間話 聖女候補生2
ジュリとカタリナ、その他の修道女達の懸命な頑張りで、あれほど居た重傷者をその日の内に治癒する事が出来た。
後は軽傷者を残すのみとなったのである。
結果的に言うなら、魔力回復薬をガブ飲みしたジュリの懸命な治癒魔法は功を奏したのである。
重傷だった兵士の1人が、彼女に向かってお礼を言い出す。
「姉ちゃん、ありがとなっ! 腕は無くなっちまったけど……あのまま放置されてたら出血で死んでたろうからな」
「ああ、それにこの姉ちゃんは、手持ちの赤のポーションを全て使ってまで、苦しんでる俺を治癒してくれたんだぜ。彼女は俺たちにとっての聖女様だろ」
「ああ、違いないなっ!」
「よっ! 聖女ジュリ様っ!!」
兵士達の台詞や聖女コールに、ジュリは思わず口元を綻ばせる。
そんな彼女の元にカタリナは近寄りながら話す。
「良かったわね。念願の聖女扱いよ」
「何よ、馬鹿にして……分かってるわ。兵士達も単に悪ノリして煽ててるだけだってのは、けど彼らは予想もしてないでしょうね。私が本物の聖女だって事に」
「相変わらずな自信家ね。ある意味感心させられるわ。それより、いい加減早く休みましょ」
ジュリを含め皆が皆、疲労困憊で限界だった。
魔力回復薬も使い切り、体力も気力も尽きかけている。
「ええ、そうね」
ジュリはそう同意して、出口に向かって歩き始めた所で、村の見張り台の鐘が鳴り響いた。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ!
カタリナや他の修道女達と共に驚いて足を止めていると。
後方の治癒した兵士達が怯え出す。
「奴だ……デッドリーエイプが、また現れやがったんだっ」
「ヒィィィィィィッ! 俺はもう嫌だぞっアレと戦うなんて無理だっ」
「うっうううううううううぅ」
つい先程まで冗談を交えて、明るく話してた屈強な兵士の余りの怯えように、ジュリは惚けてポカンとする。
「デッドリーエイプって、まだ討伐されていないんですか?」
カタリナが思わず聞くと兵士の1人が苦虫を噛んだような顔で、答える。
「倒す? 誰がいつそんな事言ったんだ? アンタは奴を見てないから、そんな事平気で言えるんだ。遭遇してみなよ……俺の言った意味が、きっと理解出来るぜ」
どうやら、デッドリーエイプは、想像以上に危険で凶悪な魔物のようだ……。
やがて、屈強な兵士の怯えは周囲に伝染していき、集会所の全員が恐怖で震え出した時、バンッと扉は大きな音を立てて開かれる。
ビクンッとジュリの肩が大きく跳ね上がり……怯えながらも振り返ると、そこに居たのは小さな男の子を抱えた若い女性だった。
「ここに回復魔法である聖魔法の優秀な使い手がいると聞いて……お願いです。この子を、息子を助けて下さい」
幼い我が子を抱えて走って来たのだろう。母親らしき女性は、息を切らせながらも、修道服を着たジュリ達に息子を託すように差し出す。
見た所、小さな身体の彼方此方が深い傷を負っている。
まだ亡くなってないのが不思議な程の致命傷だ……。
痛みで気を失ったのか、男の子は母親の腕の中でぐったりしているだけだった。
事態は一刻を争う状態なのは間違いない。
「残念ですが……私達は、もう魔力が……」
「待って! この子は、私が必ず助けて見せるわっ!!」
ジュリは、カタリナが止める間もなく名乗りをあげる。
ジュリは気が付いた、これこそ聖女としての役割を女神に示す機会だと。
「出来る事は何でもします。だから、この子をお願いします」
そんなジュリに母親は頭を下げて、縋るように息子を預けた。
ジュリは早速、回復魔法を唱えて治癒に取り掛かる。
魔力切れを起こし掛けてる所為か、頭が少し痛む。
『この手は癒しの導き手、女神リュミエルの加護の下、奇跡の光で救済に応え、此れを成す』
ジュリの持つ長杖の魔石が光るが、すぐに消え失せる。
体内の僅かな魔力の循環が滞っている……ジュリは、諦めずもう一度唱える。
先程より強い頭痛がする……。
『くっ……この手は癒しの導き手、女神リュミエルの加護の下、奇跡の光で救済に応え、此れを成す』
長杖の魔石が光るが、やはり、すぐに消え失せる。
ジュリは、諦めずもう一度詠唱を開始する。
酷い頭痛と身体の疲労感がジュリを襲う……それでも彼女は止まらない。
『うぐ、この手は癒しの……導き手、女神……リュミエルの、加護の下、奇跡の光で救済に応え、此れを成す』
しかし、今度は長杖の魔石に光すら灯らない。
(どうして? 何で発動してくれないの? 私は真の聖女なんだから、魔力切れなんかに負けないっ! この程度の奇跡くらい起こせる筈よっ!!)
ジュリは何度も何度も何度も、発動しない詠唱を繰り返す……。
最後の方は、泣きながら詠唱を……否、台詞を発していただけだった……やがて、彼女の肩にカタリナが、手を置く。
「ジュリ……もう良いわ」
「え?」
「その子……もう死んでる……」
「え? あ、え?」
目の前の子供の遺体を母親が抱き締めて泣いている。
その光景を目にしたジュリは、思わずその場にへたり込む。
「魔力が殆ど無い状態で、貴女はよくやったわ……私は、この事を誇りに思う」
恐らく青褪めたジュリを慮っての言葉だった。
「嘘、こんなの嘘よおぉぉぉぉ!」
息子を失った母親の慟哭が、集会所に鳴り響く……誰しも憐憫の情を抱くも声を掛ける事が出来なかった。
暫く泣いていた母親は、再びジュリに縋り付いてくる。
「聖王教会の人は、蘇生魔法が使えるんですよね? お願いしますっ! 魔力が無いなら明日でも良いのです。この子を蘇らせてあげて下さいっ! お願いしますっお願いしますっ! 何でも、何でもしますから」
神の御業とも称される蘇生魔法……使い手は歴代の聖女だけであり……教会上層部にも詠唱出来る人間は1人もいない。
にも関わらず、奇跡の魔法の存在は大きく喧伝された為に、人々に誤解を生ませてしまっていた。
さっきまでのジュリなら、自分なら女神に願えば使える筈と豪語していただろう。
しかし、今はとても、そんな気になれなかった。
「お願いしますお願いしますお願いしますっ! どうかこの子を連れて行かないで下さいっ!」
「あ、う……」
ジュリが言葉に詰まっていると、カタリナが代わりに答えた。
「残念ですけど、私達には使えません。聖王教会の教皇ですら難しいでしょう。使えるとしたら、本物の聖女様だけです……」
「そんな……じゃあ、この子は……もう」
母親は再び泣き始める……集会所は再び重苦しい空気に包まれた。
その時、静かに集会所の扉は開かれる。
そして、外から入って来たのは、まだ小さな女の子と付き人であるメイド服の女性だった。
彼女達が入って来た瞬間、ジュリは何故か集会所は神聖な空気に包まれた気がした。
そして、ジュリ達の元へ来ると母親に、尋ね始めた。
「その男の子は、どうしたの?」
「さっきまで生きてはいたんです……う、うう、うううう」
「ナトリ様……アレは、余りホイホイ使う魔法では……」
「リリィ、目の前に助けを必要とする人が居て、それを可能とする力を持っているのなら、迷う必要も勿体ぶる事も無いと思うの。聖女と持て囃されていても、助けられない事の方が、多いのだから」
聖女という言葉に、ジュリは改めて2人を見た。
白いローブ姿の人間の少女とエルフの付き人だ……どちらとも、人形のように整った美しい容姿で目を惹き付けられそうなる。
しかし、1番は纏う空気が違っていた……仮にも教会の者だから余計に感じてしまう。
圧倒的な神聖力……聖女だけでなく、何故かメイドのエルフすらも、そうなのだ。
隣のカタリナや教会の仲間達も、驚愕しながら固まるしか無かった。
彼女は、国宝級と思える両手杖を片手で支え、残った手を男の子の亡骸に置くと奇跡の詠唱を開始した。
『我が手は救いの導き手、女神リュミエルの加護の下、彷徨える魂を救済に導き、其れを呼び込み此れを成す』
変化は如実に現れた……天から妖精ぐらいの小さく儚い光が男の子の亡骸に入っていく……。
そして眩い光を発しながら、身体の傷が塞がっていった。
やがて、彼の目はゆっくりと開かれた。
「ママ……?」
自分の身に何が起こったのか分からないのか、驚く母親をキョトンと見上げてる。
母親は生き返った彼を強く抱きしめると、再び号泣する。
聖女は次に、片手を失った兵士に声を掛ける。
「失った腕を元に戻したいわよね?」
「な、治るのか? さっき治癒魔法は受けたんだが……」
「ええ、ただ、残念ながら痛みを伴う事になるけど」
「腕が本当に戻るのなら構わないさっ!」
「リリィ……」
聖女がメイドの名を呼ぶと、エルフのメイドは背負っていた大剣を引き抜くと、兵士に確認せぬまま失った腕の塞がっていた部分を、再び斬り落とした……余りにも無慈悲にそして自然な所作だった。
兵士が痛みで叫び声を上げる前に聖女は間髪入れずに詠唱する。
『この手は癒しの導き手、女神リュミエルの加護の下、奇跡の光で救済に応え、此れを成す……治癒魔法』
ジュリが唱えた同じ魔法な筈なのに、違いは顕著だった。
自分の時は、傷口を塞ぐのが精一杯だったのに対し、彼女のは失った部位が再生しだした……。
「治癒を受けた後の治癒魔法は発動しないの……だから、痛い思いをして貰う事になったけど……」
「そんな事はどうでもいいさっ! お、俺の腕が本当に戻ったんだから! 流石本物の聖女様だっ!」
「俺の足も治してくれっ! ぶった斬って構わないから」
「俺の腕も頼むっ」
聖女とメイドは望んだ全ての者を治癒してみせた……何十人も1人で治癒魔法を掛けている……桁外れの魔力量保持者だ。
「スゲェ……本物はやっぱ違うなっ!」
「ああ、ああ、俺もそう思う」
そう言って、はしゃぐ兵士達はジュリと目が合うとバツが悪そうに慌てて目を逸らした。
聖女ジュリと先程まで煽てた手前、居た堪れなくなったのだろう。
しかし、ジュリは彼らを責める気にはならなかった。
嫉妬心も沸かず敗北感すら感じさせない……圧倒的な存在感……ジュリ自身、聖女に惹かれ彼女が本物だと既に認めてしまっていた。
ジュリは聖女に、気になっている事を尋ねる。
「そういえば……聖女様……デッドリーエイプは、居なかったのですか?」
「ええと、外に居た魔物は私の仲間が討伐しました。だから、もう安心です」
人喰い猿の討伐成功に場の興奮が最高潮に達する。
「ああ、ですよね……聖女様が居られるって事は、勇者様も救援に来てくださったって事だわ」
「え? ああ、ええと、彼は街に急用で……えと、来られなかったんです」
勇者の話が出た途端、聖女は少し歯切れが悪くなる。
憧れの存在に会えないのは残念だったが、聖女に出会えただけでも、収穫はあった。
聖女様は、治癒を一通り終えると仲間(全員綺麗な女性だった気がする)と共に去って行った。
ジュリは見送りながらカタリナに話す。
「カタリナ……私、今まで勇者カイザー様が憧れの対象だったけど……今は、あの聖女様が一番よ」
「あら、素晴らしい迄の清々しい心変わりね。まぁ、あんなの見せられたら気持ちは分かるけどね」
ジュリは今後、聖堂で女神に聖女達の無事を祈り続けようと決意したのだった。




