沙苗宅
沙苗はデパートから出ると思った場所と違ったようで首を傾げた。
「あら、チビっと間違うたかも知れません。こっちは駐車場方面の出入り口かも知れませんなぁ」
正面には舗装された道路が1本あるだけで、その先はデパート施設内の壁面で塞がっている。
入って来た所と違って、少し殺風景な場所だ。
「やっぱり、こっちは駐車場エリアやさかい……戻りましょか」
沙苗がくるりと踵を返そうとした所で、ドンッという音とキキーという金切り音がした。
ナトリが振り返った時には、赤色の派手な車が猛スピードで横切りながら走り去って行く。
「何どすか……もしかして何処かにぶつけはったんえ?」
沙苗が道路の方に急ぎ足で進み車両が通り過ぎた方向を見ると、途端に息を飲む。
彼女は荷物をその場に放り出すと走って向かって行った。
ナトリが後を追うと、そこには少女が血を流し倒れ込んでいた。
考える迄もなく、先程の車に撥ねられたと思われる。
「女の子?……ナトリはん、どないしたら、い、急いで警察……いや、先に救急車呼ばな」
凄惨な事故現場に沙苗は慌てふためく、軽くパニックを起こしてるようだ。
「沙苗さん、落ち着いて……私に任せて」
「任せて言わはっても……どないしよるつ……」
沙苗は言い掛けた言葉を止める。
ナトリは沙苗を魔法で助けたと言っていた。
沙苗としては頭から疑いたかった訳ではないが、全てを信じ切ってる訳でも無かった。
実際の所は半信半疑な部分もあったのだ。
それでも沙苗は、黙って信じる事にして、ナトリのする事を見守る。
ナトリはコマンドUIを開くとアイテムストレージから長杖を取り出し、その手元に杖をいきなり出現させる。
「へ……?」
その目を疑う様な光景に沙苗は再び、息を飲んで固まった。
驚く沙苗を他所にナトリは黙って少女の状態を目視で見た後、ヒールと対象を選択する。
傷の具合からして込める魔力は中位ほどで事足りると判断。
『治癒魔法』
指を仕切りに動かした後、ナトリが長杖を少し掲げて魔法名を言うと倒れていた少女の傷が淡く輝く。
程なくして彼女の傷が完全に塞がったのが消費された魔力の反応で分かる。
「ほんまやったなんて……ナトリはん、貴女は一体」
「ちゃんとした説明は後々、しようとは思っていたの」
「救急車……必要のうなってもたなぁ……」
沙苗は先程と違った意味で混乱する。救急車や警察を呼ぼうにも少女の傷は完全に癒えてるし、呼んだ所で一切の説明が難しい。
その結果、沙苗は考えることを止め事故は見なかった事にした。
「と、取り敢えず、この場を離れましょか」
そして倒れてた少女を、デパート入り口まで抱えて運ぶと、その場に下ろした。
「お嬢はん、此処で堪忍しとくれやす。ナトリはん……いきましょか」
沙苗とナトリが立ち去る姿を、少女は見ていた。
彼女は既に意識を取り戻していた。
車に背後から跳ねられたのは覚えている。
酷い痛みだけじゃなくて、身体が酷く寒かったのに、突然暖かな心地良い光に包まれた。
その時、視界に入ったのは銀髪で幻想的な少女であるナトリだった。
「私を助けてくれたのは……天使様……?」
少女は虚ろな瞳で独り呟いたのだった。
ナトリは沙苗と一緒に質屋の天界の前までタクシーで戻った。
タクシーを降りたナトリは、天界の入り口方向へ向かおうとすると沙苗に呼び止められる。
「ああ、そっちちゃうよ。家はお店の丁度裏やさかい、こっちなんよ」
沙苗の暮らしている家は、お店の趣きある感じとは、また違っていた。
貴族の館と言われても遜色ない位、立派な家だ。
「綺麗で立派なお屋敷」
「ふふ、ありがとう。建てて貰うてから、もう5年くらい経ってしもたけどな……取り敢えず、玄関先へ向かおうか」
沙苗に案内されながら小さな庭を抜けて、家の入り口のドアから広い玄関先へと入った。
視界は開けており広々とした室内ホールが設けられている。
四方にはドアがそれぞれ設置してあり、お手洗い、リビング、キッチン、浴室へと続いていると教えられた。
「ほな、遠慮せんとお上がりや」
「えと、お邪魔します」
「今日は、それでもええけど、これからは、ただいまね……」
少々こそばゆく面映いながらも、ナトリは返事をする。
「……うん、分かったわ」
「んじゃ、先にキッチンで荷物取り出しましょか」
キッチンに入ると、これまた広く何やら本格的な様相である。
専属シェフが現れないのが不思議な位だ。
指定されたテーブルの上に、ナトリはアイテムストレージから、沙苗が購入した品々を取り出す。
「もう、こないな便利な魔法何ではよ、教えてくれなかったん? 荷物が重うて叶わんわ思うてはったのに」
アイテムストレージの事などは後々、少しづつ明かそうと思っていたが、目の前で長杖を手元に出してしまった事から、なし崩し的に発覚してしまい……今に至る。
「魔法というのは人が扱う限り、絶対的で完璧なものとはかけ離れて行くの……」
「んん? どういう意味なん?」
王国でも絶対視する余り勘違いする民達が居たが、使い手次第で万能と知らしめる魔法も、その強力さ故に脆い反面がある。いわゆる諸刃の剣だ。
魔法に魅せられた余り、その力に取り憑かれ、悲惨な末路を辿った者も決して少なくない。
「ある人から魔法とは完全で最も優れた力と教えられました。しかし同時に不完全で曖昧な力だとも教わりました。一見すると万能とも云える魔法も未熟な人類が使用する事で、如何様になるか女神すら知り得ないという魔法に対する戒めが込められています」
「なるほどなぁ、強力過ぎる力は時に人を滅ぼす言いよるしなぁ……けど、ナトリはんなら大丈夫と思います。これでも人を見る目だけは自信ある」
優しい沙苗らしい答えに、ナトリはついクスリと笑う。
「沙苗さんは、本当にお人好し」
「多分、ナトリはんも、人の事言えへん思うけどなぁ……そうだ。キッチン抜けた先のドアがリビングに繋がってん、そっから2階も上がれるさかい、料理出来上がるまで家の中、探検でもしたら?」
「せめてお手伝いしようと思ったのだけど」
「何言うてはるの……母の手料理を黙って待っといたらええ」
少々強引に背中を押されて、沙苗にキッチンから追い出される。
元々沙苗の手料理を所望したのはナトリである。
自分が言った手前、仕方ないとナトリはお言葉に甘えて、リビングへと入って行った。
当然ながら、リビングは相当広く巨大な大理石のテーブルや革細工のソファ、ホテルで見た以上の大きなTV、娯楽スペースらしき部屋もある。
所々花や観葉植物が置かれていて、沙苗は花や植物が好きのようだ。
教えられた階段は螺旋状のものが2箇所あった。
どちらも同じ2階部分の廊下に繋がってるようだ。
沙苗1人で住むには些か広すぎる家だと思われる……何か事情があるのだろうか。
リビングを一通り見た後、2階の方を見てみようと片側の階段へ向かう。
途中、窓際の台にある写真立てが目に入った。
写真には沙苗と男の人と小さな女の子、他に老夫婦らしき人物が固まって並んでいる。
「これは巧妙で繊細な絵とは違うのよね……実際にあった場面を部分的に切り取って紙に転写したって事?」
スマートフォンの動画で勉強したナトリは、もうこの程度では動じない。
写真の中の沙苗は、今迄で1番幸せそうに微笑んでいる。
「家族……か」
ナトリは独り小さく呟いた後、改めて2階へと上がって行った。
2階の廊下は部屋を囲むように続いている……全て開けて確かめた訳じゃないが、ベットが備え付けられた客室らしき部屋が幾つかあるみたいだ。
他に収納部屋と『美沙』とネームプレートが付けられた部屋を見付けた。
そこのドアを開いてみると、予想通り子供部屋だった……。
恐らく先程写っていた幼い少女のものだろう。
小さなベットや可愛らしいテーブル、玩具やぬいぐるみが沢山置かれている。
明るい色の壁には、彼女が描いたものだろう……家族らしき絵が貼り付けられていた。
定期的に掃除してるのか、部屋は主が居ないにも関わらず綺麗だった。
沙苗が如月に伝えた言葉を、不意に思い出す。
「……未亡人なんよ……子供もその時に亡くしてとってな……」
ナトリは静かにドアを閉めて、その場を離れた。
この家は3階まであるようで、そっちは沙苗のプライベートルームらしかった。
冒険者酒場顔負けの酒類が大きな棚一杯に置かれている。
お酒を嗜みながら観るのだろうか? リビングに負けないくらいの大きなTVまである。
他は夫婦用の寝室や書斎に繋がってるみたいだ。
書斎は様々なジャンルの書物が本棚に収まっている。
魔導書もかくや分厚いカバーの重厚な本で、ずっしりとした重量感がある。
付けられた帯から察するに、どうやら著名な作家が書いたファンタジーと呼ばれるジャンルの小説のようだ。
その本に興味が惹かれたナトリは、書斎の揺り椅子に腰を下ろし本を開く。
そこにはナトリがよく知る世界が本に描かれていた。
剣や魔法や魔物も存在し、剣士の主人公を含む人々の懸命な生き様が物語の軸になっている。
「魔法や魔物は実在しないのに、物語の概念としては存在し理解されている」
確か如月は空想の産物と言っていた。
「実在しなくとも、想像上では広く認識されている世界……それが私の元居た世界」
女神様がこの異世界に転移させた事を考慮すれば、少なくとも全く関わり合いが無い世界とは考えられない。
何かしらの理由ないしは法則がある筈だ……ナトリが思考の渦に飲み込まれ掛けた時、沙苗が現れる。
「此処におった。お待たせしたなぁ、ご飯たった今出来上がったよ。冷めない内に降りて来て」
「うん」
ナトリはすぐには纏まりそうも無い思考を中断して、1階へと降りていった。




