ルートヴィヒ3世とカール肥満王
イタリア王・バイエルン王カールマンは、アルヌルフの願いも空しく西暦880年に死亡した。
享年50歳であり、現代なら若すぎる死と言えるだろう。
彼の領土は生前の取り決めによって、バイエルンは次弟のルートヴィヒ3世に、イタリアは三弟のカールに分割相続された。
「では、これよりお世話になります」
アルヌルフは叔父のルートヴィヒ3世に臣従の礼を取っている。
やはり彼は、父の遺領相続を認められなかった。
彼を評価する一部の司祭が
「遡ってカランタニア副王の母親を先王の正式な妻だったことにして、副王を嫡子としよう」
と提案するも、多くの貴族・司祭たちに却下されてしまった。
アルヌルフも諦めはついていたようで、父の言に従って叔父の下に入る。
「うむ……私の配下として働いてくれ。
亡き兄との約束だから、引き続きカランタニアの統治と、スラヴ人との戦いを任せる」
ルートヴィヒからは覇気が感じられない。
無理もない、彼はようやく生まれた嫡子と、彼の手伝いをしてくれた庶子とを数年の内に失ってしまったのだ。
若王(der Jüngere)と言われるルートヴィヒも今は45歳。
年取って生まれた可愛い盛りの子を失うと、高貴な身分ゆえに平然としなければならないが、内心は相当に堪えるものがあっただろう。
幼児が死んでも貴族とかは気に留めなかったりするが、それは複数の嫡子や庶子がもう存在している時の事で、ルートヴィヒの場合は後継者が居なくなったのだから精神的にも厳しい。
「ところで叔父上」
「む? 何か?」
そう言うとアルヌルフはルートヴィヒの顔面にパンチを繰り出す。
「おのれ、何をするか!」
「いえ……フーゴーも居なくなり、寂しいかと思いまして……」
「お前なあ、今は私とお前しかいないとはいえ、こんな事を見られたら謀反と思われるぞ」
「……即座に拳を拳で弾き上げ、その勢いを利用して鳩尾に肘を打ち込んで来るのですから、まだ大丈夫ですね……ガハッ!」
「私はお前の父とは違い、こういう荒業は好きではないのだぞ」
「……好きではないだけで、業を使う事は出来るのですね。
流石は叔父上、感服しました」
「まあ、私もフランク族の男だからなあ。
それより、肋骨を折った感触があったが、大丈夫か?」
「なあに、一呼吸すれば治ります」
「……兄上といい、お前といい、好戦的なのもいい加減にせよ」
ルートヴィヒに小一時間程説教された後、アルヌルフは自分の親友でもあったフーゴーの墓参りをする為、王の元を辞した。
『祖父様の元で共に勉学に励んだお前が、こうも早く天に召されるとはな……。
寂しいよ、フーゴー』
天の方から『勉学だと?』というツッコミが2人ばかりからされているが、それは気に留めない。
墓から戻ると、リウトガルト王妃が待っていた。
「これは王妃様、ご機嫌よう……」
外面は良いカールマン家の教育もあり、きちんと礼は出来るアルヌルフ。
王妃は
「アルヌルフ殿下には、御父上の事、さぞかし残念でした。
私も幼子を失い、胸が張り裂けんばかりの悲しみを覚えました。
殿下の気持ちは、我が事のように分かりますわ」
「ありがとうございます。
俺は長く父を看病していましたから、最後は心の準備も出来ました。
王妃様はいきなりの事と聞きました。
俺よりもお辛かったのではないですか」
「ホホホ……気遣ってくれてありがとうございます。
私は心の準備は出来ませんでしたが、もう心の整理は着いています。
殿下、貴方はどうですか?」
「俺ならとっくに大丈夫です」
「では、この先の話を進めましょう」
「ああ……婚約の話ですね……」
アルヌルフも、押しの強い女性にちょっと苦戦していた。
アルヌルフに婚約打診がされた時、まだ父カールマンは元気であった。
その父と相談しながら話を進めるか迷っていた時、カールマンが重病に陥った。
それから話は進んでいない。
王妃はアルヌルフがフランクフルトに来たのを良い事に、一気に話を進めるつもりである。
余談だが、アルヌルフは童貞ではない。
とっくに子供がいる。
母親の身分は低く、名が残っていない。
つまり全員庶子という事になる。
ゲルマン人は「二十歳過ぎる前に童貞を捨てるのは軟弱者」という価値観があったが、カールマン家は違ったようで、私生児は作るわ、その私生児も自分の私生児を作るわでお盛んなようだ。
この時期、アルヌルフは父の所業のせいで祖父の元に人質に出されていたから、もしかしたら祖父が乱暴な孫のガス抜きの為に、メイドさん辺りをあてがったのかもしれない。
アルヌルフの長男は10歳になるから、カールマンは孫の存在は知っている。
それもあって、カールマンは庶子でも相続出来るよう手を打っていたのだが、結局伝統と宗教の壁に阻まれて成功しなかった。
庶子相続が成功していたら、アルヌルフだけでなく、その子の代まで安泰だったのだから。
まあ王妃としては、愛妾がいようが関係ない。
正妻こそ重要なのだ。
アルヌルフを長く自分の手駒というか、味方でいさせる為にも、恩を売っておきたいものである。
手駒と言えば、それを欲してやまないのがローマ教皇ヨハネス8世である。
現在の手駒であるプロヴァンス王ボソであるが、今年初めのリブモント条約で状況が変わっていた。
教皇は、西フランク王にボソの独立を認めさせた上で、いずれは彼を西ローマ皇帝にしようと目論んでいた。
しかし、カロリング家の出でない為、ボソの皇帝就任には反対する司教しかいない。
教皇のゴリ押しで皇帝にさせられたのだが、その前にボソの立場を容認していた西フランク王ルイ2世が死亡。
代わって王になったルイ3世とカルロマン2世という兄弟共同王は、ボソを認めなかった。
2人は対立していた東フランク王ルートヴィヒ3世に、領土を割譲する形で講和する。
そのリブモント条約が成った上に、カルロマンはヴァイキングをも撃破。
後方の心配が無くなった兄弟王は、ボソ討伐に動き出している。
教皇の計算違いは続いている。
まずは東ローマ帝国に対するマウント取りの失敗。
俗世の学者からコンスタンティノープル総主教に上り詰めたフォティオス1世という人物がいるが、彼は公会議によって廃位され、コンスタンティノープルを追放されていた。
破門されていたこの人物を、ヨハネス8世は総主教に復位させようとしたのだ。
教皇の政治活動は成功し、フォティオス1世は総主教に復帰。
しかし、フォティオス1世は復帰早々にスラヴ人たちやブルガリア人への伝導活動を積極的に行う。
フォティオス1世は何らヨハネス8世を裏切っていないのだが、結果としてローマ教皇の東方への影響力は低下してしまう。
政治にかまけて、宗教を疎かにした自業自得な結果とも言える。
彼が破門し、追放した元ポルト大司教アンセギスの伝導活動の成果は失われてしまった。
政治的にも不満を持っている。
3年前、教皇は自ら艦隊を指揮してサラセン人を撃破した。
にも関わらず、南イタリア諸侯はイスラム教徒との交易を続けている。
教皇が陰謀をもって当主を入れ替えたナポリ公すら、教皇の命令を無視している。
現当主は、元ナポリ司教なのにこれだ。
更に、教皇領の東に在って隣接するスポレート公国が、教皇領を攻撃して来ている。
これに対し新イタリア王カールに対し救援を要請したのだが、カールは無視をしていた。
「今一度、教皇の偉大さを世に知らしめる必要があるな」
ヨハネス8世は側近たちに語る。
サラセン人艦隊を打ち破った時の熱狂はとっくに醒め、教皇は再びローマでは政敵に批判される日々を送っていた。
だがヨハネス8世は、自惚れをやめられない。
一度人々から喝采を浴びる実績を立ててしまい、自分の無謬さを信じてしまった人間が、元の謙虚な人間に戻るのは大変な事である。
ローマ教皇にも上り詰めた彼は、自分が歴史を動かせば、また世は彼を崇拝するものと信じて疑わない。
その為の手札も握っていた。
彼の手札、それは「西ローマ皇帝の冠」、つまりは任命権である。
「さて、誰がローマ皇帝に相応しいかのぉ?」
教皇は各国の王たちを品定めする。
まずはプロヴァンス王ボソ。
この者が一番都合が良いが、今は自分の領土を守るだけで精一杯。
折角目を掛けてやったのに、役立たずな事この上ない。
次に西フランク王ルイ3世とカルロマン2世。
だが彼等は、今はボソとの戦いに忙しく、ローマ教会の言う事は聞かない。
第一、司教を含む多くの者が共同王に反対したのに、それを押し切って、冠を授かる形ではなく、司教は冠をただ被せるだけの立場で即位を行った。
到底ローマ教会の言う事を聞くとは思えない。
続いて東フランク王ルートヴィヒ3世。
彼は適任ではある。
しかし、相次いで男子を失い、後継者消滅で意気消沈しているという。
また居城もローマからは遠く、いざという時に駆けつけるには時間が掛かる。
そしてイタリア王カール。
この肥満した人物は、実に無能である。
能力以上にやる気が感じられない。
だが一番ローマからは近い位置に居る。
やる気は無いが、頼めばそれなりに動いてくれる。
ヨハネス8世は、周囲に言った。
「余はイタリア王に神の祝福を与えようと思う。
邪魔な者は……ククク……それは言わぬが華であろうかのお」
その笑みは、とても聖職者のそれには見えなかった。




