フランク王国統一
ローマ教皇マリヌス1世は、かつて先代教皇ヨハネス8世の側近であった。
しかし、ヨハネス8世に対し追従出来ない部分も持っている。
それがコンスタンティノープル総主教・フォティオス1世に対する姿勢である。
マリヌス1世は、破門を武器にキリスト教会に君臨した前任とは違い、温和で協調性に富んだ人物である。
しかし、ヨハネス8世が復位させてやったにも関わらず、背任的な行動をしているフォティオスに対しては敵意を向けている。
かつてコンスタンティノープルに赴いた際、30日も拘留されてしまった事も、彼を反コンスタンティノープル派としていた。
マリヌス1世はフォティオスに対し、破門状を叩きつけている。
こうして東ローマ帝国及びコンスタンティノープル教会に対し、どうにか影響を及ぼしたいヨハネス8世の考えに同調する者もいる中、マリヌス1世は反コンスタンティノープルの一派を率いる事になる。
当然マリヌス1世にも世俗の味方が必要である。
彼は協調路線を推し進め、西フランク王カルロマン2世、東フランク王カール3世と親和を図っていた。
それにより、激動の西暦882年とは裏腹に、883年は落ち着いた年となる。
まあ、それは死亡・相続・国境変動というものが無かっただけで、各国の王はそれなりに忙しかった。
西フランク王国では、再度のヴァイキングの侵攻に遭い、今度はカルロマン2世が敗北した。
カルロマンはヴァイキングに銀12,000ポンドを支払い、ソンムより退去して貰う。
一方、東フランク王国では、アルヌルフがモラヴィア王国との戦いを止めない。
カール3世とアルヌルフの不仲は決定的なものとなっていた。
教皇マリヌス1世は両者の仲を取り持ち、アルヌルフに戦争を止めるよう訴えている。
そんな、とりあえずは穏やかな883年が過ぎ去ると、またも激動の年が明けた。
「なんだと?
教皇猊下が崩御された?」
アルヌルフですら驚く報が、個人的に友誼を結んでいるポルト大司教アンセギスから届けられた。
使者は、詳細を知らされており、質問があれば答えるとの事。
「死因は?」
「変死です」
「暗殺されたな?」
「恐れながら、至高の暗殺とは、暗殺されたと気付かれない事です。
ヨハネス8世猊下の場合、暗殺されたと世に示すのが目的なので、あれは至高の暗殺ではありません」
「そうか。
あの先代教皇の暗殺は誰もが何となく納得したのだから、あれが究極の暗殺かと思ったが、それより上があるのだな?」
「まあ、暗殺云々は止めましょう。
私も神の使徒なのですから」
「よし、では新しい教皇はどのような方か?」
「それが……その……アルヌルフ殿下によく似ておられると言いますか……」
新教皇ハドリアヌス3世は、極めて暴力的な人物であった。
それは彼の出自によるものかもしれない。
彼は低い身分からヨハネス8世によって引き立てられ、ヨハネス8世が思い上がって世俗をかき回すようになってからも彼を信奉していた。
よってヨハネス8世の「世俗を聖人がコントロールする」「コンスタンティノープル教会とは宥和的に接する」路線の継承者であり、それに反対する故マリヌス1世の側近たちを殺害する。
同じく反対者であったローマ貴族を捕らえ、裸でローマ市中を引き回して屈辱を与えた。
マリヌス1世の従者の一人は、目を潰して追放した。
「いやぁ……俺はそんな事しないぞ。
俺はただ戦いたいだけで、戦士と認めたらそれは強敵として認めるぞ」
「……アンセギス様に殴りかかったと聞きましたが、そういう理由なんですね」
「いや、まあ、あれは違うけど……そういう事にしておこうか。
だが、我がフランク王国を、デブ叔父を操縦していいようにしようというのは許し難いが、性格的には確かに共感を持てる。
今から一緒に、これから一緒……」
「殴りにいかないで下さいね。
ややこしくなりますから」
「……アンセギス卿の関係者は、心を読む術でも持っているのか?」
「話が大きくそれましたな。
それでアンセギス様は、モラヴィアとの戦いを打ち切るよう言って来ました。
それどころではないだろう? と」
「確かにな……」
アルヌルフは、反りが合わない叔父とはいえ、教会の連中に好き勝手に利用され、国政を壟断されたくはない。
まあ、戦争を止めるのも悪くはない。
どうせ、またいつか始めるのだから。
こうして教会関係者の立ち合いの元、カランタニア公アルヌルフとモラヴィア王スヴァトプルク1世及びパンノニア伯アリブとの間に和平が成立した。
3年に渡って続いたヴィルヘルミナ戦争は、パンノニアを廃墟にして終結する。
「おい、蛮族!」
「なんだ、小僧」
「また戦るんだろ?」
「なんだ、コテンパンに負けて、まだ負け足りないのか?」
「勝ち負けなんてどうでも良い。
戦るのか戦らんのか、それだけが問題だ!」
「小僧が生意気な。
そういう事なら、戦ってやる。
次はその命、無いと思え」
「カカカ……、お前気に入ったぞ。
まあ火種は残ってるからな。
また仲良く戦争しようぜ」
「まったく、迷惑な小僧だ」
スヴァトプルクは軽く眩暈を感じながら、このフランク族の王族に対して割と好感を持っていた。
『軟弱なフランク族には稀有な男よ。
流石はカールマンの息子って事だな。
王として、民を苦しめる戦争はしない方が良いのだが……だが、こいつは遊び相手には最適だ』
こうして宿命のライバルは出会い、そして別れた。
幸か不幸か、この和平はすぐに破られる運命にある。
モラヴィア王国との戦争を終え、パンノニア伯については皇帝の決定に従う事にしたアルヌルフは、イタリアのパヴィアに出向き、カール3世に謝罪する。
公式の場でアルヌルフは礼を弁えて謝罪をし、カール3世もそれを許してわだかまり無しとする。
そのシナリオ通りに進め、叔父甥の関係修復が示された。
だが、裏ではやはり不満が燻っていた。
やる気がないカール3世からしたら、植物のように静かに暮らしたいのに、揉め事を持ち込む人間は大嫌いなのだ。
自分に価値が無いという虚無を抱えているカール3世からしたら、自分に自信があって豪快に生きているアルヌルフは、眩しくもあり、許し難い存在でもある。
彼からしたら、私生児なんて相続権が無く、つまりは責任も無い立場は羨ましい。
幽閉されても良い、飯を食って、ささやかな要求を叶えてくれさえすれば、一生獄中生活でも問題無いとすら思っている。
なのに、公として統治をし、喜び勇んで戦争をするなんて、理解不能だった。
一方、アルヌルフからしたら、カール3世はフランク族の男とは認めがたい存在である。
昔、まだ祖父が生きていてカール3世がどこの統治もしていなかった時期、アルヌルフはカールに喧嘩かけた。
だが
「何をするんですかー?
ちょっとは叔父を敬ったらどうですかー?
痛いのは嫌なんだよー!」
と逃げもせず、殴られるに任せたまま喚いた叔父が、どうにも好かなかった。
もう一人の叔父のルートヴィヒ3世は
「お前なあ……私がその気なら死んでいたぞ」
と、アルヌルフにマウントポジションを取って、肘打ちを繰り出しながら説教したものだが。
『どうにもあいつとは合わない』
肥満王も脳筋も、お互いそう思っている。
それでもアルヌルフは、最早数少ないカロリング家の者として、叔父を守る気ではあった。
無能、無気力、怠惰と言われていても、実はカール3世は「言われた事はちゃんとこなせる」くらいに能力はある。
故にアルヌルフの考えも何となく察していて、これ以上関係悪化させないよう、アルヌルフはお咎め無しで許す事にした。
事態は西フランク王国で動く。
西フランクの単独王カルロマン2世が、「また」狩猟中の事故で亡くなったのだ。
アルヌルフは
『先々代教皇に倣って、現教皇が仕掛けたな』
と見ている。
そして、都合が良い事に西フランク王国の政治を統括していたジュミエージュ修道院長ゴズラン、つまりは聖職者にとって、東フランク王カール3世が西フランク王に選出されたのだ。
アルヌルフには面白くない。
確かに、彼にもメロヴィング朝時代からの感情、「フランク王国は統一されねばならない」というものはある。
しかしそれは、戦って勝って為すべきものであろう。
今回のこれは、確実にフランク族の意志ではない、別の者の意志で動かされた。
西暦884年12月12日、西フランク王の死によって国はカール3世に相続され、フランク王国は再統一された。
ヴァイキングやサラセン人の攻撃が止んでいない中、カール3世には不安の声もあったが、彼とその後見人ハドリアヌス3世による統一フランク王国の治世が始まろうとしていた。
この後、「これまでのフランク王国の勢力図変遷」という復習と、後半に向けての解説を18時、19時に投下します。
(どんどん学習小説化して来た自覚はあります)




