6.おいしい(オイシイ)
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「イヤァァっ」
まだ皿にはソースが残っている。まだ食べていない艶やかな小ぶりのトマトも丸残りだ。私は必死の形相で皿を死守する。
齧りついていたトーストをゆっくり味わって飲み下すと、赤くてツヤツヤのトマトを頬張る。
思った通り、まるで果物みたいに甘い汁が口の中を迸る。甘味と酸味のバランスが最高だ。おいしい。いや敢えて言おう、旨いと。
「ふえぇ。おいしいぃ。こんなおいしいトマト初めてぇぇぇ」
口の中にトマトの甘さと酸味が残っている間に、目玉焼きトーストを齧る。旨い。旨すぎる。
牛乳入りのお茶は、砂糖が入っている訳じゃないけどほんのり甘くて、でも想像よりずっとサッパリしていた。
レモンみたいな爽やかな香りもする。不思議なお茶だった。
ソースのお陰なのか、どちらかというと味のハッキリとした目玉焼きトーストと味が濃いトマト双方が重ね合わさって舌がくどくなったのを優しく洗い流してくれる。牛乳入っているのに。
「お茶までおいしいぃ。庶民的適当メニューかと思ったのに、最高の組み合わせすぎるぅ」
まだ食事は残っているのにひと息で飲み干し、ぷはっと息をついた私の空になったティーカップにおじいさんが笑いながらお替りを注いでくれた。
「ああっ。ありがとうございますぅ」
本当は私がやるべきだった気もする。けれど、客人でしかない私が勝手にするのも良くないだろう。
食器類は、使いこまれているし普段使い用なのか金銀細工がある訳ではないが、滑らかな白い肌をした手触りのいいものだった。カップの唇への当たりも優しい。
多分これも有名工房のものだったりするのだろう。
さきほどのようにしがみ付くような真似をしてはまずい。取り扱いにも注意しなければ駄目だ。いや、客先で出して貰った食器を傷つけるようなこと自体が駄目だった。もう、今日の私はダメダメすぎる。
「ふえぇぇ。もう駄目だ。わたしはもう駄目。だめだめすぎる。でもおいしいぃ」
飲んでもいないのに自分でもぐっでぐでだと思う。
けれど口から出ていく愚痴を止めることができないでいる。
ずっと胸の内に溜めていたものが一気に噴き出していくようだ。
「ふふっ。オリーちゃんは美味しくても不味くても、泣きながら物を食べるんだねぇ」
呆れられたのは分かるけど、おじいさんの口調はどこか柔らかいから気にしない。
「泣いてないれふ。おいしいれふ」
食べながら喋るのはマナー違反だと知ってるけど、私にそれを叱ってくれる母も父ももういない。
それに目の前のおじいさんだって私とこうして会話している。だから、もういいのだ。
今の私は平民なのだから。