5.ジャック・ジラルゴット大公が唯一欲した女人
第二王子であるアランを伴い謁見の間に赴いた俺は、玉座に座る王を冷めた目で見やり目礼すると、挨拶の言葉を口にする事なく、いきなり本題へと突入した。
正直言って、呑気に挨拶するほど今の俺は心穏やかではない。
何故なら、抑えても抑えても、抑えきれぬ怒りの炎が燃えたぎってくるからだ。
いや、抑えようとすればするほど、怒りの炎は勢いを増す。
―――あの二人の不仲説など、とうに知っているだろうに、何の対策もせぬとは。
息子を諫めもせぬ王に対し、更なる怒りが俺を覆いつくす。
どうして気付かぬ。
どうして分からぬ。
どうして理解せぬ。
あの二人が不仲であればあるほど、両国間に亀裂が入るという事に。
軍事力に定評のあるシャーク国が本気を出せば、我が国はあっという間に取り込まれるという事に。
―――何と愚かな。腹の立つ事よ。
そんな心中など与り知らぬであろう王は、俺がまとう絶対零度の空気に躊躇いを見せつつも、微笑を浮かべながら訪いを歓迎した。
「ジャックよ、今日はアランまで連れてどうし―――」
「臣下として、単刀直入に伺う。国王陛下、マルティス王太子とセシリア王太子妃の不仲をどうお考えか!?」
「不仲!?いや、それはあくまで噂だ。それに、例え不仲が事実だとしても、あの二人は国や民、王室に対する責任を放棄したりせぬ」
「笑止!」
「ジャック!?」
「少なくとも、マルティス王太子はその責務を理解せず、セシリア王太子妃を粗略に扱っている」
それを証拠に、王太子妃のお披露目パーティーでマルティスが元恋人・・・いや、今も関係が続いているベルダン男爵令嬢と事もあろうに、ダンスを3曲も踊った事や、セシリア妃を侮辱し暴言を吐いた事も包み隠さず報告した。
すると、王の顔が段々と引きつり、目がせわしなく動き始めたではないか。
はっきり言って、挙動不審だ。
「陛下、まさか知らなかったとでも?大公である私ですら知り得た情報だと言うに、まさか国の最高権力者が知らぬなんて事は、あり得ませんよね!?」
「あ、いや、その・・・ダンスの件は耳にした。だが、マルティスが暴言を吐いた事までは知らぬ」
そう口にした王は、深い溜め息を吐きながら、自らが腰かける椅子のひじ掛けにひじをつき、そして手で額を抑え項垂れた。
その様子を見るに、どうやら本当に知らなかったようだ。
だからと言って、許される事ではないし、許せるものでもない。
無知は罪だ。
責任ある立場の人間であればあるほど、その罪は重くのしかかる。
それに思い至らぬほど、王は愚かではなかった気がするのだが、俺の買い被りだったのだろうか?
「陛下、マルティスはセシリア妃に『信用出来ぬ』と捨て台詞を吐いた。これ即ち、シャーク国に対する侮辱と受け取れるが如何に!?」
「シャーク国の国王夫妻や臣下、国民からも慕われていたセシリアに対し、信用出来ぬという言葉は侮辱と受け取られても仕方ない」
「では、マルティスの言葉をシャーク国が『宣戦布告』と受け止めたら如何される!?」
「シャーク国に知られる前に、手を打たねばならん」
そんな事は分かっている。
海を挟んだ向こう側にシャーク国があるとは言え、悠長な事は言ってられない。
何故なら、あの国の海軍が船で我が国を囲み本気を出したらどうなるか、そんなのは火を見るよりも明らかだからだ。
「陛下・・・いや、兄上。何故だ。何故、セシリア妃を冷遇するマルティスを諫めない!?あれを諫めるのは兄上の役目ではないのか!?」
「それはそうだが・・・」
「手を打つと言っても、既に手遅れだと思うが」
「ジャック!?」
だって前々から、シャーク国の間諜はこの城に潜んでいるのだから。
俺が知り得る情報を、シャーク国の間諜が知らぬとは到底思えぬ。
間違いなく今回の醜聞は、シャーク国の王や王弟の耳に入る。
何故かって?
それは、あの国の間諜は、他国に比べ優れた仕事をするからだ。
だからこそ、国としての結束力が強く、それが軍事にも良い影響を与えているのだろう。
その旨を余すことなく伝えると、王の顔色はますます悪くなっていった。
とは言え、俺は追及の手を止める気は更々ないのだがな。
「二人の不仲説を煽った隣国が、国境付近できな臭い動きをしている」
「何だと!?」
「隣国の宰相と将軍が、極秘でシャーク国に渡ったという情報を得ている」
「まさか!?姦計を企てているとでも?」
「十中八九そうだろう。きっと隣国は二人の不仲を盾に取り、我が国に対する不信感をシャーク国王に植え付けるはずだ。そうなると国王は当然、自身の右腕である王弟に相談する。となれば、セシリア妃を溺愛している王弟が黙っていない。すぐに事実関係を調べ、手を打ってくる」
「手を打つとは、具体的にどんな?」
「セシリア妃を粗略に扱ったマルティスと、それを諫めなかった兄上に抗議をし、セシリア妃を強引にシャーク国へと連れ戻す。そして、離婚をさせてから国交断絶をし、隣国と同盟を組んで我が国を挟み撃ちにするだろう。海からはシャーク国、陸からは隣国。これが何を意味するか分かるな?兄上」
国土が焦土と化す。
国は荒れ、民は疲弊し、王家に対する怨嗟の声が蔓延して、この国は終焉を迎える。
それを、マルティスどころか兄上までも気付かなかったとは、片腹痛し。
「残念ながら兄上、この国では二国を相手にするだけの軍事力がない。軍の全権を担う俺としては恥ずべき発言だが、しかし嘘は吐けぬ。隣国だけならまだしも、シャーク国までをも敵に回したら成す術がない」
たった一つの過ちが、国の行く末を変える。
それが、国と国との婚姻だ。
兄上が是非にと望んで婚姻を結んだのに、それを蔑ろにされたのでは、シャーク国も立つ瀬がないだろう。
顔に泥を塗られたと激怒されても仕方がない。
実際、それだけの事をマルティスはしてきたのだ。
弁明の余地もない。
「だから、自分の言動に責任を持てと何度も忠告したのに・・・マルティスはセシリア妃と向き合う事すらしなかった。知らぬ国に嫁いできて、さぞや心細かっただろうに。それを慰め支えるのが、夫たる者の役目ではないのか!?」
たかが婚姻、されど婚姻。
国と国との縁がもつれただけで、一寸先は闇となる。
だからこそ、常に忠告したのだ。
国を背負う立場の人間として、決して個人的感情で突っ走るな、よく考えて行動し発言をしろと。
「だけど、マルティスには届かなかった。あやつは、この婚姻が何たるかを理解していなかった。いや、今も理解していない」
セシリア妃はシャーク国で愛される存在だから、決して粗略に扱うな。
粗略に扱えば、シャーク国は黙ってはいない。
必ず牙をむく。
だから、セシリア妃に対する言動は、シャーク国と直結するという事を絶対に忘れるな。
そう何度も何度も告げた。
「その義務すら果たせぬと言うのなら廃太子となり、恋人である男爵令嬢と添い遂げればいい。国や民の事よりも個人的感情を優先したいのであれば、そうしろ。兄上は俺が説得する。そう言ったのに、マルティスは欲を張って王太子の座も男爵令嬢も欲し、セシリア妃を排除しようとしている」
恋人を妃に迎え入れる事が出来なくて辛いかもしれぬが、王太子としての立場や役割を考えろ。
王族は個人的感情で結婚は出来ぬ。
国や民の事を考えた婚姻しか結べぬ。
それが嫌なら王族から籍を抜き、恋人と添い遂げるがいい。
それだけの覚悟があるのなら、止めはせぬ。
俺が兄上を説得するから、己の信じる道を突き進めばいい。
そんな俺の言葉すらも、マルティスの耳には届いていなかった。
セシリア妃もシャーク国も俺も、随分とコケにされたもんだ。
それほどまでにセシリア妃を娶りたくなかったのなら、その座を賭してでも男爵令嬢の手を取り、添い遂げればよかったのだ。
それすらせず、何もかもを欲した。
そのせいで、誰もが幸せとは程遠いところにいる。
愚かなマルティスのせいで・・・いや、アイツだけじゃない。
「どうして横やりを入れた!?兄上」
「ジャック?」
「生まれて初めて女人を欲した。心の底からセシリア妃・・・セシリア王女を娶りたいと俺が望んでいた事を、兄上は知っていたはずだ。それなのに、俺ではなくマルティスに嫁がせた。俺が唯一、自ら欲したセシリア王女を兄上は権力を使い奪った!俺は今まで、王位の座も権力も欲した事はない。むしろ、煩わしいとすら感じていた。だから臣籍降下をして、臣下に下ったのだ。そうすれば、権力争いに巻き込まれずに済むし、命も狙われない。それに、自らの意思で婚姻も結べる」
王族に名を連ねている限り、政略結婚は当たり前だ。
そして、それに併せ有力貴族の覇権争いも勃発する。
それが煩わしいからこそ、さっさと臣籍降下をして婚姻を見送っていた。
新たな火種を作りたくなくて。
だがそんな中、俺は運命の女性に出会ってしまったんだ。
臣籍降下し、外交官としてシャーク国を訪問した時に。
「セシリア王女と一緒に年を重ねていきたいと思った。互いに寄り添い、支え合う夫婦になりたいと願った。俺の手で彼女を笑顔にし、幸せな日々を送るんだと決心していた。それを兄上はぶち壊した!何故、俺のたった一つの願いを無碍にした!?何故だ、兄上。答えてくれ!!兄上」
血を吐くかのような俺の叫びに、王は勿論の事、王の傍に控える宰相や第二王子であるアランまでも、目を大きく見開き息を呑んだ。