45.ここを何処だと思ってるのか
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「ほぅ。俺を覚えているのか。ふん、貴族であった頃でさえ、お前のような不細工が婚約できたことすら夢のようだったのだろう。枕を涙で濡らして俺の傍にいることを許された夢のような日々を思って過ごしてたのか」
クッソ気持ち悪いことを言われた気がして怖気だつ。オエー。
「冗談じゃないわよ。放しなさいよ。ここを何処だと思っているのよ」
自由を求めて藻掻くと、今朝エラさんからつけて貰った髪飾りが、しゃらしゃらと悲鳴のような音を立てた。
「お前みたいな平民が紛れ込んでいい場所じゃないって思ってるよ。あぁ、それともあれか? そっち用の要員として置いて貰ってるのか? 本物の令嬢なら純潔でいなければならないからな。お前の様な紛い物の不細工でもそれ用なら使って貰えるのか。そうか不細工でも、顔に布でも掛けておけば使えなくもないか。俺ならそれでも御免だがな」
下品な言葉を叫びながら下品な笑い声を上げるストラに、オリーはもう我慢ならなかった。
「うるさい。下品な暴言を吐く方が、ずっとこの場所に相応しくないわよ」
「生意気な。……ふん。下品はどっちだ。何故お前の様な貧乏人が、こんな髪飾りををつけている。身体を使って手に入れたんだろ、売女が」
そう言ったストラが、オリーの髪を飾っていたそれを右手で毟り取った。
「痛った」
左腕で首元を押さえつけられ身動き取れない状態のまま、ぶちぶちと髪が引き抜かれる痛みに悲鳴を上げた。
せっかくエラが綺麗にまとめてくれた髪が、無残に崩れて顔や首元に掛かる。
「シケた宝石だあ。所詮はお前程度の女に贈るような安物ってことか」
ストラはそういいつつ、奪い取った髪飾りを当然のように自分のポケットにしまった。
「やす……モノ、ですって?」
ナチュラルな強盗行為と酷い評価を一方的に突きつけられた事で、オリーの頭の中は真っ白になった。
屈辱と怒りでオリーは頭が煮え滾るようだった。
今日という日を迎える為にマダムやカリンやエラ、そしておじいさんが、手を貸してくれた日々すべてが台無しにされた気がした。
「返しなさいよ。それは今日使ったら返すんだから」
「なんだ、借り物かよ」
馬鹿にしたように高らかにストラが嘲笑する。
その異様な笑いによって、ようやく異変に気が付いた黒服がひとり近寄って来た。
ストラを諫め、オリーから引き離そうとしてくれているようだった。
「ここはお酒を愉しむ紳士の社交場です。女性から手をお放しください」
けれども、「俺を誰だと思っている。ボッティ伯爵家嫡男ストラ様だぞ」「貴族令嬢しかいない筈の店に平民を置いている方が悪い!」だのと奴が抵抗するので、どこまで手荒にしていいのか手をこまねいているようだった。
いや、せめてこの暴力から救い出してよ。暴力反対!!
「馬っ鹿じゃないの。放しなさい、暴力なんて最低よ。ストラ・ボッティ。この泥棒!!」
渾身の力を振り絞って視界の端に映る憎い男を睨みつける。
絶っ対に、許さない。
オリーが声を上げたからだろうか。ようやくサロンの隅で起きているのが単なる酔客による軽い諍いではないと理解できたのか、視界の端で複数の黒服さんが足早に近づいてくるのが見えた。
他のサロンの客や接客中のお姉さま方も気が付いたようだ。
周囲から注目を浴びていると気が付いているのかいないのか分からないが、ストラがひと際大きな声を上げてあげつらう。
「ストラ・ボッティ伯爵令息様、だろ。お? 禿げがあるぞ? わはははは。似合いもしないのに髪をまとめ上げていたのは、これを隠すためか。あーっはっはっ不細工の上に、禿げかよ」
──あぁ、やっぱり私に用意されているはこういう運命なんだ。
誰かに助けてもらえる事もなく、馬鹿にされ、踏みにじられるだけの、脇役。
羞恥で視界が滲む。顔が赤く染まる。手が、足が震える。
いいや、違う。
これは怒りだ。全身が怒りで震えているのだ。
そうとでも思わなかったら、泣き出しそうだ。くそっ。こんな男に泣かされてたまるもんか。
誰かに助けてもらうのを待ってなんかいられない。私は自分で自分を助ける。
全身に力を籠めて拘束を振り切る。
さらに髪が引きちぎれる音がして、鋭い痛みを感じたがそんなのどうでも良かった。
私は私のプライドを賭けて、この男をぶっ潰す。
拘束から抜け出し、怒りを込めてストラ・ボッティを睨みつけた。
一歩一歩踏み出す度に、なぜかストラが後ろへと下がる。
なによ、殴らせなさいよ。
「このっ。生意気なんだよ、不細工平みンぁあぁあいでででっ!」
「?」
突然。オリーを嘲っていた奴の声が、悲鳴に変わった。
それを受けて、周囲からも悲鳴が上がる。
いいや。周囲からの悲鳴の意味は少し違ったのかもしれない。
「ここを何処だと思っているのか、この私にも、教えて貰おうか」
ストラ・ボッティの腕を、誰かが、捻り上げていた。




