西ローマ皇帝位の行方
ローマ教皇ヨハネス8世は、事を自分の思い通りに進めるのが大好きである。
彼は、自分の思い通りに動いてくれる飼い犬としての西ローマ皇帝を欲していた。
「俺の敵は俺が選ぶ。
俺の敵を勝手に決めるんじゃねえ!」
というイタリア王カールマンは、その点でローマ皇帝にしたくない。
カールマンはいつまでもローマ皇帝位が与えられない事に対し、苦情の手紙や使者を送って来ている。
ヨハネス8世はそれを焦らしに焦らしながら、フットワーク軽く西フランク王国のトロワまでやって来ていた。
実はヨハネス8世は、ローマに居たくない事情も抱えている。
彼は色々やりたい事があったのだが、その財源を巡って周囲と対立し、下手をしたら廃位させられる可能性があったのだ。
それで彼は安全なトロワで公会議を開催する。
かつて西フランク王国に対して反乱を起こした者たちを破門し、教皇領の財源について「公会議」という場で賛成を取り付けるという、反対者が居ない場所で自分の賛同者を使って好き勝手決めていた。
だが、一番肝心な事が出来ない。
ルイ2世が即位して1年なのに、重病で臥せっていた。
その為、なし崩し的にルイ2世に西ローマ皇帝の冠を授ける事が出来なかったのである。
『駄目だ、これでは余の為の軍隊にならぬ。
こんな病弱な男では皇帝は務まらぬ』
ヨハネス8世はルイ2世を見限った。
彼にはまだ手駒がある。
プロヴァンス王ボソが残っていた。
そこでヨハネス8世は公会議において、ボソの西ローマ皇帝について諮ってみる。
しかし、これには賛成者が出なかった。
イエスマンばかりを集めた筈なのだが、その司教たちもどこかのフランク王国の家臣なのである。
カロリング家の外戚に過ぎないボソを、ローマ皇帝として認める事は出来なかった。
こうして成功失敗半々でローマに帰国したヨハネス8世は、直ちに反対者たちを破門し、ローマから追放する。
そして公会議で承認させて財源を使って、彼はなんと「教皇艦隊」を編制したのだ。
教皇領海軍は、常設ではないが状況に応じて招集される。
ヨハネス8世は、ナポリ公、サレルノ公、アマルフィ公、カプア公、ドシビレ・ディ・ガエタ公といった南イタリア諸侯を呼び出し、サラセン人との通商を禁止する。
アマルフィ公はこれに面従腹背な態度で応じた為、教皇は彼等を破門した。
そして南イタリア諸侯を糾合し、集めた艦隊を教皇自らが指揮し、サラセン人との戦いに挑む。
教皇はチルチェオ岬沖海戦で、サラセン人の艦隊を撃破。
これにローマ市民は歓喜する。
自らの手で異教徒を打ち破ったヨハネス8世の権威は大いに高まった。
ヨハネス8世は、この戦いの後も行動を続ける。
ナポリ公セルジオ2世は、経済上の理由から結局サラセン人、ひいてはイスラム帝国との通商をやめなかった。
そこで教皇は、セルジオ2世の弟であるナポリ司教アタナシウスを使って、公爵を失脚させ、目を潰して哀れな姿にしたセルジオ2世をローマに送らせた。
セルジオ2世は投獄され、二度と表舞台に現れる事は無い。
アタナシウスを新たにナポリ公にして、教皇の権威は更に高まっていく。
と同時に、教皇の中でローマ皇帝の価値が低下していた。
これまで教皇領の軍では、サラセン人たちに勝てなかった。
以前はイベリア半島からのイスラム教徒の侵攻もあった。
だから、「地上のキリスト者の守護者」としてローマ皇帝が必要だったのだ。
軍事面では弱い、だからこそローマ皇帝の称号を授け、代わりにイスラム教徒と戦ってもらう。
彼等も広大な領土を支配する正当性を得られ、キリスト教の布教・異教討伐の名目で侵略戦争をも正当化出来るから、双方Win-Winな関係である。
だが、今はちょっと事情が異なる。
ローマ皇帝の候補者は、一人は病弱、一人は血統的に問題あり、一人は言う事を聞かない、どれも難がある。
一方、ローマ皇帝がすべき異教徒との戦争に、「神の第一使徒」たるローマ教皇が勝った。
ならばローマ皇帝なんて不要じゃないのか?
まあ、そこまで極端な事は言うまい。
陸上兵力では圧倒的に各フランク王国の方が多く、強いのだし、今回も艦隊も諸侯に出させただけで、自前の兵力は相変わらず少ないまま変わらない。
ではあるが、極端な話「自分が居れば良いのではないか?」という思いが、ヨハネス8世の心中に芽生えていた。
自信を持った教皇に対し、相変わらずカールマンは西ローマ皇帝位を要求し続けていた。
「あの愚物が。
そんなに皇帝になりたいか?
浅ましい男よ。
よかろう、皇帝位について話があるから、ローマへ来いと伝えてやれ」
その言葉に、マリヌス助祭が苦言を呈す。
「猊下、それではイタリア王の、地上の権力者の脅しに屈したような形になります。
あの者が猊下への忠誠を誓い、一旦事があれば地上のキリスト者の為にその身を擲って戦うと誓わない限り、ローマ皇帝の冠を授ける事はしてはなりませんぞ」
だが教皇は不気味に笑う。
「案ずるな、マリヌス卿。
イタリア王がローマ皇帝になる事は無い」
「すると、直接会ってお断りするのですか?」
「フフフ……。
余が会うまでもあるまい。
彼の者は、きっと神の怒りに触れる。
遠からず、彼の者の身に不幸が降りかかるであろう。
不遜な者への神罰は、必ず降るものじゃ」
カランタニアに居て統治者として修業中のアルヌルフの元に凶報が届く。
「なんだと?
父上が重病になられただと?」
それはローマに行き、教皇との交渉を控えていた日の事だった。
カールマンは急に倒れてしまう。
それは四肢の麻痺を伴うものであった。
「これは……父上が度々患っていた病……なのか?」
先王ルートヴィヒ2世は、若い時から度々発病し、それは四肢の麻痺、さらには全身麻痺といった症状のものである。
カールマンはこれまで大した病気をして来なかった。
それ故、初めての発病は彼を弱気にさせてしまう。
彼は教皇との面会をキャンセルし、本領であるバイエルンに戻る。
「そうか、父上はそう言っているのだな。
意思はハッキリしているのだな」
「はい」
「よし、出迎える準備をしよう。
父上は今、どの辺りに居られる?」
「おそらく、アルプスの山越えの最中かと」
「なんでだーーーーーーーーーー??????」
流石の脳筋・アルヌルフでもツッコミを入れざるを得ない。
重病の人間が、アルプス山脈を突っ切って来るって、どう考えてもおかしい。
ちゃんと迂回路はあり、そこはアルヌルフが統治をしているのだ。
こんな時まで
「フランク族には迂回とか後退といった、まだるっこしい言葉は存在せん」
というポリシーを貫かなくても良いだろう。
案の定、アルプスの山越えの最中に、カールマンの病状は悪化していった。
レーゲンスブルクに帰って来た時には、最早立って歩く事は出来ず、息も絶え絶えである。
『やはりあの地には、魔物が棲んでいたのではないか?』
アルヌルフは、これがただの病気とは思っていない。
彼がイタリアの地に居て、父があちこちと交渉なりをしているのを見ていながら、何か不気味なものを感じていた。
カールマンは、自分にも父と同じ病気が出た、これは神の思し召しかもしれないなんて言っている。
しかしアルヌルフにはそうは思えない。
あの宿敵・禿げ大叔父すら毒殺されたと聞く。
アルヌルフはその噂を信じていた。
だから父も、神ではない、別の誰か、確実に人間の思し召しで何かをされたのではないか?
『だからあの時、俺も残っていれば……』
と言っても栓無き事を思う。
父の言う通り
「お前が居たって、何も出来ないだろ」
が正解なのだが、それでも子として悔しくてならない。
繰り返しになるが、アルヌルフは庶子である。
フランク族やキリスト教の考えからして、国家の相続人にはなれない。
そんな自分に対し、父が愛情を注いでくれた。
時には背負い投げ、時には鯖折り、時には裸締め、時には墓石落としと、肉体で語り合い、その偉大な雄姿をその身で味わって来た。
反乱を起こし起こされのカロリング家の中で、この父子はベタベタしてると言われる程に仲が良かった。
だから、アルヌルフは父を生かす為に必死になる。
一方で、父をこのようにした者が分かったなら、生かしてはおかない。
父に代わってバイエルンとイタリアの統治(投げっぱなし政治だが)を行いつつも、アルヌルフはそう誓っていた。
「どうだ、何事も無く済んだであろう?」
ローマではヨハネス8世が嘯く。
「猊下の仰せの通りで」
マリヌス助祭の追従を受け流し、
「さて、ローマ皇帝が空位となったのお。
だ~れ~に~し~よ~お~か~な~?」
等と呟いていたのだった。
このヨハネス8世、政争能力とか軍事能力とか普通に持っている。
割と有能。
ダメな部分もあるけど、それは誰しもに言える事だし。
なんで宗教のトップやってるんだろう?
 




