9.それはまるで悪魔のささやき
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必死になって縋る私に、おじいさんは苦笑いしていた。
「まるで悪い破落戸にでもなった気分になるなぁ。ねぇ、若い女の子がどんなことになっても構わないなんて軽々しく口にするもんじゃあないよ。しかも身寄りがないだなんて。迂闊にでも口にするもんじゃあない。僕でなければ酷い目にあわされる」
「若くなんて、ないです。それに器量がいい訳でも、気が利く訳でも愛想がいい訳でもない。不細工で、女として最低。下の下だってことくらい、わかってますから。えぇ、重々承知してます」
そんな細かいところに噛みつく必要などないだろうに。つい、反論した。
私の勢い込んだ反論に、ツッコミどころはそこなのかとでも思っているのだろう。おじいさんの眉間に皺が寄った。
おじいさんからしたら若い、というだけなのだ。それだけなのに。
「オリーちゃん。おまえさん、自分を不細工だなんていうんじゃない。そんなことはない」
「おじいさんは、優しいですね。でも大丈夫です。私、ちゃんとわかってますから」
別に不細工じゃないって否定して欲しくてこう言っている訳じゃない。
そういう褒めて欲しいから自分を下げる女性が多いということくらい知っている。
けれど、私のはそういうのじゃあない。
「私だって、美人に生まれたかった。綺麗で色気があって。困っている顔をすれば、たくさんの救いの手を差し伸べて貰える、特別な存在に」
我がコントレー子爵家以外にも、同じように戦争で父や兄弟を亡くした家は多かった。当然だ。先の戦争は10年も続いたのだ。当主である父を亡くし、跡取りとなる男兄弟を亡くし、最後の砦である先代まで亡くし、爵位を遠戚の男子に譲ることになった令嬢は多かった。
けれど美しい令嬢から救いの手は差し伸べられ、オリビア達姉弟には最後まで向けられることはなかった。
手を差し伸べられるどころか足蹴にされて身包み剥がれたのが現実だ。
『お父様やお母様は、事業は順調だって言ってたわ。借金があるなんて……』
『ふん。俺という素晴らしい婚約者がいようとお前は所詮デビュタント前の子供だ。家の内情を知らされていなかっただけだろう。火の車だなど俺の家にバレたら婚約は破棄されてしまうからな』
辛くて悲しくて寂しくて。縋る手が欲しくて堪らなかったあの時、10歳の頃に婚約を結んだその相手は、不細工な私と手を切れることを喜びこそしても、立ち上がる手助けなどしてくれはしなかった。
「ふうん。僕の説と違うねぇ。大体さ、さっきからオリーちゃんは自分を不細工だって言い張っているけれど、それは違うんじゃないかな。君は自分で美人になろうとしなかった。それだけだよ」
「はぁ?」
なにいってるんだと、おもわずイラっとしてしまう。
馬鹿らしい。生まれてからずっと、私は私のこの顔で生きてきたのだ。
自分の顔が綺麗と言われることも無く、可愛いと愛でられることもない中どころか下の下だということくらい知っている。
顔の事では散々馬鹿にされてきたのだ。もう十分だ。
この手の、ある一定以上の年齢の方がいう「かわいい」や「きれい」が自分より若いというだけで判断されるのには辟易する。
本当に馬鹿らしい。同年代からどう思われるかが重要なのだ。何十年も生きてきた人から見たら、十代も二十代も誤差の範囲かもしれない。だがそこには確固たる区分、区別のラインがある。
ごっちゃにされてたまるものか。
「じゃあ、賭けをしよう。僕のいった通りにオリーちゃんが美人になれなかったなら、治療費はゼロにしよう。オリーちゃんの怪我が治るまで面倒みてもいい。食事代もここでの滞在費もゼロだ。いま着てる服も全部タダで提供しよう。ただし、僕がいった通りなら……」
「とおりなら?」
ゴクリ。唾を飲んで続きの言葉を待つ。
「それは、その時に決めるよ。さぁ、こっちに来て」
毛足の長い緞通に身体を投げ出すようにしていた私に、おじいさんは恭しく手を差し伸べた。
何故だかその笑顔が、悪魔のようにみえた。