第1話その5 『サメジマという存在』
「おはよう。サヤマさん」
「おはよう。イルマくん」
多くの生徒が行き交う校門にて、人目も気にせず朝の挨拶を交わす。何気ない日常の始まりがイルマには少し誇らしく感じられた。
昨日まではサメジマとサヤマのやり取りをただ側から眺め、サメジマの態度に不満を抱きつつも見て見ぬふりをしてきたからだ。
しかしそれが昨日、成り行きとはいえ遂に関わりを持ったのだ。それも自らの意思で二人の間に深く踏み込んだ。
ただの挨拶が、より強くイルマにそれを実感させた。
「……あ、ねぇ。教室まで一緒に行ってもいい?」
「……うん。イルマくんが良いのなら」
昨日の今日と言うこともあり、掴めぬ距離感が尾を引きつつも、二人は並んで教室へ向かう。
教室に着くまでに二人が交わした言葉といえば、サヤマはお茶が好きだとか、イルマは饅頭が好きだとか、天気は晴れが良いとイルマが言えば、サヤマは曇りが良いと言ったりと。二人の距離に動きがあったかわからぬもので、実に平凡なものだった。
「それじゃあ……」
「あ、うん」
教室へ入るとサヤマは胸元で手を軽く揺らして自分の席へと向かい、イルマもそれに応えて席に着く。
「なぁイルマ。お前、何があった?」
イルマが席に着くと、隣に座るサカドが辺りの様子を窺いながら口に手を当て小声で尋ねた。
イルマとサカドは入学してからの付き合いで、席が隣と言うこともあり目が合えば挨拶を交わし、何か用が有れば言葉を交わす。その程度の付き合いだ。
「何がって?」
「何がってほら、昨日からの話。昨日サメジマに楯突いて、今日は朝からサヤマと一緒に登校。一体お前に何があったかを聞いてるんだよ」
下手にサヤマと関わってたらお前もサメジマに狙われかねないぞ、と忠告を付け足してサカドはイルマに聞き直す。それでもイルマは何も変わらず授業の準備を済ませつつ言葉を返す。
「何も無いよ。昨日は隠す方がもっと大騒ぎになると思っただけだし、それにほら……」
一度サヤマの方へちらりと視線を向けてイルマは続けて答える。
「それにいつも思ってたんだ。サメジマくんの態度は少し乱暴すぎるって。いつもサヤマさんが気の毒で仕方なかったから、だからせめてお昼は渡そうと思っただけだよ。それになんだか……かっこいいなって思ってた。サカドくんはどう?」
イルマの言葉を聞いたサカドは、うげぇー、と苦いものでも食べたかの様に口を曲げ顔の前で手を横に振る。
「気の毒なのはわかるけどよ、やめといた方がいいってマジで。俺はパス。平穏に過ごしたいの。悪いことは言わねぇから変に首を突っ込まない方がいいよ。どうやったって2つ星の俺らが4つ星さまにゃ敵うわけねぇもん。イルマだってそう言ってたじゃん。」
「だから何かあったか聞いたんだけどなー」サカドは口を尖らせて呟いた。
「むむむ確かに」イルマは腕を組んで目を瞑る。
特別なことは何もなかった。昨日までの自分との変化、心の変わり様、様々な言葉が頭の中で浮き上がる。
「うーん……踏み出したから、かな?」
絞り出した答えは口に出した本人も苦笑いするほど抽象的なものだった。
「まー、お前がお人好しなのはわかったけどよ、ほどほどにしとけよなー。いつ目をつけられて何をされるか────」
丁度よく教室のドアがガラッと開き、クラス中に強い緊張感が広がる。
サメジマ達が登校してきたからだ。
緊張感と共にイルマは不安を感じ、いつもの癖で無意識的に呼吸を殺してしまう。目立たぬ様に、目立たぬ様にと……。
昨日は午後の予鈴のおかげでサメジマとは話半分の所で途切れているので、その続きが始まるのではないかと嫌な景色が頭を過ぎる。
しかしサメジマ達はイルマには目もくれず、何事もなかったかの様に自然と席につく。
絡まられなかった安心と、いつ絡まれるかもわからない不安を抱えるイルマを他所に、朝の点呼が始まった────。