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令嬢と山男

婚約したくない令嬢、どうでも良くない山男

作者: 中澤 悟司

令嬢と山男の続き?みたいな感じですが、前を読んでなくても大丈夫です。

 とある山の登山口、山を管理している山守の住む家の居間で、住人と来客による会話が繰り広げられていた。


「過保護なのよね、父も護衛も」


 そう言いつつ、住人である山守、山守なんて言うと大層だから、彼自身は自分のことを山男と呼んでいるが、彼が適当に入れた紅茶を受け取りつつ、上品な仕草で飲む来客の女性。彼女は、さる大貴族の令嬢である。煌めく美しい髪、手入れが行き届いた瑞々しい肌、日々侍女たちに磨き上げられているのであろう、その体からは、品のある甘い香りが漂っている。ババアどものどぎつい香水の臭いは勘弁だが、こういう小さな花のような品のある香りなら、甘くても鼻につかないんだな、と山男は思いながら、彼女の言葉を聞いていた。


「聞いてくださる?この前なんて、酷かったんですのよ」


 自分で持参した焼き菓子に手を伸ばしつつ、令嬢は言葉を繋ぐ。とにかく良く喋るお嬢さんである。たまに、と言っても毎月だが、ふらっとやって来て、茶会仕様のドレスで山に登りたいとか毎回言って山男を困らせる彼女であるが、山主である主人の娘さんなので、下手に扱うことも出来ない。もう一緒に駆け回っていた小さな頃とは違うのだから、いい加減にしないと周りも困るだろうに、とは思うが、山男の立場でそんなことを言うのもおかしな話なので、口には出さずに付き合っている。

 突然、令嬢が静かになった。焼き菓子を見ていた山男は、目の前に座る彼女の方を伺った。何か言いたげな、でも言いたくなさそうな、そんな表情である。なんやかんやで彼女との付き合いは長い彼だから分かるのかもしれないが、腹の探り合いが仕事の社交場で、こんなに分かりやすくて大丈夫なんだろうか、と要らぬ心配をしてしまう。そして、こんな時は、彼は必ずこう言うことにしている。


「どうしました?お嬢さん。俺で良ければ聞きますよ」


 そう言うと、『あらそう?悪いわね』とか何とか言いながら全然悪びれもせず、本来使用人が聞くようなことではない、とんでもない話を聞かされたりするのだ。そうして、困る彼を見て喜ぶ彼女であったりするのだが、今回はどうにも様子がおかしい。幾通りかある様式美の返しが無く、彼女は黙ったままだった。

 おや、俺にも言えない話が出来たのか、大人の分別が付くようになったんだなぁ、などと山男が思っていると、徐に令嬢は口を開いた。


「…今ね、お見合いをしているの」

「お見合い、ですか」


 それから彼女は、ゆっくりと話しはじめた。先日、父が山ほど釣書を持ってきたこと。その中の何人かと、顔合わせをすることになったこと。そして、その中の誰かと、婚約することになったこと。話し続けるうち、彼は、彼女の表情が歪んでいるのに気づいた。


「…お辛いのですか?」


 山男は、思わず、丁寧な口調で彼女に語りかけていた。彼女の人となりは、良く知っているつもりだ。彼女の幸せは、彼自身の望みでもあった。身分など関係なく、気さくに話す高位貴族の令嬢、領民たちからも好感を持たれている彼女のその心は、偽りのないものだと思う。だからこそ、幸せになって欲しい。貴族の令嬢ならば避けられない、家の為の婚姻とは言え、良い男と巡り合って欲しいと、彼は心から望んでいた。今の今までは。


 知らぬうちに、手が出ていた。目の前の彼女の、頬を撫でていた。伏し目がちに話していた彼女が、驚きのあまり固まったようだった。当たり前だ、エスコートなどのマナーやダンス以外で未婚の令嬢に触れていいのは家族か婚約者だけなのだ。使用人風情が頬を撫でるなど、この国の常識では不敬を問われても仕方ない。でも、手が出てしまった。

 ああ、仕事クビで済めばいいけどなぁ、などと思いながらも、彼は後悔していなかった。彼の方を見て、固まったまま、されるがままになっている令嬢の、スベスベした頬を撫でながら、彼は言った。


「お辛いのでしたら、俺が幾らでも聞きますよ」


 穏やかに微笑みながら、彼女に語りかけると、我に返ったのか、彼女の顔が真っ赤に染まった。やりすぎたか、と彼が引こうとした手を、彼女が『ガシッ』と掴んだ。それはそれは凄い力で。


「わ、わ、私は」


 パクパクと声にならないまま言葉を紡ごうとする彼女の口を、彼は勢いで塞ぎたくなったが、先ほどからずっと狙われている気配がいよいよ張り詰めてきたので、寸でのところで思いとどまった。


「私は、どうしましたか?」


 彼女は息を吸い込むと、目いっぱい叫んだ。


「こんなの無理ー!」


◇◇◇


「何やってるんですか、耳が痛いですよ、お嬢サマ」


 キンキン響く耳を押さえながら山男が言うと、令嬢はしょんぼりと首を垂れた。


「ご、ごめんなさい」


 真っ赤になりながらもしょんぼりするという、器用な真似をする彼女を前に、彼はため息をひとつついた。


「全く、こんなことで毎回動転されるのでは、社交場ではどうされているのか、心配になりますね」


 山登り問答の後に、追加になったこの茶番。家の都合で婚約するかも、と初めて聞いたとき、俺はただ黙るしか出来なかった。何回やられても心が苦しくなるのだが、最近ではこうやって意表を突いてみたりするようになった。今日は少しやりすぎたようだが。

 彼女は本当とも冗談とも言わないので、実際見合いはしているのだろう。もう婚約者がいてもおかしくない年齢のはずだ。と言うよりも、居ない方がおかしい。事情があるのだろうとは思うが、彼女が嫁ぐまでは、こうやって話も出来るのだろうから、彼にとっては悪い話でもなかった。自分にどうこう出来る話ではないので、彼は出来るだけ考えないようにしていたが、気持ちは出てしまうようで。


「え?心配してくれるの?」


 ついつい呟いてしまった言葉に、彼女が耳ざとく反応した。さっきまでの真っ赤しょんぼりはどこへやら、目をキラキラさせている。


「じゃあ、一緒に来てくれる?」

「行きませんよ、俺の仕事は山守なんだから、山に居なくちゃ駄目でしょう」


 あからさまにがっかりする彼女に、彼は続けた。


「だから、いつまでも変わらずお待ちしていますよ、あなたの帰る場所はここにありますから」


 その日彼が初めて言った言葉を、彼女は生涯忘れないだろう。テーブルをひっくり返して彼に抱き着いたことも含めて。


◇◇◇


 山小屋で、小さなレディと山男が会話している。


「わたし、こんやくするの」


 唐突なレディの言葉に、山男は、驚いた顔をした。そんな話は聞いていない、とばかりに彼女に聞いた。


「ええっ、誰となんだい?」

「しらないひとと」


 そう言うと、レディは悲しそうな顔をした。山男は、大げさなまでに嘆くと、こう言い放った。


「そんな悲しそうな顔をするくらいなら、俺と婚約してくれ」


 その言葉を聞いた途端、レディは満面の笑みを浮かべた。


「はい、よろこんで!おじいさま大好き!」


 山男は、お行儀悪くテーブルを揺らして自分に飛び付こうとした孫を抱き上げた。


「こんなにおもいテーブルをひっくりかえしたの?おばあさまってちからもちだったのね」

「ははっ、そうだな。お爺ちゃんもびっくりだったよ」


 小さなレディの母は、父と娘のやり取りを聞きながら、隣でその様子を楽しそうに見ている女性に謝っていた。


「すみませんお母様、あの子がどうしてもやりたいと言って聞かなくて」

「いえいえ、いいのよ。私も久し振りにここに来れて嬉しかったわ」

「では、ここが本当に?」

「そうよ、あなたのお父様と出会った場所」

「じゃあ、あのテーブルが…」

「ふふっ、そうね」


 彼女は年老いても変わらぬ笑顔を、じゃれ合っている二人に向けた。


「結局山は登れなかったけど、あの人と添い遂げられそうだから、それでいいのよね」

「お母様…」


 窓の外には、あの頃と変わらない、美しい紅葉があった。

馴れ初めの色々も書こうかなぁ、と思ったり。

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