間話 聖女候補生
レム王国内の子爵領の街にある聖王教会に、ジュリはいつものように向かっていた。
それは教会に所属してる彼女にとって日課である人類救済の祈りを女神に捧げる為である。
彼女にとっては何ら変わりない日常……しかし、その日は何故か気合いの入り方が、いつもと違っていた。
それと言うのも魔王討伐の旅を開始した勇者パーティが、この街に近々訪れると言う噂話を昨晩聞いたからだ。
教会に着いて早々に、先ずは聖堂の掃除を率先して開始する。
開始するも、ご機嫌そうに鼻歌を鳴らしながら箒を手にクルクル回ってるだけで、少しも床は掃けていない。
その奇怪な様子に、後から来た同僚のカタリナが首を傾げながらも、ジュリに声を掛けた。
「おはようジュリ……どうしたの? 今日は何だか(無駄に)張り切ってるように見えるわ」
「ええ、やっぱり分かるかしら? 貴女も知ってるでしょう? 勇者であるカイザー様が、この街を訪問されるって」
「ああ、確かにそんな話を聞いたわね……それで? カイザー様が訪れる事と貴女の(余計な)張り切りが、どう繋がっていくの?」
「あら、貴女はご存知無かったかしら? 私、ほんの1年前まで聖女候補生だったって……見習いではなく、キチンとした候補生よ」
聖女見習い程度なら、その資格を得るのは、それほど難しくは無い。
教会に属してる清き乙女ならば、誰でも聖女を目指す事は可能だ。
しかし、候補生ともなると、難易度は途端に跳ね上がる。
カタリナは、さりげない自慢話に、内心ウンザリしながらも相槌を打つ。
「知ってるわ……でも、1年も前に正式な聖女様はカイザー様自ら選定して、お決めになさったのでしょう?」
「選定ですって? 貴女は知らないのね。 カイザー様は偶々最初に訪れた教会で、候補生ですら無かった女の子を選んでしまったっていう悲劇を……」
「悲劇……ね」
本来ならば、教会の各地に居る聖女候補生を大聖堂に集めて、キチンと選定される筈だった。
当然、該当者であるジュリも、それに倣って、それまで聖魔法の研鑽を積んでいた。
しかし、蓋を開ければ勇者カイザーのフライングによって、聖女は決められてしまったのだ。
しかも噂では、候補生ですらない年端もいかぬ幼い少女という話だ。
これには、ジュリを含めた各地の聖女候補生は、教会上層部に猛抗議した。
正統な聖女に選ばれる事を目標とし、研鑽し努力し続けたのに、会場で試される事すらされなかったのだから、当然の流れである。
けれど、勇者に盲目的に従う上層部に、カイザーの選定に誤りがあろう筈がないと一蹴されて終わるだけだった。
「ええ、悲劇よ。勇者カイザー様は、明らかに選択を間違われたわ」
「随分、ハッキリ言い切るのね」
「それはそうよ。この私と出逢う前に、慌ててお決めになったんだもの」
カタリナは相変わらずなジュリの自信家ぶりに、呆れながらも特に否定はしなかった。
ソレ以外は割とポンコツなジュリだが、聖魔法に関してだけは、他に追随を許さない位には、優秀とされているからだ。
「もしかしなくとも、貴女の考えが読めたわ。直接勇者様に会って聖女様を確かめるつもり?」
「ご明察、勇者様も私に会えば間違いに気付くはずよ。今、隣に居るのは偽の聖女だっ、ムグッ……」
聖女を偽物呼ばわりするジュリの口を、カタリナは慌てて塞いだ。
「こらっ、此処が何処だか知ってるでしょ? そう神聖な教会よ。滅多な事は口にしないの」
今はまだ早朝と云える時間だが、誰が聞いてるか分からない。
自称、自分こそ真の聖女のジュリが言う真相がどうかは兎も角、教会内の人間に聞かれて良い内容では無いのは確かだ。
「フンッ、貴女に信用されなくて残念だわ。でも、今に見てなさい……そう遠くない内に、私の言った事が正しかったって認めるに違いないんだから」
「はいはい、分かったから踊ってないで、ちゃんと箒で床を掃きなさい」
それから数日間、勇者パーティの到着を心待ちにしてるジュリだったが、所属してる教会に緊急要請が来てしまった。
「もう、こんな時に、回復要因の非常召集なんて……女神様は何処まで私に試練をお与えになるつもりかしら」
どうやら、街の付近にある村が、魔物の襲撃で相当な被害を被ったらしい……負傷者の手当てに、聖魔法の回復魔法を扱える者は、軒並み現地へ向かうよう教会上層部から指示された。
当然、カタリナやジュリもその同行者に選ばれている。
「勇者様が到着なさる迄には、早く終わらせなくっちゃ……」
焦燥感に駆られながらも教会の用意した馬車に乗り込むジュリ。
村に到着する迄は、まだ、そんな余計な心配をする余裕が、まだ出来ていた。
やがて、目的地の村が馬車の荷台から見え始める。
小さな村だ……これならすぐに治癒を終わらせられるとジュリは、内心喜び勇んだ。
馬車が村に着くと我先にとばかりにジュリは、颯爽と馬車から飛び出す。
そして村の入り口から敷地内に入ると大声を張り上げて見せた。
「私が来たからにはもう安心よっ! 全ての負傷者を癒し……て……?」
ジュリの啖呵は虚しくも届いてない様子だった。……村は異様な空気に包まれていていたからだ。
何処かの先行部隊だろうか……皆が大声で駆けずり回り、忙しそうに動いている。
思わず立ち尽くすジュリにカタリナが追い付くと、目の前を行き交う男性たちの1人を捕まえた。
「私達は街の聖王教会から来たのだけど、状況はどうなっているの? それと負傷者は何処に?」
「ああ、良かった。お待ちしてました……回復薬も足りずに、手を拱いていた所です。すぐに案内します」
「え、ええ、お願いするわ」
村の規模から、負傷者は多くても20人も満たないだろうと予想していたジュリ達は、お互いの顔を見合わせながらも、男に付いて行く。
「薬が足りないくらい沢山の負傷者が居るの?」
本来、このくらいの小さな村ならば、回復薬だけで事足りるケースは珍しい事じゃない。
それでも緊急要請を受けた手前、教会は聖魔法の使い手を送り込まねばならないのだが、実績や功績作りの一環にもなり、取り越し苦労に終えたとしても特に問題はなかった。
「行けば分かります……」
村の集会所だろうか……比較的大きな平家に案内されると2人は中に入った。
「えっ……」
目の前の光景に思わず息を飲む。
広い室内を埋め尽くすまでの怪我人が寝かせられていたからだ。
腕や足など四肢の一部を失った者、眼球が破裂した者、頭部の包帯が真っ赤に染まった者、夥しい数の重軽傷者がそこには居た。
目視で60人は上回っているだろうか……。
「これ程の数の怪我人達とは、思っていませんでした……」
人数は元より怪我の状態も想定以上の酷さだ。
「この時期は、定住しない遊牧民達が一時的に滞在していたみたいです……まぁ最も怪我人は村人や遊牧民達だけでなく、領主直属の兵士達もいるのですが」
言われて見れば、半数は屈強な男達である。
どうやら、子爵に魔物討伐を命じられて、この村を訪れていたようだ。
「それで、これ程の被害ですか……一体何の魔物と……」
「デッドリーエイプです……人喰いの大猿とも呼ばれているアレが現れたんです」
ジュリも名前くらいは聞いた事がある。確か脅威度Aランク相当の魔物に指定されてる筈だ。
「なるほど、道理で……私とジュリは早速、重傷者から治癒に入らせて貰います」
「お願いします」
「ジュリ……始めるわよ」
目の前の地獄絵図に狼狽えていると、カタリナにポンっと肩を叩かれた。
ジュリはハッとした様子で意識を覚醒させる。
「ジュリ? 少し顔が青いけど……大丈夫なの?」
「え? ああ、全く問題ないわ」
大丈夫、アレだけ治癒魔法の練習したんだから、私にはこの位、朝飯前よ。
持ち前の負けず嫌いな性格で、ジュリは挫けそうな己を奮い立たせた。
彼女は早速、目の前に横たわる片腕を失った兵士に治癒魔法を唱え始める。
『この手は癒しの導き手、女神リュミエルの加護の下、奇跡の光で救済に応え、此れを成す』
教会から与えられた長杖の魔石が光る。
『治癒魔法』
ジュリが魔法を唱えると喰い千切られていた腕の傷口が塞がり出血が止まった……欠損部位は失ったままだが治癒の成功である。
初めて重傷者を治癒した事で、ジュリは普段の調子を取り戻していく。
(何よ、思ったより簡単じゃない。この調子でドンドン治癒していくわ)
分担しながら治癒していたカタリナは、自分自身やジュリの魔力量を考慮しながら魔法を唱える。
残念ながら全員で取り掛かっても、1日で終える事は出来そうもないのが導き出された答えだった。
彼女の計算では、2人の魔法技能と魔力量から後1日は、時間が掛かる見込みだ。
だが、カタリナが2人目の治癒を開始した所で、ジュリは既に6人目の治癒に取り掛かっていた。
幾ら優秀と持て囃されたと云え、どう考えてもオーバーワークである。
ジュリは自分の魔力量を考えずに、次々と重傷者に治癒魔法を行使している様子だった。
案の定、10人目の治癒魔法を終えた所で、彼女の足は振らついていた。
明らかに魔力切れの兆候だ。カタリナは治癒魔法を一旦中断してジュリに近寄ると休むように警告する。
「教会でする踊る掃除じゃあるまいし、少し張り切りすぎよ……魔力がキチンと回復するまで休んでなさい」
「まだ重傷者がいるし駄目よ……それに何よりも、此れは私に課された女神様からの試練なの」
そう言って、徐に取り出した魔力回復薬である赤のポーションを飲み干すと次の重傷者へと向かって行く。
カタリナは諦めたように肩を竦めると自分の治癒に戻っていった。




