ヴィルヘルミナ戦争
西暦882年、東フランク王国の辺境で事件が起きた。
パンノニア辺境伯は、元々はヴィルヘルムとエンゲルシャルクという兄弟が担っていた。
彼等の家系は後に「ヴィルヘルミナ家」と呼ばれるようになる。
この兄弟は、871年にスラヴ人国家大モラヴィア王国と戦って戦死する。
その後、先代東フランク王ルートヴィヒ2世は、アリボという人物を新しくパンノニア辺境伯に任命する。
アリボはモラヴィア王国と和平を結び、この地には平和が訪れた。
そのアリボに対し、ヴィルヘルムとエンゲルシャルクの息子たちが地位の譲渡を求め、認められないと利権の分配を認め、それも拒否された為反乱を起こした。
これがヴィルヘルミナ戦争の始まりである。
奇襲を受けたアリボは逃走、パンノニアは首謀者であるエンゲルシャルク2世の手に落ちる。
しかしアリボは、即位したての西ローマ皇帝カール3世に、エンゲルシャルク2世の不当を訴える。
カール3世は
「父に任命された人でしょ?
なら、こっちが正規の辺境伯で間違ってない」
と、アリボの立場を正とした。
またアリボは、大モラヴィア王国のスヴァトプルク王に子供を人質として差し出し、救援を乞う。
スヴァトプルクは、辺境伯であったヴィルヘルムとエンゲルシャルク1世と戦い、いくつか悲惨な目に遭わされた事を思って、自分たちと講和をしたアリボの方に味方をする。
こうしてスヴァトプルクの援軍を得たアリボは、直ちにパンノニアを奪還する。
スヴァトプルクはエンゲルシャルク2世の弟を捕獲すると
「お前の父は我が民を虐殺した。
その報いを受けよ」
と言って、全身を切断されて遺体を晒してしまう。
エンゲルシャルク2世たち反乱勢力は、皇帝カール3世を否定して離反する。
そして彼等は、アルヌルフを頼って来たのであった。
「よし、戦争だ!」
改めて東フランク王国のカランタニア公となったアルヌルフは、拳をバキバキ鳴らしていた。
モラヴィアは父の代から戦っていた相手、敵として不足はない。
エンゲルシャルク2世も、良い火種を持って来てくれたものだ。
スヴァトプルクはアルヌルフに使者を送る。
「反乱した者たちを引渡せとは言いません、追い払って……」
「断る」
「話は最後までさせて下さい。
この要求を断るという事は戦争を意味し……」
「望むところである!」
使者は話しても無駄だと悟った。
この人物は戦争でしか物事を解決しないだろう。
スヴァトプルクも溜息を吐きながら
「その男はバイエルン王カールマンの子であったな。
確かにカールマンもそういう男であった。
血は争えぬものだな」
と呆れていた。
兎も角も、アルヌルフが戦争を選択した以上、応じる他は無い。
パンノニア辺境伯の跡目争いが、東フランク王国と大モラヴィア王国の戦争に発展したのである。
「まあ良い、かかって来い若造!」
スヴァトプルクはこの年42歳、アルヌルフより10歳年上で、統治者や軍事指導者としての閲歴には雲泥の差があった。
スヴァトプルクはパンノニアから東フランク王国領内にまで侵攻を始める。
侵攻はアルヌルフの軍が撃破するも、侵攻ルートに在った町は破壊されてしまった。
「報復だ!
やられたらやり返す!」
アルヌルフ軍も反抗に出るが、スヴァトプルクのモラヴィア軍は今が全盛期、パンノニアにて撃退される。
パンノニアはボロボロにされる。
「祖父様も父上も頭を使えと言っていたな。
不本意だが、俺も頭を使うか」
アルヌルフは、彼にしては実に真っ当な計略を使う。
モラヴィア王国の背後にいるブルガリア人に対し、
「今、モラヴィアの主力はパンノニアで戦っているから、空き巣するなら今だぞ」
と教えたのだ。
ブルガリア人たちはモラヴィアに襲い掛かる。
「あの若造、力押しだけの低能かと思ったが、中々やるではないか!」
スヴァトプルクは感心しつつも、ブルガリア人撃退の為に軍を派遣する。
ブルガリア人は撃退されたが、モラヴィアの国内も散々に略奪を受けてしまった。
やがて戦いは、小規模な部隊同士を派遣し、そこで略奪や放火をしながら敵と戦う、纏まりの無いものになっていった。
戦争を知ったフランク人、ブルガリア人、マジャール人、そしてスヴァトプルクに従わないモラヴィア人が、状況に応じてどちらかの軍に加わり、現地調達の為に出撃しては各地を荒し回る。
スヴァトプルクも
「しかし、なりふり構わない男だ。
周辺のあらゆる部族を巻き込んで、この地を廃墟とするつもりか?」
と辟易した表情となっている。
だが流石はモラヴィアを強国にしつつある名君にして名将。
抵抗を一個一個片付け、戦力をパンノニアに集中させていく。
そのモラヴィア軍の侵攻を、どうにか撃退するアルヌルフ軍。
こんな状態で、アルヌルフ不利のまま戦争は長期化していった。
「皇帝は何をしている!」
激怒しているのはローマ教皇ヨハネス8世である。
ヨハネス8世は、モラヴィアと良好な関係を結ぶ事に成功している。
スヴァトプルクをローマ教会に帰依させ、代わりに彼を神に選ばれた王と認定した。
コンスタンティノープル教会に対抗する為にも、モラヴィアをローマ教会の影響下に置いている。
そんなモラヴィアに対し、アルヌルフが戦争を仕掛けているのは実に都合が悪い。
同じ宗派同士で、領地を荒しまくる戦争を長引かせるな!
せめて決戦でもしてさっさと決着しろ。
教皇がイライラする中、皇帝カール3世は動かない。
分かってはいる。
この皇帝は一切のやる気が無いのだ。
言われないと動かない男なのだ。
とりあえず教皇からパンノニアの戦争を止めるように言われたカール3世は、甥に向けて反乱勢力と手を切るよう使者を送った。
アルヌルフの返答は
「嫌だ、断る、断固拒否する、口出すな」
というもの。
使者はけんもほろろに追い返される。
これには流石に、何事にも無関心はカール3世すら激怒した。
彼は西ローマ皇帝であり、かつ東フランク王でもある。
教皇・皇帝の命令の拒否はまだ分かるが、東フランク王からの命令すら拒否するのは、同族として許せない。
カール3世は再度使者を送ると共に、フランクフルトで本領の政治を担当する宰相・マインツ大司教リュートベルトにも指示を出し、東フランク王国として圧を掛ける事にした。
こうしてヴィルヘルミナ戦争は、アルヌルフと皇帝カール3世の対立という、新たな局面を迎える。
流石に皇帝・教皇・東フランク王・東フランク王国会議の全てから「無駄な戦争をやめろ」「アリボが正当な辺境伯だから、反乱勢力に与するな」と言って来た事で、戦況はまた変わり始める。
アルヌルフの元に陣借りしていた騎士や傭兵たちが、流石に離脱を始めたのだ。
「もうよろしいです、カランタニア公。
我々は逃げ延びますから、王国の勧告に従って下さい」
エンゲルシャルク2世はそう言うが
「俺の下に逃げて来た者を、窮地にあるからと言って見放す事はしない!」
と返し、彼等を感動させていた。
『こんな楽しい事、やめてたまるか!』
という内心は、彼等には見えていない。
結局、業を煮やしたカール3世が、パンノニアに直接乗り込んで来た。
皇帝カール3世の元に集まった「帝国軍」の登場で、流石のアルヌルフも兵を引かざるを得ない。
こうしてパンノニアで、皇帝カール3世とモラヴィア王スヴァトプルクが会合した。
「教皇猊下も認めた事だが、このパンノニアを貴殿に割譲しても良い」
「ほお?」
「代わりに、貴国は我が帝国に帰順して貰う。
名目上の事だ。
我が帝国の加盟国となれば、これは領土の割譲ではなく、封地の移動という事になる」
「ふむ、まあ悪くはないな」
という形で、東フランク王国と大モラヴィア王国との和平は成立した。
正式な条約発効は、アルヌルフとも合意の上で、という事になる。
「で、皇帝陛下。
あの人、本当にどうにか出来るんだろうな?
事はもう、パンノニアだけの話じゃないんだから」
スヴァトプルクは慇懃無礼に皇帝に要求をする。
この戦争での両軍の蛮行の結果、史書に
『ラアブ川より東方のパンノニアは荒廃した。
奴隷とされたうちで子のある男や女は殺された。
多くの指導的な男たちは殺されたり、囚われたり、手か舌か性器を切り落とされた』
という悲惨な状態となっており、アルヌルフに和平を納得させないと話にならない。
そしていずこかの野戦陣地にて、アルヌルフはまだ意気軒昂である。
「これからは神出鬼没に現れて、敵を攻撃しては離脱する戦法に切り替えるぞ!」
まだまだ迷惑なゲリラ戦を続ける気満々な脳筋王子であった。
先に歴史を書いてしまいますが、あと2年(884年まで)戦争は続きます。




