2.私だけは貴女の味方だ
私がトリスト国に嫁いでから約半年が経った。
夫とは相変わらずの関係で、つかず離れずを保っている。
そんな中、王太子妃のお披露目を兼ねたパーティーが王家主導のもと、王城で開催される事になった。
実はこのお披露目、今回で二回目となる。
一回目は伯爵位以上の貴族を招いたもので、それは先月開催された。
そして今回、子爵位と男爵位の貴族を招き私のお披露目をするのだが、そこには当然、夫の恋人だったベルダン男爵令嬢と、その親であるベルダン男爵夫妻も参加をする訳で。
「殿下、不本意ではありましょうが、ファーストダンスは私と踊って下さいませ」
「・・・・・」
「新婚なのに不仲だと噂されるのは、この国にとってもプラスにはなりません。ですから殿下、どうか━━」
「・・・分かっている」
諦めにも似た表情で「是」と答えた夫に、私は思わず溜息を吐きそうになった。
分かっているのなら、もう少し笑みを浮かべたらどうなの。
自分の立場を分かってらっしゃるのかしら!?
これではまるで、不貞腐れた子供のようじゃない。
内心でそう小言を述べながら、私は夫と共にダンスを踊った。
「殿下、お上手ですのね」
「・・・・・」
「足を引っ張らない様、気をつけますわ」
「・・・・・」
私と言葉を交わす事すら、煩わしいと!?
「殿下。ファーストダンスを踊って下さり、感謝致します」
「・・・義務だ」
「例えそうだとしても、私は殿下と踊れて嬉しいです」
「・・・そうか」
私は覚悟を持って嫁いできたのだ。
例えどれだけ疎まれていても、素っ気なくされても、無言を貫かれても、私の居場所はココしかない。
殿下の隣しか。
だから・・・
なるべく、夫の心に寄り添えるように。
できるだけ、楽しめるように。
優雅かつ気品を持って。
周囲の視線を全身に浴びながら、隙を見せず、卒なくこなし、笑みを絶やさず。
そう心がけながらこの場に立つ私を、夫は理解してくれているのだろうか。
―――答えは『否』だ。
夫は今も尚、ファニー嬢しか目に入れていない。
彼女だけが、夫の心を独占している。
それを証拠に、踊っている最中もファニー嬢を目で追っていた。
それは、ダンスを踊り終えた後の言動でも明らかだ。
「一曲踊れば充分だろう」
「・・・はっ?」
「後は好きにさせてもらう。其方も好きにせよ」
「殿下!?」
そう一方的に告げた殿下は、私を顧みる事なく、ファニー嬢の元へと足を向けた。
「・・・ひどい」
こんな屈辱的な事があろうか。
私が一体、何をしたと言うの。
新婚なのに一曲しか踊らない。
それが何を意味し、どんな憶測を呼ぶのか理解しているの!?
「どれだけ心を砕いても、届かない」
約半年、出来るだけ夫の心を知ろうと努力した。
ファニー嬢を忘れられずにいる夫を、追い詰める事も咎める事もしなかった。
殿下の負担にならない様、お仕事のサポートもさりげなくした。
押しつけがましくせず、さり気なく寄り添おうとした私の心を、夫は踏みにじったのだ。
私のお披露目パーティーである、この場で。
情けなくて、悔しくて、恥ずかしくて、涙がこぼれそうになる。
「・・・私は一人ぼっちなのね」
でも、涙など見せてはならない。
私はトリスト国の王太子妃であり、母国であるシャーク国の王女でもあるのだから。
侮られる訳にはいかない。
国を背負っている自覚を持たねば。
そう自分自身を叱咤し、己を奮い立たせようとした時、
「この国の麗しきセシリア王太子妃殿下。どうか、私と踊って頂けませんでしょうか?」
「ジャック・ジラルゴット大公様・・・・」
ジャック様が柔和な笑みを浮かべながら、私に手を差し伸べて下さった。
「外交でシャーク国を訪れた私と、一緒に踊ったのを覚えておいでか?」
「もちろん、覚えております」
「その時以来、踊っていないので少し不安でもありますが、お相手願えますか?」
「私で宜しければ是非」
喜びで震えそうになる声を何とか抑え、私は差し出されたジャック様の手をとった。
この時間だけは、二人きりの世界に浸れる。
ジャック様との時間を独占できる。
それだけで、私の心は満たされるのだ。
「マルティスの叔父として、王太子の臣下として、セシリア妃殿下にお詫び申し上げます」
「大公様!?」
「アイツは夫として不義理をし、国を将来統べる者としての責務を理解せず、情けない限りです」
「大公様・・・」
目を伏せ、辛そうな表情を浮かべるジャック様に、私は何と言葉を返せばいいのか分からない。
素直にお礼を言うべきなのか、それとも、自分の努力が及ばないせいで・・・と、詫びるべきなのか。
夫に注意を促しても、全く耳を傾けてくれないのは、私の力不足のせい。
関心を持ってもらえないのは、私の対応が悪いからだ。
心の中で、そう己を責めていたところ、
「セシリア妃殿下、どうかご自分を責めないで」
ジャック様にたしなめられた。
「貴女がマルティスのサポートをさり気なくしている事も、この国に骨をうずめる覚悟で執務にあたっている事も、私は知っています」
「!?」
「現に、文官の貴女に対する評価はかなり高い。貴女の書かれた書類は、誰が見ても分かり易いと評判だ」
「そう・・・なんですね」
「ええ。だから、胸を張って下さい。貴女はもっと、自分を誇っていいんです」
「えっ!?」
自分を誇る・・・。
いいのだろうか?
夫との距離を縮める事すら出来ない私が、胸を張ってもいいの?
「セシリア妃殿下。見ている人は見ている。貴女の努力、覚悟が如何ほどのものかを・・・私は知っている」
「大公様・・・私は・・・」
「貴女は一人じゃない。私が・・・いや、みんながいる」
「は、はい!」
ああ、私は一人ぼっちじゃないんだ。
ちゃんと、見てくれている人がいる。
それをジャック様に力強く言われ、ざわついていた私の心は穏やかになった。
―――ダメね、私。ジャック様に対する想いを、封印しきれていない。
何重にもカギをかけ、蓋が開かないようにした恋心だけど、油断をすると想いがあふれ出そうになる。
これでは、夫を責められない。
―――魑魅魍魎が住まう貴族社会で、揚げ足を取られる訳にはいかないわ。
夫以外の男性に想いを寄せただけで、不貞を疑われる世界だ。
ジャック様にも迷惑をかけてしまう。
これは一層、気を引き締めていかないと。
そう、固く心に誓った時、
「世界中の人間が貴女の敵に回ったとしても、私だけはセシリア妃殿下の味方だ」
「なっ!?」
「世界中の人間を敵に回しても、貴女の盾となり鉾となる。だから・・・」
「だから?」
「私を・・・私だけじゃなく、信における者に助けを求めてほしい。頼れる人間は沢山いる。それを忘れないで」
「大公様・・・」
嗚呼。
ジャック様の瞳に、吸い寄せられそう。
慈愛の念が込められた眼差しは、何を物語っているの?
何を伝えようとしているの?
―――もしかして、ジャック様も私と同じ想いを抱いて下さっている!?
そんな勘違いをしそうなくらい、ジャック様の瞳は憂いていた。
そして、留めとばかりに、
「セシリア妃殿下の傍には私がいる。だから、悩み事をため込まずに吐き出してほしい。我慢ばかりでは、貴女が壊れてしまう。そんな姿を、私は見たくない」
ジャック様が、更に混乱しそうになる言葉を紡いだ。