分裂が起きていない為、ローマもコンスタンティノープルも両方とも正統であり、カトリック、正教会とはあえて書かない。
ローマ教会の方が、大きくゲルマン人に歩み寄ったのは「聖職者の妻帯」かもしれない。
コンスタンティノープル教会の方では、在俗の者を除き妻帯は禁止である。
ローマの方は、1139年の第2ラテラン公会議まで明確に禁止はされていない。
司教級が妻帯出来る、これはフランク王国とは相性が良い。
フランク王国は、有力者を司教として教区を支配させていたからだ。
これが無ければ、カロリング家の祖・アルヌルフはその代で終わっていた事になる。
また、私生児に対してもある程度緩かった可能性がある。
完全に「存在してはならない」のであれば、カール・マルテルですら許されなかった。
古いキリスト教だと、離婚はダメだが、重婚は特に何も言っていない。
元々が中東地域で誕生した宗教であるのだし。
一夫一妻は相続権の問題でローマが言い出してる話で、ゲルマン人も一夫一妻だ。
だが、これと分割相続とは相性が悪い。
想像だが、古いアリウス派は婚姻に関してストロングスタイルだったかもしれない。
嫡子しか認めない、愛人とか絶対ダメ。
そうして肉欲を忌避する思想と、ゲルマン人の「二十歳までに童貞は捨てるな」という質実剛健な思想は相性が良かった。
ローマ教会がその辺を緩めた事が、改宗したフランク王国の隆盛と混乱を招いたのかもしれない。
そして、キリスト教もゲルマン人の風習も、女性の相続を認めていない。
婿養子なら問題無し。
故に、幼い王子に代わって母親が王となる事は無く、黒幕として暗躍するしかない。
シャルル2世の後妻リチルドや、ルートヴィヒ3世の妻・リウトガルトは、そういう形でしか活躍出来ない事になる。
以上、話には関係無い部分は勝手解釈、話に関係する部分は今後の為の説明でした。
前半の勢力範囲の変遷と、後半に向けての予備知識回終わり。
明日からまた17時に投下します。




