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脳筋王子と肥満王~仏独伊が出来た頃の物語〜  作者: ほうこうおんち
祖父たちの世代の物語(西暦875~877年)
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脳筋な東フランク王家のある1日

「よし、あの禿げの大叔父を殺せば万事解決ですな!」

「だーかーらー、そんな簡単に物事を考えるでない!」

 怒られているのは、東フランク王の孫であるアルヌルフ、説教しているのは当代の東フランク王ルートヴィヒであった。




 西暦875年、かつてメルセン条約によって、後のドイツ・フランス・イタリアに当たる地域に三分割されたフランク王国は、二つになっていた。

挿絵(By みてみん)

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挿絵(By みてみん)

 メルセン条約から僅か5年後、イタリア王にしてローマ皇帝ロドヴィコ2世が後継者無く没し、その地を後のフランスに当たる地域の西フランク王シャルルが併合したからである。

 この後継者が居なくなったイタリアの地の継承を、ルートヴィヒも狙っていた。

 ルートヴィヒは自分の長男で、アルヌルフの父であるカールマンをもって、イタリア王にしようとしたが、弟に先を越された形になる。




 ルートヴィヒにとって、家族関係は破綻しまくっていた。

 現在、継承者の居ない地を巡って争っている西フランク王シャルルは、彼の年の離れた弟である。

 かつてはこの弟と手を組み、長兄ロタールと争って、結果として今のドイツにあたる東フランク王国を手に入れた。

 だが、このロタールとの争いは、元々は彼ら兄弟の父親たるルートヴィヒ敬虔王に端を発していた。

 長男ロタール、次男ピピン、三男ルートヴィヒで広大なフランク王国を三分継承する事に決まっていたのだが、ここに四男シャルルが産まれた事で

「よし、三分割じゃなくて四分割ね」

 と父が意見を変えた為、取り分が減る三兄弟は結託して父に歯向かい、父を廃位に追いやった。

 しかし家臣たちの納得を得られず、父が復位し、ルートヴィヒは追放されたり復活したりとしながら月日は流れた。

 次男ピピンが早死にし、長男ロタールは全土を継承しようとした為、三男のルートヴィヒと四男のシャルルが手を組んで戦った。

 このフォントノワの戦いで、三男・四男同盟が勝ち、フランク王国は三分されたのだ。

挿絵(By みてみん)

 この親子間の争いは、ルートヴィヒが建てた東フランク王国でも勃発する。

 立地上、更に東方のスラヴ人国家モラヴィア王国と戦う事になるのだが、この司令官に任じたルートヴィヒの長男カールマンが、勝手に戦争を始めたり、勝手に国境軍司令官たちを解任したりとやらかしまくった為、ルートヴィヒそれを咎めると、逆にモラヴィア王国と手を組んで攻め込んで来たのだ。

 これは父が勝利し、カールマンは父の元で半軟禁状態に置かれる。

 しかし悩みの種は長男カールマンだけではない。

 次男で、自分と同名のルートヴィヒもまた、二度に渡って反乱を起こしたのである。

 妻の実家であるザクセン公を後ろ盾としたものだ。

 こうして息子たちの反乱を鎮め、どうにか和解出来たルートヴィヒは、それぞれの子、彼にとっては孫を手元で育てる事にした。

 まあ、体の良い人質である。

 こうしてカールマンの子アルヌルフと、ルートヴィヒの子のフーゴーは、コブレンツに在る祖父の王宮に留まっていたのだ。


 ゲルマン民族は父の名を継ぐ為、同名が続き紛らわしい。

 今後、敬虔王をルートヴィヒ1世、現在の東フランク王をルートヴィヒ2世(ドイツ王)、その次男をルートヴィヒ3世(若王)と呼ぶ事にする。

 本来〇世というのは即位して初めて付けられるが、便宜上即位前でも使う。

 なお、フランク王国最高の君主カール大帝は、フランス語読みではシャルル・マーニュな為、彼がシャルル1世でありかつカール1世である。

 その孫に当たる現西フランク王がシャルル2世となる。


 さてアルヌルフだが、この大叔父シャルル2世を「禿げ」と罵っていた。

 だが実際にはシャルル2世の頭髪はフサフサなのだ。

 これはフランク王国が三分割されるきっかけとなったフォントノワの戦い当時、シャルル2世は18歳で、兄たちのように敬虔王の共同統治者となった経験が無く、与えられた封地の統治経験も無かったからだ。

「毛ほどの領地も統治経験も無い」から「禿げ」と言ったところだろうか?

 ともかくも、アルヌルフはこの大叔父を嫌う事にしていた。




「いや、お前が嫌うのも分かるけど、あいつはお前に何かした訳じゃないだろ?

 だったら無闇に嫌わず、交渉とか根回しとか考えても良いのだからな」

「祖父様、何をまだるっこしい事言ってるんですか?

 フランク族には『一に突撃、二に突進、三、四が戦い、五に戦死』という言葉があるじゃないですか!」

「そんな言葉は無い!

 誰が言っていた?」

父上(カールマン)が……」

「あの馬鹿が……。

 良いか?

 何も考え無しの戦いだけでは何も手に入れられないぞ。

 戦いを否定はせぬが、もっと準備をしてからにせよ。

 頭を使うのじゃ」

「……と言って果断に動かなかったから、イタリア王をあの禿げ(シャルル)に先に奪われたんですよね!」


(ゴスッ)


「知った風な事をぬかすな!

 わしが(シャルル)に遅れを取ったのは、病で動けなかったからだ!

 わしは度々病で動けなくなるからこそ、力だけでは無く、頭を使う事も覚えたのじゃ!」

「祖父様!

 頭を使うと言うのは考えろって事でしょう?

 頭は頭でも、暴力としての頭突きをしたら何の説得力もありませんぞ!

 アルヌルフの奴も、気を失ってしまって何も耳に入っておらぬではないですか!」


 もう一人の人質、フーゴーが祖父を宥める。

 フーゴーはアルヌルフと同じ境遇、同じ庶子という立場、同年代だが随分と成熟している人物だ。

 それはさておき、ルートヴィヒは頭が痛かった。

 頭突きの痛覚ではなく、アルヌルフの指摘が、である。

 彼とて、動けるに越した事はなかった。

 だが彼は、長兄の死後に起こった遺領再分割の際も、病気を得て動けずにシャルル2世に遅れを取ってしまっていた。

 肝心な時に動けない病弱な体。

 だからこそ政治的に動くようになったのだが、子も孫も若い時の自分生き写しなのである。


 気に入らないなら逆らえ!


 そんな気質の長男カールマンだからこそ、あまり東方に戦火を拡大させないよう、イタリア王の座とその封地を継承させ、ロドヴィコ2世が得ていたローマ皇帝位を与えて大人しくさせようとしていたのだが……。


『かつて甥っ子(ロドヴィコ)が死んだという噂が立った時、カールマンをして皇帝位を継承させようと焦ったのが、今になって裏目に出たかもしれん。

 皇帝(ロドヴィコ)は生きていて、我が弟め(シャルル)と組んでカールマンを拒絶しおった。

 だから此度は慎重に、司祭を遣わせて様子を伺ったのだが……上手くいかんものだ』


 前回は焦り過ぎ、今回は慎重に出たのだが、状況に違いがあったのだ。

 現在、西欧社会には4つの敵がいる。

 東方のスラヴ人とその奥にいる東ローマ帝国、北方のノルマン人、そして南方のイスラム教徒サラセン人である。

 シチリア島に拠点を構えたサラセン人の侵攻に対し、救援要請に応えたシャルル2世が即座に兵を送り、そのついででイタリア王国の併合とローマ皇帝位の奪取を行ったのだ。


『孫の言う事にも理はあるか……』

 ルートヴィヒは、気絶をしているアルヌルフを見下ろすと、書記官であるキリスト教聖職者を呼ぶ。


愚息奴(カールマン)に書状を送れ。

 イタリアに攻め込む支度をせよ、と。

 あとはマインツ大司教をこの地に招く。

 儂の代わりに国政を任せる、と」


長男(カールマン)には、この庶子アルヌルフしか子がおらん。

 こいつを抑えておけば、カールマンは制御出来る。

 あの脳筋(カールマン)とて我が子には変わりない。

 わしが生きている内に、(シャルル)との関係を決着し、皇帝位を奪い、祖父・カール大帝の統一フランク王国を再建するのだ』


 子や孫を脳筋と評するルートヴィヒも、結局は脳筋な解決法に傾いた。

 彼は自分の子孫で西欧を全て統一しようと目論む。

 統一フランク王国の夢は、弟のシャルル2世も見ていた。

 皮肉な事に、その夢をぶち壊す最後の人物が、目の前で伸びている孫・アルヌルフだという事を、ルートヴィヒは思いもしていない。

 彼こそ、西欧が今の形になるか、統一国家であるかの分水嶺に最後に立っていた男であった。

※:作者は古フランク語やラテン語はさっぱりわかりません。

なので、東フランク王国関係者はドイツ語読み、西フランク王国関係者はフランス語読み、イタリア王国及びローマ教皇関係者はイタリア語もしくはラテン語読みで区別します。

でないと、シャルルとカールとカルロが同時に居た際、分かりにくくなりますので。

あと、本来即位後にルートヴィヒ3世と呼ぶ筈ですが、第三者視点の時は区別の為にさっさとルートヴィヒ3世と書きます。

当時の人たちの会話では、何世ってのは省く予定です。

(親の名前を継承しまくるゲルマン人が全て悪いんだ……)

なお、国号については、少なくとも東フランク王国はルートヴィヒ2世が

「うちは東フランク王国」

と言ってたので、そのまま使います。

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