3.音をたて崩れ去る心
その噂を耳にしたのは、母国から伴ってきた侍女だった。
彼女は密偵のような仕事もこなすので、情報収集には長けている。
だから私は、侍女の話に耳を傾けた。
「ファニー嬢を側妃に迎える!?」
「貴族社会では、その噂がまことしやかに囁かれております」
「それは、殿下がファニー嬢とダンスを踊ったから?」
「はい。どうやら3回踊ったようです」
―――3回も踊ったですって!?
その言葉に、私は軽いめまいを覚えた。
私のお披露目パーティーで、3回もダンスを踊る。
これが意味する事を、殿下もファニー嬢も理解しているのだろうか。
「3回も踊っただなんて・・・それでは、『私たちは夫婦同然です』と、言っているようなものじゃない」
「それ故、ベルダン男爵令嬢を側妃に・・・と、噂されているのでしょう」
「誰も殿下を咎めなかったの!?」
「お二人は会場内で1回、バルコニーで2回、踊られたそうです」
「だから、人目にはつきにくかったと?」
「はい。とは言え、見ている人は見ておりますから・・・」
それはそうだ。
国の為に、強引に別れさせられた悲劇の殿下と令嬢の行く末は、貴族社会では注目の的。
そんな二人が行動を共にすれば、あっという間に噂は広まるだろう。
―――人の口に戸は立てられない。
身を持ってそれを知らされた。
などと、吞気な事を言っている場合じゃない。
この噂を収束させなければ、取り返しのつかない事になる。
「王城内でも、その噂は広まってる?」
「一部では」
「・・・陛下や王妃殿下のお耳にも届いたかしら」
「それは分かりかねますが、少なくともジラルゴット大公様はご存知でした」
「ジャック様・・・大公様が?」
「はい。セシリア様と王家、そしてシャーク国の顔に泥を塗ったと激怒されたとか。周囲にいた方たちは、あまりの大公様のお怒りに恐れおののき、顔面蒼白だったと聞き及んでおります」
いけない事だと分かっていても、ジャック様が私の為に怒りをあらわにして下さった事が嬉しい。
気遣って下さるその心が、今の私を救ってくれる。
「側妃の噂がジャック様のお耳にも届いているのなら、陛下のお耳にも届いているでしょうね」
「いかがなさいますか?セシリア様」
「そうね・・・殿下にお会いするわ。先触れを出してくれる?」
「かしこまりました」
早々に手を打ち、噂の収束に努めなければ、噓から出た実になってしまう。
もし、ファニー嬢を側妃にあげるとなったら、母国のシャーク国が黙っていない。
結婚して半年しか経っていないのに、元恋人を側妃にするとは一体どういうつもりなのかと、シャーク国は問い質そうとするだろう。
そうなれば、二国間の関係にひびが入る。
トリスト国からすれば、
「側妃如きで口を挟むなど内政干渉だ」
と、なるだろうし、シャーク国からしたら、
「そちらから頼み込んできた婚姻なのに、結婚後すぐに元恋人を側妃にあげるとは、当国をバカにしているのか」
と、抗議したくもなるだろう。
「鬱陶しいと思われても、殿下をお諫めしなければ」
これは個人的な感情の問題ではない。
国と国との婚姻だけに、公の問題となる。
―――最悪の場合、国交断絶の上、戦争に発展してもおかしくないわ。
母国であるシャーク国は、軍事力が強く戦上手だ。
戦闘的民族ではないけれど、誇り高き戦士たちは血気盛んで、力がみなぎっている。
もし、シャーク国軍の将軍である私の叔父が、この醜聞を耳にしたら・・・・
―――トリスト国に血の雨が降るわ!!
私を溺愛する叔父の事だ。
間違いなく、先陣をきってこの国に攻め入るだろう。
それだけは絶対に阻止しなければ!
そんな逸る心を抑えつつ、私は王太子に会うべく身なりを整えた。
「殿下。ファニー嬢と3回ダンスを踊られた事により、彼女を側妃にあげるという噂が流れております」
「・・・だから何だ」
「ファニー嬢を側妃になさるおつもりですか?」
「それを聞いてどうする」
「側妃にするなとは言いません。ただ、側妃にあげる時期を見誤らないで頂きたいのです」
「そなたに・・・そなたに何が分かる!!」
まるで親の仇を目の前にしたかの様な、そんな憎しみの眼差しを私に向けた殿下は、その感情の赴くままに、手近にあった机を握り拳で叩いた。
「ファニーを王太子妃にしたかったんだ!それなのに、そなたを娶らねばならなかった僕の気持ちが分かるか!?」
「王族は国の安寧、民の命を背負う立場にあります。不本意でも、それだけはご理解下さい」
「王族である前に、僕は一人の人間だ」
「高貴な身分であればあるほど、私情は挟めません」
「そんな事くらい分かっている!したり顔で言うな!そなたの物言いは、僕の神経を逆なでさせる」
「・・・」
―――子供みたいに癇癪をおこして・・・これが未来の国王とは情けない。
決して口には出来ぬ言葉を、ぐぐっと呑み込む。
不本意だろうが何だろうが、現実を受け入れるしかない。
責任を放棄する訳にはいかないのだ。
「目を背けたくなるのは分かりますが、国や民の事を考え、互いに少しずつ歩み寄りませんか?私たちが不仲だと民が知れば、不安にもなりましょう。政局も不安定になり、きな臭くなります。国が乱れる元になりますし、どうか―――」
「・・・そこまでして、僕の愛を求めるのか?僕の愛が欲しいのか?」
「殿下!?」
「ハッ!!滑稽だな。国や民を盾に取り正論をかましてはいるが、本音は僕に愛されたいんだろ。哀れな女だな」
―――はっ?いや、何を言ってるのかしら。一度たりとも、貴方の愛を欲した事はないのだけれど。
例え、男女の情は芽生えなくとも、家族としての情は持ちたい。
少なくとも私はそう考え、この国の妃として嫁いできた。
何より、将来の国王、王妃として、仲睦まじい姿を国民に見せるのは義務の一つだと思っている。
不仲だと思われたら国民を動揺させてしまうし、何より他国へ隙を見せる事になるからだ。
特に隣国は、隙あらばトリスト国を侵略しようと機会をうかがっている。
そんな中、私たち夫婦の関係が隣国に知られたらどうなるか!?
―――私と王太子を離婚させる為、陽動作戦をとるでしょうね。
王太子が元恋人を側妃にあげ寵愛し、王太子妃を冷遇。
そして、王太子妃と離婚し、元恋人を正妃にする。
それを知った王太子妃の母国、シャーク国の国王が激怒。
二国間は同盟を破棄し、国交断絶となる。
そういったシナリオを描き、トリスト国を動揺させてから攻め入るつもりではないだろうか。
―――軍事力があるシャーク国がこの国と同盟を破棄すれば、隣国は攻めやすくなるもの。
シャーク国という同盟国を後ろ盾にしたからこそ、隣国を牽制できる。
だが、そのシャーク国がトリスト国から手を引いたらどうなるか?
―――隣国は、好機とばかりに攻め入ってくるわ。
上手くいけば、仲違いしたシャーク国を取り込んで一緒にこの国に攻め入る事ができる。
そう、隣国は考えるのではなかろうか。
―――婚姻一つで、敵にも味方にもなる。
だからこそ、短慮な行動は慎まなければ。
そう考えた私は、なるべく冷静にその旨を伝えようとしたのだが・・・・
「僕がそなたを愛する事など一生ない!僕の愛など決して求めるな!」
「・・・」
「そなたなど、信用できぬ。心など許さぬ」
「っ!!」
私の心の中で今、何かが音をたて崩れ去っていった。