1.無関心な夫と初恋の君
シャーク国の第二王女として生を受けた私は、海を挟んだ向こう側にあるトリスト国の王太子殿下に嫁いだ。
この縁組は、トリスト国王陛下たっての願いだったと言う。
―――何故、私に白羽の矢が立ったのか!?
それは、嫁いですぐに判明した。
「マルティス王太子殿下には、ファニー・ベルダン男爵令嬢という恋人がいらっしゃったようです」
「恋人が?」
「はい。トリスト国王は猛反対し、お二人を強引に別れさせたそうです」
「そう」
それで、慌てて花嫁をあてがったという訳か。
マルティス王太子殿下と年回りのいい、シャーク国の第二王女である私を見つけ、有無を言わさず強引に。
「トリスト国王が反対なさったのは、身分差のせい?」
「はい」
「だとしても何故、私だったの?」
「理由はありそうですが、今のところハッキリとは・・・」
「そう、分かったわ。ありがとう」
母国から連れてきた侍女からの報告に頷いた私は、「下がって休みなさい」と一言添え、部屋から退出するよう指示した。
実は、侍女からの報告内容は既に、母国にいた時には仕入れていた。
夫となるマルティス王太子殿下には、正妃にしたい恋人がいたという事を。
その恋人が、身分差のある男爵令嬢で、周囲からは祝福されない相手であるという事を。
そして、マルティス王太子殿下が望んで私を妃にした訳じゃない事も、初夜の日に改めて思い知らされた。
「長旅で疲れたであろう。ゆっくり休め」
「え!?あ、あの―――」
「そなたを抱くつもりはない」
「!?」
「そなたは、トリスト国の未来の王妃だ。それ以上でも以下でもない」
私から顔を背け、無表情でそう言い放った夫は、何の躊躇いもなく主寝室を後にした。
海を越えて嫁いできた私に何の労いもなく、気遣いすら見せずに。
後ろ髪を引かれる事なく、あっさりと。
「あくまで王妃として扱うと・・・私自身には何の興味もないと・・・あはははは!!」
そんな事はとうに知ってた。
結婚式で花嫁である私に、視線を向けるどころか目すら合わせず、誓いのキスも、唇に触れるか触れないかの距離で止められたのだから。
それが、どれだけ惨めで恥ずかしかったか、きっとあの男は気付いていない。
「恋人との仲を引き裂かれたのは、私が元凶だと思ってるのかもね。悲劇の主人公でも気取ってるつもりかしら!?」
冗談じゃない。
そちらの事情で嫁がされた私の身にもなれ。
誰も好き好んで、アンタに嫁いできた訳じゃない。
そう声を大にして口にしそうになり、慌てて言葉を吞み込んだ。
「淡い恋心を強引に閉じ込め、覚悟を決めて王太子妃になろうと嫁いできたのに。嫁ぐからには、王太子と心を寄せ合い、支え合って生きていこうと決心してこの国に来たのに・・・あの男は!!」
二心を抱いて嫁ぐなど、背徳にあたる。
一生を共にする王太子にも、トリスト国の国民にも失礼だ。
だから私は、生まれて初めて抱いた淡い恋心に重い蓋をし、夫や国に仕えるべく嫁いできたというのに。
それなのにあの男は、男爵令嬢に対する想いを隠す事なく、垂れ流しのまま、私との婚姻に至った。
それに気付かぬほど、私は馬鹿じゃない。
きっと、式の参列者も気付いたはずだ。
―――シャーク国からやってきた王女は、お飾りの妃だ。
・・・・と。
結婚式の翌日、
「身内の顔合わせがてら、軽くお茶でもしようじゃないか」
という国王陛下の提案で、ごくごく身内の人間が庭園に集まり、アフタヌーンティーを楽しむ事となった。
当然、私の横には無表情のままのマルティス王太子がいる。
どこからどう見ても、新婚生活を喜んで迎え入れているようには見えない。
―――もう少し、自覚したらどうなの。子供みたい。
トリスト国王肝入りの婚姻だというのに、こんな不満そうな表情を浮かべていては、不協和音を生じかねないのに。
国王に対し、一物抱えていると勘違いでもされたら、どう弁解するつもりなのか。
そのあたりを理解しているのかしら。
などと、胸の内で呟いていた私の耳に、
「王太子殿下。そなたの態度は目に余る。二国間の絆を深める為に、はるばるこの国に来て下さったセシリア王太子妃殿下に対し、あまりにも無礼ではないのか!?妃殿下を送り出してくれたシャーク国の国王に、何と申し開きをする」
王太子の態度を咎める声が届いた。
その声の持ち主は、見ずとも分かる。
心の奥底にしまいこんだ、初恋の君のものだから。
何重にもカギをかけ、決してあふれ出てこない様に頑丈に蓋をしてしまい込んだ、私の恋心。
絶対に悟られてはならない、ぶり返してもいけない、私の恋心。
生まれて初めて私にそんな感情を抱かせてくれた、
「ジャック・ジラルゴット大公様」
トリスト国王陛下の年の離れた王弟で、臣籍降下したジャック・ジラルゴット大公様。
「お気遣い、ありがたく存じます」
「いえ、こちらこそ申し訳なく。セシリア王太子妃殿下」
「盛大な御式でしたから、王太子殿下もお疲れになっているだけですわ」
「セシリア王太子妃殿下の優しいお心遣い、感謝致します」
そう言いながら目礼するジャック様は、本当にお優しい。
外交官としてシャーク国に来て下さった時も、会談で同席した私をさりげなく気遣って下さった事がある。
そして、会談後の歓迎パーティーでも、気さくに声をかけて下さった。
当然ながら、私の心は一瞬にして、ジャック様に奪われてしまったのだ。
そんな素敵なジャック様は、トリスト国軍の全権を担い、外交もこなす立派な御方。
鉄紺のミディアムヘアーは、大人の色気をかもしだし、深緑の瞳は賢才である事を雄弁に物語っている。
全身からみなぎる覇気は、思わず跪いてしまいたくなるほど。
男らしい整った顔立ちに、長身でガッチリした体躯。
天から一物どころか、十物くらい与えられたかの様な素敵なお姿に、思わず見惚れそうになる。
これでは独身の貴族女性が放っておかないだろうな。
そんな事をぼんやり考えていた私を他所に、大公様は私の夫である王太子に更なる苦言を呈した。
「結婚式でのそなたの態度、シャーク国のお身内の目にどう映ったかな!?」
「叔父上?」
「一国の王女に対し不遜である。我が国に敵意あり。そう捉えられてもおかしくない」
「僕は決してそんなつもりでは―――」
「じゃあ、どういうつもりだ?どう見ても、セシリア妃殿下を邪険に扱っているではないか」
「僕は・・・」
「国と国とを繋ぐ重要な婚姻だと、何故分からぬ。理解出来ていないのか?」
「・・・・」
「たった一人の妃を愛せぬ者が、多くの国民を愛せるのか?妃を大切に出来ぬ者が、国民を導いていけるのか?甚だ疑問だ。いいか!?王太子殿下。将来、国を統べる腹積もりでいるなら、その辺りを念頭において行動しろ」
叔父からの有難い言葉として、胸に深く刻んでおけ。
そうピシャリ言い放ったジャック様に、私は不覚にも涙をこぼしそうになった。