カランタニア副王アルヌルフ
ローマ帝国以来の伝統だが、皇帝や王は後継者を共同統治者に任命する。
自分が健在な内に統治を教え、駄目なら他の後継者に代える為だ。
先日西フランク王に即位したルイ2世も、アキテーヌ副王としてシャルル2世の共同統治者であった。
アルヌルフも、カランタニア(後のケルンテン)及びパンノニア(現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがる地域)を与えられ、イタリア王カールマンの共同統治者となった。
この地はフランク王国の歴史の中では、最も新しい占領地と言える。
この地の北側にはスラヴ系のモラヴィア王国があり、父のカールマンは度々モラヴィアとは争っていた。
「よし、面倒な事は任せた!」
いきなりなアルヌルフの発言に周囲は驚き、慌てる。
フランク王国には議会がある。
メロヴィング朝の時代は、ローマ帝国を見倣って元老院が置かれていた。
これが宮宰独裁を経て、カロリング朝では再び議会が置かれるも、構成は大いに変わっている。
聖職者が数多く参政していて、彼等だけの教会会議も開かれていた。
他に、フランク族の有力者も集まった王国集会というのもある。
この議会を前に、アルヌルフは統治する意思が無いと明らかにした。
「いやいやいや、アルヌルフ殿、それは無いですよ」
アルヌルフは庶子である為、軽く見られる部分もある。
父たるカールマンが居ない為、有力者からはそれこそ「フランクな」態度で接しられていた。
アルヌルフもまた、父同様外面は良い。
一発ぶん殴るのを抑えて上で、その貴族に対して笑って言った。
「俺は政治では無能も良いところだ。
俺はこれから学ばねばならない。
だから、まずは俺に任せる事なく、面倒な事は全てやって貰いたい。
そして、その意味について教えてくれたらそれで良い」
一同は安心すると共に
『このガキは与しやすいかもしれない』
と思い始める。
丸投げ宣言されたら、それは利権を奪って良いと言っているようなものだ。
下種な笑いをせぬよう、無理矢理厳めしい表情をしている貴族や聖職者に対し、アルヌルフは冷水をぶっかける。
「ただし軍権は譲らぬ。
何かあれば裁く権利は俺が有する。
落ち度があれば許さない。
交渉?
無駄な努力と思うが良い」
この当時、独立した警察というものはない。
軍隊を持つアルヌルフが警察や検事であり、かつ裁判長でもあるようだ。
彼の機嫌を損ねれば、軍隊による襲撃を受ける。
「皆さん、よろしくな!」
アルヌルフは笑って、一人一人の肩を叩いて回ったが、その笑顔はどう見ても「肉食獣が獲物を前にする笑顔」に見えてならない。
軍権といっても、その主力は騎士、つまりは独立小領主である。
有力者たちも封建領主である為、騎士たちと連携すればアルヌルフの軍事力を削ぐ事も可能であろう。
しかし、アルヌルフは騎士たちの幾つかと個人的な友誼を結んでいた。
この絆は戦場で馬を並べてのものである為、切り崩すのは難しいだろう。
そしてアルヌルフは、スラヴ人の傭兵部隊も抱えていた。
この王子は軍事力においては全く侮れない。
政治に口出しはしないと宣言した以上、真面目に政治をしていればそれで良い、余計な欲は持たないようにしようと議会の参加者たちは思うのだった。
「王子、冷や冷やしましたぞ」
そう言って話しかけて来たのは、彼の母の実家・バイエルン人のルイトポルドであった。
彼等は父・カールマンの側近である。
その娘とカールマンが愛し合ったのだが、正式な婚姻に至る前に、父ルートヴィヒ2世によって同じくバイエルンの有力者ノルトガウ辺境伯エルンストの娘と結婚させられる。
カールマンの暴走を抑える為に信頼の置ける者を舅にしたのだが、彼は背任罪の疑いを掛けられてルートヴィヒ2世によって処罰されていた。
このノルトガウ辺境伯の娘と、カールマンの間にはまだ子が出来ていない。
よって唯一の子である庶子アルヌルフに対し祖父のルイトポルドが後ろ盾となっている。
「ルイトポルドの祖父さん、俺がああいう人間なのは分かっているだろ?」
「分かってはいますがね、御父上そっくりなんですからね。
ですが、お年を召した御父上と、貴方様では皆の態度も違うのですよ。
悔しい事に、貴方は嫡出ではありませんし、皆がナメています」
「分かっている。
一発殴らなかった事を褒めてくれないか?」
「やはり、やる気だったんですね。
その気配がこの祖父には伝わって来ましたよ」
「……という事は奴にも伝わったかな?」
「伝わったと思います。
まあ、ああいう脅しはそう何度もなさらぬように」
「約束は出来ん」
「努力はしてみて下さい」
こちらはルートヴィヒ3世の所領・フランクフルト。
王妃リウトガルトはラーンガウ伯コンラート、ヘッセン伯ベレンガーの兄弟と非公式に会っていた。
不倫とかそういう艶っぽい話ではない。
この野心家の女性は、常に夫・ルートヴィヒ3世や実家のザクセン公の為に動いている。
一方のヘッセン伯は、ノルトガウ辺境伯の甥にあたる。
ノルトガウ辺境伯とはカールマンの舅にあたるが、先王に謀反の疑いを掛けられて失脚した。
ベレンガーも連座してバイエルンの地を追われ西フランク王国に亡命しが、現王であるルートヴィヒ3世が礼を尽くして呼び戻し、ザクセンの地でそれぞれ伯として復権した人物である。
つまりは、アルヌルフの義母の関係者という事だ。
「ご兄弟、貴方たちには娘がいましたね?」
「はい」
二人とも答える。
もっとも、ヘッセン伯の娘はまだ幼児であったが。
「その娘、既に許嫁がいたりしますか?」
「いいえ」
「うちの娘はまだ5歳です。
誰にも渡すものですか!」
「そんな事は関係ありません!
何歳だろうが、相手を決めるくらいで狼狽えなさるな!」
「は……」
「さて、貴方たち一族には良い娘さんがいるようなので、ここは私が良い相手を紹介したいと思います」
「は、はあ……」
兄弟は押しが強く、野心家のこの王妃に圧倒されていた。
王妃は構う事なく話を進める。
「カランタニア副王となったアルヌルフ殿は、貴方にとっても最良の縁だと思いますが、如何でしょう?」
二人とも瞬間、嫌な表情になった。
確かに地位としては申し分ない。
しかし、アルヌルフは庶子・私生児であり、東フランク王国の相続権は無い。
父のイタリア王カールマンの愛情篤いが、それでも副王・共同統治者であるのは一代限り、否、カールマン存命中だけと思われる。
カールマンの正妻に子が生まれたら、その子が嫡子となって全てを相続する。
カールマンが死んだ後、アルヌルフの立場は無くなり、その所領は没収されるだろう。
「フフフ……、アルヌルフ殿が私生児なのを気にしているようですね」
王妃は顔色を読んだ。
「まあ当然でしょう。
いずれ全てを失う王子に嫁がせたいとか思わない。
それは理解出来ます。
しかし、今はカールマン殿の共同統治者であり、貴方の故郷の支配者に変わりありません。
ならば、故郷バイエルンに影響を持つには、最適な相手ではありませんか?」
王妃の論にラーンガウ伯も反論する。
「しかし、やはり立場があやふやな相手に娘を娶せるわけにはいきません。
話を聞くに、カランタニア副王はかなり粗暴な方。
自分の所領が没収されるとなれば、反乱を起こすのではないでしょうか?
私は謀反人の一族として、連座して処罰されるのは二度と御免です」
母親がノルトガウ辺境伯の妹であった為、彼等兄弟は疑われて追放されてしまった。
それが彼等のアレルギーになっている。
王妃はフフフと上品に微笑む。
上品なのは表情だけで、目には野心が見えていた。
「謀反結構。
アルヌルフ殿が国を追われたなら、我々が受け容れます。
そう、貴方たち兄弟のようにね。
それが私たちにとって、バイエルンやイタリアを継承する理由になるでしょう」
「まさか」
「そう、アルヌルフ殿には恩を売っておけば良いのです。
故郷奪還を唆せば、よく働いてくれるでしょう。
仮にカールマン殿に子が無いまま亡くなり、アルヌルフ殿がその立場を失ったとしても、私たちが庇護すれば良いのです。
もしも相続が認められたなら、貴方は舅として力を振るえば良い。
どう転んでも、私にも国王陛下にも貴方にも損は無いのですよ」
ラーンガウ伯もヘッセン伯は考え込む。
だが、まだ結論は出せない。
どうにか
「では、婚約という事で如何でしょう?
嫁がせるにはまだ早いです。
娘の年ではなく、カランタニア副王がどのようになるか、見定めておりませぬゆえ……」
と、年長の娘がいるラーンガウ伯が返答した。
王妃は明るい顔になり
「伯の賢明な返答に感謝します。
では、私の方で話を進めさせてもらいます」
「王妃の御意のままに」
そう言って礼をしたラーンガウ伯、ヘッセン伯が、頭を上げた後に見た王妃の表情は、これまでに見た事が無いものだった。
「さあ、どう出会いをセッティングしましょうかね?
綺麗な衣服は私の方で用意してみましょうかしら!
アルヌルフ殿は、ルートヴィヒ様から聞く限り、結構少年ぽい方らしいから、綺麗よりも可愛い方が良いかもしれませんね!
娘さんも可愛らしい方が良いですかね?
いやいや、年上のしっかりした方もお似合いかもしれませんね。
カールマン殿にもお手紙書かないといけませんねえ。
あー、これから忙しくなりで、ワクワクしちゃいますわ!」
野心家、国を動かす女と言われていても、三十路を過ぎていても、どうやら女性は恋話がどこかで大好きなようだった。
※この回の王妃についても創作ですので。
(調べても結婚に至る経緯なんて出て来ませんので)




