35.おねえさんの矜持
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「ホラ。よく見なさい。こんな状態で、お客様の前で笑うつもり? 話すつもりなの? その前にお客様の前に出ていいと思うの?」
鏡の中の私はおねえさんの指で強引に口を開かされているから、普段の三倍くらい不細工なんだけれどそれだけじゃなくて。
前歯にべっとりと赤い口紅がついてしまっていた。
不潔にしかみえないそれに、私が目を背けようとした。
その顎を、ぐいっと掴んでまっすぐ鏡を見る位置に固定された。
「ねぇ。私、こんな状態でお店にでるのはたとえ新人でも許せないから」
それまでのゆるい口調とはまるきり違う、きりっとした声が私でない誰かに告げた。
「オリーには、化粧もだけれど、挨拶も所作もまだ教えている最中なのよ。でもまだ皆がいる場所に連れてくるのは早かったようね。不快にさせたならごめんなさい、カリン。お店に出る時にはきちんとさせるわ」
マダムが執り成す言葉が、胸に痛かった。
確かに私は、このお店で正規の従業員? 酌婦? として働くつもりはない。
おじいさんとか、その後ろにいるらしいお優しい将軍様の意向なんか知らない。正直どうでもいい。
ただの成り行き。持ち掛けられた賭けに乗ってしまった結果として、ちょこっとだけ店にでることになっただけでしかない。
だから当然、覚悟も自覚もなんにもなくて。
けれども自分が本気で生活の場として働いている場所を覚悟もなにもない素人に荒らされたら、気分が悪くなって当然だ。
私にその意識と覚悟がなかっただけなのに、他の誰かに謝罪させるのは嫌だ。
「……申し訳ありませんでした。いろいろと、自覚が足りませんでした」
たぶんきっと。ううん、まちがいなく。
此処は、私にとってのお総菜屋さんなのだ。職場なんだから当然っていう意味じゃなくて。ここが無くなったら生きていけないというだけじゃなくて。
存在する意義を、自分に持たせてくれる大切で特別な場所なのだ。
おねえさんは、自分のおっぱいを自分で作り上げたと言い切った。
その顔は晴れやかで自慢げだった。
コルセットで無理矢理寄せてあげてそれっぽく見せかけた偽乳とは違うっていってた。
方法はわからないけれど、それはきっとマダムが教えてくれた顔の浮腫みを取って骨格まで変えてみせるあのマッサージと同じような地道な努力で手に入れた、おねえさんの自慢。武器なのだ。
括れた細いウエストと、視界に入っただけで思わず魅入られる大きくて張りのあるでも柔らかそうなおっぱい。
街中の酒場だったらあっという間にその谷間に手を突っ込まれているだろうけれど、エラさんが教えてくれたことが本当ならば、後ろに英雄様がついているのだ。そんな不埒な真似は許されないに違いない。
おじいさんも、保証してたしね。うん。全然姿を現さなくなったけど。自分から賭けを持ち掛けておいて、放置ってどうなのよ。
まぁそれは置いておくことにする。
深く頭を下げ続けた私に、おねえさんことカリンさんは大きくため息を吐いた。
「あなた。その頭の下げ方では令嬢じゃなくて使用人になってしまうわ。……そう。戦争で、長く平民として生活していたのね。ごめんなさい。では私の言葉はフェアでなかったわ」
「いいえ。平民にだって、仕事に対する矜持くらいあります。持ってます」
つい、勢いのまま言い返してしまったけれど、カリンさんはそれににやりと笑った。
「あら。いい顔するのね。悪くないわ。きちんとマダムのところで躾けされてお店に出る時は私の席でヘルプから始めるといいわ。ねえマダム。いいでしょう?」
あでやかに笑うカリンさんは、化粧もしていないっぽいのに、目が離せなくなるほど綺麗だった。華があるっていうのはこういう人の事をいうんだなぁ。
まぁおっぱいにも、目が行っちゃうんだけど。




