沙苗宅2
リビングに降りるとテーブルの上には、和食という料理が置かれている。
スープらしき汁物とカツ丼の時食した白い粒状の食物がある。
他にも色入りと並べられているが、1番目を引いたのは、魚の切り身らしき物が生のままお皿の上に乗せられて出されている事だろうか……。
ゲテモノ喰いのナトリと一部から不名誉な呼称で呼ばれるナトリですら、そのまま口にするのを一瞬、躊躇するレベル。
と言うのも王国含む周辺国家は肉や魚類は、必ず火を通すのが一般的だからだ。
火加減で軽く炙るだけという調理法は存在するが、一切通さず生のまま食べるのは初めての行為である。
流石に躊躇ったナトリは、食事前の女神への祈りをしながら、沙苗の食べ方を観察する事にした。
この世界での祈りだろうか……沙苗は両手を合わせて、頂きますと言ってから料理に手を付け始めた。
彼女は器用に箸で、生魚の切り身を掴むと近くの小皿に入った液体に浸し口に入れた。
食べ方が分かったナトリは、沙苗の見様見真似で食べてみる。
正直、箸という道具には少し苦労させられたが、何とか口に入れるのに成功する。
初めにに感じたのはピリッとした刺激だ。
そして、次に独特だが濃厚で変わった風味が口の中に広がる。
生魚も実際食べてみると、最初の印象とは違い抵抗がなくなっていく。
「ふふ、お口に合った?」
表情に出ていただろうか沙苗は嬉しそうに此方を見ている。
「ええ、とても美味しいわ。この箸を使った食べ方は、まだ不慣れだけど、生魚を使った調理なんて初めて」
「あら、初めてにしては、よう出来てますなぁ……」
こうやって誰かと楽しく談笑しながら食事が出来るとは、つい昨日までは思いも寄らなかった。
沙苗と早々に出会えた事を女神に感謝しながら、談笑つつ和やかなムードのまま食事を終える。
……尤もナトリの少し遠慮して抑えたつもりの食事量には何故か驚かれてしまったが、分からず首を傾げたら、そのまま黙って愛想笑いを浮かべられた……解せぬ。
その後、食後のお茶を頂いていると真剣な表情の早苗から話を振られた。
「その、良かったらなんやけど、これ迄の経緯教えてくれる?」
「そうだね。何処から話せば良いのか……」
「ナトリはんの言う事は、どんな突拍子もない話でも信じるさかい、大丈夫どすぇ」
魔法を直接目にした沙苗は、最早微塵も疑ってない様子だ。
会ったばかりの人間相手にそれはそれで問題があるかも知れないが、今は有り難く思って、掻い摘んで自身の世界の話をした。
魔王討伐の事、その後のカイザーとの婚約騒動、女神様にこの地に転移させられた事など。
「えげつない話どす。カイザーとか言うけったいで、しょうもない男には、いずれ天罰でも当たる思います」
「どうかな……彼は曲がり形にも女神に選ばれし者だったから……それに政略結婚自体はよくある話で、私の方こそ責められるべき我儘だったのかも」
「そないな事あらへん……話を聞く限り、相当女性に節操ない方みたいやし、そもそも本人の気持ちすら確認せず黙って婚約発表自体、いけずな内容ちゃいますか?」
「それは……そう思うけど」
「そうどす。ナトリはんが悪い事などいっこもないわ」
そう言った後、沙苗は姿勢を正して改めてナトリに問い掛けてくる。
「ナトリはんは、やっぱり元の世界に戻りたい?」
大切な仲間に会いたい気持ちは当然ある。
もしかしなくとも、今も消えた自分を探し回ってる可能性は高い。
しかし、すぐに戻れる可能性は限りなく低い。
魔力や魔法は今迄通り問題なく使えるものの、女神の息吹きを一切感じないのだ。
それに決してそれだけが理由じゃないと思ったナトリは返事をする。
「考えないと言えば嘘になるわ。けど、今は此処で頑張ってみようかなって……」
目の前の沙苗は、縁も所縁もないナトリを養子に迎えようとしてくれている。
この人の優しさに只々甘えるだけじゃなく、いずれ何らかの形で恩を返すべきだと感じてはいる。
「そう? なら、明日にでも色々な手続きしようと考えてはるのやけど……良いのね?」
「手続き?」
「ナトリはん、15歳くらいどっしゃろ? 知り合いが理事長やってる学校に通う気ない?」
「学校……」
王国にも人材を育む育成機関は存在する。
冒険者ギルドが設立した冒険者を目指す若者を育てるハンター学院。
王国魔法省が運営する次世代の魔法使いの卵が集まる王立魔法専門学園。
防衛軍前衛科が立ち上げた騎士のみならず近接職を鍛える王国騎士アカデミー。
聖女を育成するに限って言うなら、聖王教会も機関に類似する場所と云えるかも知れない。
この世界の教育機関に興味がない訳ではないが……懸念がある。
「沙苗さん……その、私はキチンとした学舎に通った事がないけど……、それでも大丈夫?」
基本的な文字の読み書きや単純な算術なら教会でも習っている。
しかし、問題はこの世界の文明レベルの教育に、付いて行けるかどうか……である。
「ああ、そこは特殊な生徒が入る特別クラスがあるって聞いた事があるさかい、大丈夫よ。それとナトリはんの事情は、あたしからキチンと伝えます」
ナトリが通って問題が無いなら、行ってみたいのが本音だ。
勇者パーティに強制参加させられてから、魔法習得やら魔物の戦闘やらと余り息つく暇も無かった。
何より異世界の同世代の子達と交流してみたい気持ちも少なからずある。
「それなら……行ってみたいわ」
「それがええ、青春時代いうんは謳歌してナンボどす。清華聖央女学院いう所やって、覚えといてな」
何か少し前に聞いた気がする名だと思ったら、沙苗の店に入る少し前に見掛けた自転車の二人組が、通ってると教えて貰った覚えがある。
制服が特徴的だったので印象が深い……そういえば落ち着いて考えてみたら、病院に居たシアも似たような服装だったのは気がするのは気の所為だろうか?
いずれにせよ……通ってみれば分かる話だ。
「他に話はある?」
「…………」
「沙苗さん?」
「それにしても、魔王討伐とか……凄い事やなぁ、魔王というたら物語やゲームでもラスボスみたいな扱いって事は、知っとります。ナトリさんは、相当凄い方だとお見受けします」
急な話の方向転換に、ナトリは戸惑いを覚える。
「えっと、沙苗さん?」
「実はな……そんなナトリはんに確かめたい事あるさかい……ナトリはんは、確かに回復魔法が使えるんよね?」
「ええ、幸い。この異世界でも問題なく使えるみたい」
食事を摂ったばかりだからか、ナトリの体内に魔力がきちんと補充されているのを感じる。
「あたしはゲームとか殆どやらへんけど、その手のファンタジー小説なら読んだ事あってな……回復魔法に色々な種類があるのは基本や……それでな、ナトリはん、その、蘇生魔法の類は使えるん?」
ああ……と誰もいない子供部屋を見たナトリは色々と察した。
ナトリは内心で心苦しくなりながらも、正直に伝える。
「蘇生魔法は……使えるわ……」
「ほんまどすかっ」
それを聞いた沙苗の表情は驚きながらも歓喜に染まる。
しかし、続く説明で絶望した。
「けど、残念ながら3つの制限がある。死後10日以内である事、清らかな魂の所持者である事、遺体が形として一部でも残っている事」
「……さよですか」
「その理由を教えるなら……」
1、10日後に魂が天に召されてしまい、肉体に戻せない。
2、穢れで濁った魂は自浄作用で消失してしまう。
3、肉体を完全に失った者は蘇生出来ない。
尤も沙苗には態々伝えないが例外はある。
女神に認められた勇者パーティは、死後何日以上経とうが、魂が酷く汚れてようが(主にカイザーの事)、遺体が消し飛ばされようが、蘇生可能なのである。
室内は暫く静寂に包まれる……それを破ったのは他ならぬ沙苗だった。
「んーけったいな事聞いてしもて、堪忍な……一応確認しとこう思っただけや、気にしないでもええよ」
沙苗は、そう言って笑うと事件で少し疲れたから早めに休むと言って、その場を後にした。




