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表と裏と③ トラウマの話

 その日の夜、由香里はリビングのソファに横になりながら、奇術部でのやり取りを思い出していた。

「説明は、むしろしないほうがいいと思うんだ」

 牧野はそう言った。ショーの前に部室を出て、二人で打ち合わせを行っていた時だ。



「安藤さんの力に下手な説明を加えたところで、まだ俺の力量じゃ、先輩たちをうまくごまかすことは難しいと思う。つじつまが合わないところを指摘されたら、余計にまずいことになるし。だけど、逆に説明しなければ、どんなトリックを使ってるのかって、それぞれが勝手に想像すると思うんだ。何といっても、奇術部の人たちだからね」

 由香里は、牧野の言葉に黙って頷く。

「そこで、特に意味はないんだけど、俺が動かすものをすり替えようと思う。動かすのはこの五〇〇円玉でどうかな」

 牧野が取り出した二枚の硬貨を見て、由香里は首をかしげる。

「それって……」

 彼女の表情を見て、牧野はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「覚えてる? この間使ったやつなんだけど、なんとなくそのまま持っててさ。また出番が来たよ」

「じゃあ、やっぱり、この間は500円玉が二枚あったってことですか?」

「さぁ、それはどうでしょうか」

 答えをはぐらかし、牧野は二枚の硬貨を掌の上で器用に転がす。その動きはずいぶんと手慣れたものだった。


 その後詳しい手順を聞いて、由香里は言われた通りに力を使った。その結果は、牧野が予想した通りだった。

 目の前で力を使ったにも関わらず、誰に何を言われることもない。

 それは、彼女の価値観を大きく揺るがす出来事であった。



(ああいうやり方が、あったんだ……)

 由香里はソファに寝そべったまま、天井の一点を見つめていた。怪訝な顔をした景虎が横を通り過ぎていったが、特に何か言われることはない。

 不意に、小学生の頃の思い出がよみがえる。いや、思い出と言うよりは、トラウマと言った方が正しいかもしれない。

(……あのときは、大変だったな)

 胸の奥深くに刻み込まれた言葉は、時折顔を出しては、自分が何者か思い出せと迫ってくる。

 ――化け物が、きた。

 由香里は寒気を感じたように身震いすると、腕で体を抱え込んだ。その当時感じた絶望感は、いまだに彼女の中で、埋火のように燻り続けていた。

 


 彼女が小学五年生だったときだ。


 超能力の他にさして注目されるような才能を持っていなかった由香里は、小学校でもあまり目立つような生徒ではなかった。平均的な学力に、平均的な運動能力。今ほど身長も高くなく、もちろん力のことは秘密にしていた。むしろ景虎の方がやんちゃで有名で、その姉としての知名度のほうが高かったかもしれない。

 そんな彼女は、クラスメイトのある男の子に淡い恋心を抱いていた。

 その男の子は勉強もスポーツもクラスで一番で、由香里以外の女の子からの人気も高かった。彼の周りには常に人が絶えず、いつも教室の後ろに集まっては、楽しそうに騒いでいた。

 自分と正反対の世界にいる彼のことが、由香里は気になって仕方がなかった。あとになって考えれば、憧れに近い感情だったのかもしれない。

 話をしたくても、彼の周りには常に取り巻きの女の子たちが陣取っていて、簡単に近づけるような状況ではなかった。日に日に強くなる思いと葛藤しながら、彼女は悶々とした日々を送っていた。


 そんなある日、クラス対抗の合唱コンクールの練習でピアノを弾いた女の子に向かって、彼は歓声を上げた。

「すごい! かっこいい!」

 興奮した声を上げる彼の姿に、由香里を含めた全員が、ぽかんと口を開けていた。彼がそんなことに興味を持っているとは、誰も思っていなかったのだ。それまでの彼の主戦場は、算数や理科のテストであり、サッカーボールを追いかけるグラウンドの上であった。

 ピアノを弾いた女の子は、どちらかと言えば由香里と同じように目立たない側の女の子だった。しかしその合唱コンクールを終えた後からは、彼の方から積極的にその女の子に話しかけるようになっていた。憧れているサッカー選手の特技がピアノ演奏で、その姿を重ねていたのだという。

 次第に親交を深めていく二人の姿に、由香里は焦りを覚えていた。自分がなしえなかったことを、あろうことか自分と同じような立ち位置だった女の子が実現させている。これ見よがしにピアノの弾き方を教えている女の子を盗み見ながら、由香里は、ある考えに囚われるようになっていた。


 自分にだって、特別な力がある。


 彼女は想像した。自分が力を使えば、あの女の子よりもすごいことができる。彼が驚嘆し、その歓声が自分に向けられるのではないか。そんな場面が頭に浮かび、それに夢中になった。

 ――きっとそうだ。学校では一目置かれている景虎だって、家では自分の能力をうらやましそうに見ているではないか。


 彼の前で、力を使う。


 由香里の中で、その考えは日に日に大きくなっていった。

 もし彼女がもう少し冷静に周囲を観察していれば、その男の子と仲良くなっていく女の子の姿に焦りを覚えているのが、自分だけではないことに気付いたかもしれない。そういった女の子たちを中心に、クラス全体の雰囲気までもが悪くなっていることに気付けていれば、周りよりも一歩引いたスタンスを、その瞬間も保つことができていたかもしれなかった。


 しかし現実は、そううまくいかない。

 彼がピアノを弾いた女の子と仲良くなり出してから一か月ほど経過した頃。二人はいつものように音楽室でピアノを前に語り合っていた。しばらくして女の子が、「最近習ったテクニックを見せてあげる」と言って、立ったままピアノを弾き始めた。たどたどしい指使いではあったが、体を大きく動かしながら演奏する姿は、それなりに目を引かせるものではあった。

 だが、演奏している最中に突然、彼女はバランスを崩して倒れ込んだ。

 彼の方に。

 反射的に、彼はその体を受け止める。

 「大丈夫かよ」と声をかける男の子に対して、女の子はこれ見よがしに甘えるような表情になった。

 その瞬間、由香里は周りの女の子たちの怒りのボルテージが、最高潮まで高まるのを感じた。

 空気が張り詰める。

 その状況に飲まれてしまったのか、由香里の頭も痺れたようにぼんやりとしていた。

 気付けば、由香里はイスから立ち上がっていた。

「私だって、すごいこと、できるよ」

 口に出した自分の言葉を、由香里はどこか遠いところから聞いていた。さっきまで甘えた表情をしていた女の子は、険を含んだ目で由香里を睨んでいる。由香里の言葉に呼応するように、周りの女の子たちも騒ぎ始めていた。

 もっとすごい曲が弾けるの?

 やってみせてよ。

 周りの女の子たちは、由香里にピアノの腕前があると勘違いしていたようだった。彼女は少し戸惑ったが、訂正するにもどう言ったらいいのか分からない。

 ふと前を向くと、彼も自分を見つめていることに気が付いた。その目には、何かを期待するような光が宿っている。

 ……。

 もう、やるしかない。

 由香里はそう決心し、手を胸の前に掲げた。

 指先に意識を集中し、少し離れたところにあるピアノの鍵盤を見つめる。


 彼女の指がピクリと動くと同時に、ポーンと、ピアノの音が鳴り響いた。


 そこにいた全員が、驚いたようにピアノに注目する。しかし今は、誰も鍵盤を触っていない。

 一瞬にして静まり返った音楽室で、由香里は一人、次第に高まる興奮を感じていた。いつもは自分のことを気にかけてもいないクラスメイト達が、ぽかんと口を開けて、間抜けな顔を晒している。

 たったこれだけのことで。

 心の中に、これまでに感じたことのない優越感が広がる。彼女は続けて、いくつかの音を鳴らした。

 ポーン、ポロン、ポーン。

 ピアノは、何年か前に少しだけ習ったことがあった。そこでの練習を思い出しながら、指先に力を込める。

 たどたどしく音が重なるうち、何人かが、ピアノと由香里を交互に見て、近くにいる友人たちに何かを囁きだした。

 ふと鍵盤から目をそらすと、こちらを見ているクラスメイトの顔が見えた。しかし、その表情は思っていたのとは違った。由香里と目が合うと、見てはいけないものを見たかのように、慌てて顔をそむける。彼女が期待していたような感嘆も、笑顔もなく、ただ静かな教室に、つたないピアノの音が響くだけであった。

 ここにきて、由香里の興奮は急速に冷め始めていた。

 何かがおかしい。想像していた反応が返ってこない。

 何度も両親から言われた言葉が、その瞬間頭をよぎる。


「人前で、力を使ってはいけない」


 しかし彼女は、もはや演奏を止めることができなくなっていた。このまま終えてしまっては、何にもならない。額から吹き出してくる汗を感じながら、それでも由香里は、必死に何をすればいいか考えていた。


 すごいって言ってよ。

 すごいって言ってよ。

 すごいって言ってよ。


 彼に認められたい、いや、クラスの皆に認めてもらいたい。

 焦燥に駆られて何も考えられなくなった彼女は、唐突に、あるシーンを思い出した。

 ――体を大きく揺さぶって、派手にピアノを弾く女の子……。

 これだ。

 咄嗟にそう思うと、彼女は鍵盤を見据えたまま両手を大きく上に挙げ、そのまま勢いよく振り下ろした。


 大音量で鳴るピアノ。


 パニックに陥る生徒たち。


 泣き声や叫び声に混じって、怖い、気持ち悪い、という言葉が聞こえてくる。教室を飛び出していく生徒たちの誰かが残した言葉が、由香里の耳に突き刺さった。

 ――化け物。

 幸いにもその出来事は子供たちの間だけで広まり、大人から何かを追及されることはなかった。だが、彼女はその後小学校を転校するまで、ひそひそと交わされるそのあだ名と、ずっと付き合うことになった。



(あの時は、大変だった……)

 今でもその時のことを思い出すと、暗澹たる思いに包まれる。実際、奇術部員たちの前で力を使う瞬間は、崖から飛び降りるような気持ちだった。横に牧野がいなければ、逃げ出していたかもしれない。あるいは、また力が使えなくなっただろうか。

 由香里はテーブルの上に目を移すと、スマートフォンを浮遊させて自分の手元に引き寄せる。

(あれも、結局原因がよく分からなかったし)

 その騒動の後、彼女は一時的に能力が使えなくなっていた。別の小学校に移ってから数ヵ月が経過し、気持ちが落ち着くとともに自然と力は戻ってきたが、そうなった理由は分からないままだった。

(でも、今日は大丈夫だった)

 由香里はもう一度、数時間前の出来事を振り返る。じわじわと、心が温かいもので満たされていく。

 力を使っても、恐れられず、気味悪がられたりしない。それどころか、すごいと褒められさえする。小学校で力を使った時、彼女が欲していた反応だ。

 もちろん、手品だと思われているからだということは理解していた。しかし単純に、その事実が嬉しかった。

 いずれにしても、万人に理解が得られるような力でないことは、彼女もよく分かっている。


(こういう形が、一つの答えなのかもしれない)


 自分が進むべき道を見たような気がして、由香里はぎゅっと目を瞑る。

 もう一度、牧野と話がしたいと思っていた。


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