4.背に腹は代えられないのです
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「昨夜のおじいさん! 犯罪って、そんな馬鹿な。あなたが助けて下さったんですね。ありがとうございます」
私みたいな平凡な年増を攫って、どんな益があるっていうのか。
奴隷商ならあるかもしれないけれど、でもそれならわざわざこんな綺麗な館に連れてきて怪我の手当をしてくれることなんてない。
どう考えても揶揄われているだけだ。
「絶大な信頼だな。オリーちゃんのその気持ちを裏切らないように頑張るよ」
「あれ、私の名前?」
そういえばさっきも私を名前で呼んでいた。
「昨夜、ここに運んでる間に君が教えてくれたんだよ。オリーちゃんはお喋り好きなんだね。なんで泣いてたのかも、全部説明して貰った」
「う。そ、そうだったんですね。すみません。全然覚えてないです」
なんという生き恥を晒してしまったのだろうか。
恥ずかしくて何度も頭を下げながら謝罪の言葉を繰り返した。ううう。恥ずか死ぬ。
「というかまだ助けてもらった前提なんだなぁ。僕が悪い人間だったらどうするんだ」
ちょっと悪い笑みを浮かべながら、おじいさんが近付いてくる。
でも無理があります。だって悪い人の筈がない。
「悪ぶっても無駄というか。だって、あんな涙と、は……ハナミズで汚れたアヤシイ女が気絶したからってわざわざこうして治療してくれて、綺麗なベッドのある場所まで運んでくれるなんて、よっぽどのお人好しさんですよね」
ちょっと途中で声がちいさくなってしまったけれど、戴いた厚意への感謝は伝えたい。
「下心があるかもしれないよ」
思わず、身体に巻きつけたシーツをギュッと掴んだ。
たしかに下着姿になっていたのはあれだけど、でも本当にあれやこれやをするならば、下着すら剥ぎ取られているだろう。そうでなかったことに心を強くする。
それに、なんとなくだけれど。おじいさんは先ほどから偽悪的なことばかり言っているけれど、どこか清廉な雰囲気がある。潔癖というか。その証拠におじいさんは、貧相ってこともあるんだろうけれど、私のシーツを巻き付けただけの身体に視線を這わせたりすることはなかった。今もそうだ。
それにしてもリアクションに悩む台詞だなぁとは思う。けれど、この年代の方はこういう冗談を好む人が一定数いる。総菜屋の常連客にも口説いてくるおじいさんがいる。孫までいるのに、性質の悪い冗談は本当にやめて欲しい。
「あはははは。嘘ばっかり。ありえないですよー。私相手にそんなの。冗談にしても無理がありますって」
自分で言っていて心が痛い。でも実際のところ、10代の内に結婚する人がほとんどのこのご時世で、この歳までおひとり様でいる私の叩かれ耐性は伊達ではないのだ。
「はぁ。笑わせて貰っちゃいました。……昨夜の私がどこまでおじいさんにお話したのか分りませんけど、多分、聞いたからこその冗談ですよね。ありがとうございます」
心の中を反映させない笑顔は、令嬢時代に散々訓練してきたものだ。
勿論あんな風な取り澄ましたような笑顔ではないけれど。
平民となった今は、貴族令嬢として覚えてきた事はそのほとんどが食堂で働いていく上では役に立つことなんてないけれど、この心を隠すスキルは珍しく役立っているもののひとつだ。惨めな心を隠せる。
自分が惨めな存在であると周囲に知られるのは好きじゃない。
同情されるとより一層惨めな存在になった気がする。
だから、笑う。
にこにこと笑ってみせると、諦めたような顔でおじいさんが息を吐いた。
「吐いたりはしてないようだな。なら、まずは腹ごしらえだな」
「いえ、そんな。これ以上のご厚意に甘える訳にはいきません。今すぐ失礼します」
とはいっても、着替えてからだけどね。
さすがに下着姿でこのお屋敷から出ていくのは嫌すぎる。
「いや、しかし」
「いえ、今日も仕事にいかなくてはいけませんし!」
ぐきゅうぐるるるるぅ。
必死に帰ると主張していたのに、お腹の音が盛大に鳴り響く。
「くっはははははは。腹の音の方が素直だな。飯にしよう。それと、タダで帰れると思うなよ?」
「うっ」
そうでした。ちゃんと治療して貰ったんだもん。治療費とか手間賃とか謝礼金とか色々色々請求されちゃう可能性はあるよね。
「あの……ごはんではなく、おみず、でいいんで……あと、着替えを」
豪快に笑うおじいさんの後ろを、シーツを巻き付けた無様な恰好で追いかける。
こんなすごいお屋敷で出される食事の代金なんて、払える気がしないのにっ。
※初日だけ3話更新しています。