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勧誘活動④ 牧野の意図

 景虎と由香里は並んでソファに腰掛け、無言でテレビの画面を見つめていた。内容はほとんど頭に入ってきていない。ただ、音が無いと不安が募ってしまうため、なんとなくつけっぱなしにしているだけだ。


 電話を切った後、景虎は相手と話した内容を由香里に説明した。由香里の目を見ずに一方的に話をする。

 「相手との話は俺がするから、姉ちゃんは部屋にでも戻っててよ」とぶっきらぼうに言ったが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。彼女は学校でこそ控えめに振舞っているが、もともとは頑固な性格である。こうなってしまったら、誰が何を言ったところで態度が変わらないことを、景虎はよく知っていた。


「元はと言えば私が力を使ったことが原因なんだから、とらに全部任せるなんて絶対いや。私も一緒にいるから」


 由香里はそう言うと、その後は何を言われても、返事すらしなくなってしまった。


 いい加減頭に来た景虎が、「じゃあ、一人でやれば」と言って部屋を出ようとすると、彼女は驚いたように一度体を震わせて、信じられないといった表情で彼を見た。何か言いたそうに口を開けるが、結局何も言わずにそっぽを向く。その横顔には強気な表情が浮かんでいるが、きつく握られた手からは、不安を隠そうとする努力がにじみ出ていた。

 子供かよ、と内心苦笑するが、その後すぐに考え直す。そういえば、自分たちはまだ大人ではなかった。


 そのまま本当に部屋を出てしまおうかとも思ったが、由香里の姿を見るうちに、彼の苛立ちは緩やかに収まっていった。一度ため息をつくと、気を取り直して由香里のもとに戻る。


「分かったよ。俺が悪かった。姉ちゃんもここにいてよ。ただし、基本的には俺が話を進めるからな。さっきはやられたけど、今度は油断しない」


 景虎がそう言うと、さっきまでの態度は何だったのか、由香里は一転して満面の笑みを浮かべる。


「ありがと」


 困った姉だ。景虎は内心そう思うが、結局それを許してしまう自分のほうが、困った弟なのかもしれなかった。

 その後二人でおでんの残りを片付け、相手の到着を、ソファに座って待つことにした。



 景虎がふと時計を見ると、時刻は20時に差し掛かるところだった。相手が言った通りなら、そろそろ到着する時間になる。少し緊張していることを自覚するが、それ自体は悪いことではない。気が抜けている状態に比べたら、緊張している方がましだ。さっきの電話のやり取りで、彼は十分に懲りていた。


 景虎の動きにつられてか、由香里も同じように時計を見上げる。それとほぼ同じタイミングでインターホンが鳴った。

 その音に二人してびくりと反応し、顔を見合わせる。

 景虎が無言で立ち上がり、玄関に向かう。途中まで由香里がついてきたが、景虎が制したことで、彼女は一人リビングに残ることになった。


 サンダルを履き、ドアをゆっくり開ける。雨はいつの間にか止んでいた。

 顔だけ出して外を見ると、門扉の外に、細身の男がヘルメットを抱えて立っていた。濃い色のジーンズをはき、同じような色合いのショートブルゾンを羽織っている。上着のジッパーを首元まで上げているせいで、その体は夜の闇に溶け込んでいるようにも見える。視線を横に移すと、男の脇には黒いスクーターが停まっていた。


 男は景虎の姿を認めると、「こんばんは」と声をかけてきた。

 景虎は無後のままドアから出て、男に近づく。


「あんたが、牧野さん?」


 景虎の問いかけに、男は邪気のない笑みを浮かべる。


「初めまして」


 見たところ、どこにでもいそうな普通の高校生、といった感じだ。体つきや顔つきを観察しても、電話越しに感じたような不気味さは、今目の前に立っている男からは感じられなかった。もちろん警戒は緩めないが、いざとなったら腕力で何とかなりそうだと思えたことで、景虎の気持ちは少し楽になった。


 景虎はゆっくりと門扉を開け、牧野を招き入れる。牧野も素直に玄関に入ってきた。照明が当たったはずだが、着ている服のせいなのか、黒々とした髪が目元まで伸びているせいなのか、最初に持った印象から変化はなかった。


「そういえば、原付は校則違反じゃないの? もしかして無免許?」


 景虎はふと疑問を持ち、そう尋ねる。


「まさか。去年友達と一緒に免許を取ったんだよ。原付は親のだけど」


「ばれないの?」


「まぁ、うまくやれば」


 牧野はそう言うと、フルフェイスのヘルメットを掲げて見せる。景虎は興味無さそうに、「ふうん」とだけ返事をするが、心の中では、自分も高校に入ったら免許を取ろうと決めた。

 それ以上は特に会話を交わすことなく、リビングまで移動する。

 扉を開けると、ソファに座ったままの由香里が神妙な顔で待ち構えていた。その姿を見て、牧野が立ち止まる。


「あ、こんばんは。牧野と言います。夜遅くにすいません」


「……こんばんは」


 由香里は硬い表情を崩さないまま返事をする。


「座っても?」


 テーブルを挟んだ向かい側を指さし、牧野が聞く。由香里が頷くと、彼はヘルメットを抱えたままカーペットの上に正座した。それを見届けてから、景虎は由香里の横に腰を下ろす。自然と、牧野が二人を見上げるような形になった。


「早速で申し訳ないんだけど、鞄を返してもらってもいいかな?」


 小さく笑みを浮かべたまま、牧野は穏やかに言った。景虎は無言で立ち上がると、ソファの影から鞄を取り出す。テーブルの上に置くと、牧野はその場で中身を確認し出した。最初にスマートフォンを取り出すと、ロックを解除して何度かタップとスワイプを繰り返す。途中顔をしかめたり舌打ちしたりしていたが、言葉を発することはなかった。

 次に、ソファに座っている二人には馴染みのない何かの道具を取り出し、簡単なチェックを始める。なぜか2ケース入っていたトランプも、2ケースとも中身を取り出して、一枚一枚確認していく。


 由香里と景虎はその工程をじっと眺めているだけだったが、景虎は牧野の行動に妙な既視感を覚えていた。


(なんだろう……。あの手つき、どこかで……)


 景虎がそう思うのと同時に、横の由香里からも感心したような声が漏れる。


「なんか……、すごいですね。器用っていうか、手慣れてるっていうか」


 牧野は顔を上げて彼女を見ると、「ああ」と声を出した。


「仲間内でよくやるんですよ、トランプ。もともと手先は器用だったんだけど、ずっと触ってるから、慣れちゃって」


 そう言ってトランプをケースにしまうと、テーブルの上の鞄ごと、自身の脇に置いた。


「うん、全部そろってる。安心しました。ちゃんと保管しておいてくれてありがとう」


 牧野は二人を見上げると、笑みを深めてそう言った。

 じゃあ、もういいだろ。景虎がそう言おうとした瞬間、牧野は由香里のほうに向きなおると、テーブルに額がつくぐらいにまで頭を下げた。


「そして、今朝、俺の命を救ってくれてありがとう。君がいなかったら、俺は間違いなく死んでいたと思う。結果的に、君にも危険を冒させてしまって、申し訳ないと思ってる」


 不意を突かれた形になり、由香里は口をパクパクと開けるだけで何も言うことができない。気にしないでください、と言えば認めることになるし、否定しようと思っても、咄嗟にはうまい言葉が出てこなかった。


 軽いパニック状態に陥ったまま景虎のほうを見ると、彼は由香里のほうを見て、小さく頷いてみせた。景虎も動揺していないわけではない。だが、すでに一度驚かされている経験から、牧野がそういう手で来るだろうことは予想していた。


「悪いけど、それがよく分からないんだよな。姉ちゃんはあんたから鞄を預けられただけで、あんたが助かったのは偶然だろ。なんで礼を言われなきゃならないんだ?」


 まだ頭を下げたままの牧野に向かって、景虎はとぼけて見せる。あくまで認めないつもりだったが、その前に、牧野がどれだけ知っているのかを確認しておかなければならないとも思っていた。

 牧野はゆっくり頭を上げると、右手で左肩の後ろを撫でる。明らかに、背中を意識した動きだった。


「……そうだな、何て説明したらいいかな……」


 一度逡巡するような表情を浮かべてから、彼は何かを思いついたように右手を上げた。


「つまり……、こういうことだと思ったから、かな」


 そう言うと、牧野はジーンズのポケットから財布を取り出した。小銭入れを開くと、500円玉を取り出し二人に見せた後で、静かにテーブルの上に置いた。

 由香里と景虎はそろって怪訝な表情を浮かべる。いったい何を始めようというのか。

 牧野は特に何かを説明するでもなく、500円玉の上に右手を置いた。3秒くらい経過しただろうか。彼が右手を離すと、テーブルの上の500円玉は消えていた。


 それを見ていた二人は、意表を突かれたように目を開く。

 続いて牧野は、両手の手のひらを広げて二人に見せる。そこにも500円玉はない。


「君のとは、また違う力だとは思うんだけど……」


「いやいや、ちょっと待てよ」


 淡々と言う牧野を遮り、景虎が言葉を挟む。明らかに、怒りを含んだ声色になっていた。


「いきなりちゃちな手品見せて、何ドヤ顔してるんだよ。そんなこと言うために来たのか?」


 ソファから立ち上がった景虎を見上げ、牧野は片方の眉を上げる。いきり立つ景虎を見上げたまま、今度は彼の着ているパーカーを指差した。


「あぁ? 何だよ!」


「ポケット」


「はぁ?」


 景虎は両手を広げて、パーカーのポケットを見る。


「だから何なんだよ!」


「その中、だよ」


 苛々した表情を浮かべたまま、景虎は手を乱暴にポケットに入れる。その瞬間、彼の表情が微妙に変化した。


「とら……?」


 由香里が言葉を発した後で、彼はゆっくりとポケットから手を引き出す。その手には、薄金色に輝く500円玉が握られていた。彼女はそれを見て、驚いたように口元を抑える。景虎はまだ怒りの表情を崩さないまま、テーブルと500円玉を交互に見ていた。


 牧野は、今度は手のひらを上にした状態で右手を差し出す。


「一応、俺のなんで」


 景虎は牧野を睨みつけたまま、その手の上に500円玉を乗せる。と同時に、牧野はその手のひらをテーブルの上に叩きつけた。

 バン! という大きな音が鳴り、由香里と景虎は体を震わせる。牧野は数秒してから、ゆっくりと手を離した。


 500円玉は、またもや消えていた。


 今回は口を挟まずに、景虎はじっと成り行きを見守っている。

 顔を上げた牧野は、今度は二人の後方を指差す。景虎は不満そうな表情で振り返ると、キッチンのほうに目を向けた。


「違う違う。そこだよ」


 牧野は、振り返った景虎が着ているパーカーのフード部分を指差していた。


「とら、ちょっと動かないで」


 由香里はそう言うと、恐る恐るフードに手を入れる。すぐに何かを発見したようで、動きが止まった。ゆっくり手を引き出すと、その指先には500円玉が握られていた。

 それを見た景虎の表情は、先ほどまでとは少し異なったものになっていた。

 そこにあるのは、戸惑いである。

 由香里も同じような表情を浮かべている。もしかしたら……、という思いが、二人の間で交錯する。


「これが……、お前の力だっていうのか」


 景虎が、慎重に言葉を選んで口にする。


「まぁ……、そういうことになるかな。手のひらに収まるサイズに限られるけど」


 牧野の口調は相変わらず淡々としている。二人は無言で顔を見合わせた。

 少ししてから牧野は、「安藤さん」と声をかける。由香里ははじかれたように彼の方に向き直った。


「それ、返してくれないかな」


 牧野は由香里の目を見つめたまま、財布の小銭入れを開いた。しかしその財布は彼の胸の前にあり、彼女に向けて差し出すようなことはしなかった。


 ――そうか、もう、分かってるんだ。


 由香里は彼の行動の意味を、すぐさま理解する。そもそも彼女にとってその合図は、家族間では当たり前のように行われていたことだったからだ。

 彼女は500円玉を左手に持ち替え、右手を胸の前で動かす。


「姉ちゃん!」


 景虎が驚いたように声を上げるが、彼女は動きを止めない。

 次の瞬間、500円玉は彼女の手を離れ、ふわりと空中へと浮遊する。そのままふらつきもせずに移動し、牧野が持つ財布の中に納まった。牧野はそれを見届けると、財布をポケットに戻した。一拍置いてから、ふーっと息を吐く。


「……この力で、俺を助けてくれたんだね」


「今朝は、突き飛ばしてしまってすみません。自分の力で持ち上げられないものは、浮かすことはできないんです」


 いっそ清々しいとも思える笑顔で、彼女はそう言った。


「はー……、なんで言っちゃうかなぁ……」


 景虎は額を抑えながら、ソファに倒れ込む。さっきの怒りはどこへ行ったのか、一気に脱力したような表情になる。


「だって、しょうがないでしょ。もう全部分かってるみたいだったし、牧野さんだって、私たちに力を見せてくれたんだし」


 由香里は弁解するように言うが、景虎は拗ねたようにそっぽを向いたまま動かない。二人の間には数分前と異なり、緩んだ空気が漂い始めている。しかし、この部屋の中でただ一人、牧野だけは、緊張した表情を崩していなかった。


「そういえば、牧野さんは、生まれた時からその力が使えたんですか? 私は、物心ついた時にはもう使えたんですけど」


 由香里が幾分表情を和らげて聞く。今まで自分以外にそういう力を持った人間に出会ったことはなかったから、自然と興味が湧いた。


「……俺は、そうだな……、ずいぶん練習したかな。ここまでのことができるようになったのは、つい最近と言ってもいい」


「つい最近?」


 それを聞いた景虎が、思わず身を乗り出す。


「じゃあつまり、何? 練習して使えるようになったってこと? そういうもんなの?」


「俺の場合は、そう。言うなれば、後天的な能力と言うか……」


「へー。そういうこともあるんですね。でも何か、例えば昔から、力の片鱗があったとか、そういうことはあったんですか?」


 意外な話に、由香里も身を乗り出して聞いてくる。


「うーん……。さっきも言ったけど、手先が器用だった、というのはあるかな。それで、自然と興味を持ったのかもしれない」


「自然と興味を持った?」


 牧野の返答に、景虎が眉根を寄せる。牧野の言葉を自分なりに解釈しようとしている。そういう表情だった。


 不自然な沈黙が流れる。


 不意に、今まで神妙な顔をしていた牧野が、大きく息を吐き出す。両手で顔をごしごしとこすると、足を崩して胡坐をかいた。二人を見上げたその表情は、妙にさっぱりとしていた。


「君たち二人に、たぶん知らせないといけないことがあると思う」


 牧野はそう告げると、二人を交互に見た。

 どちらもぽかんとした表情で、牧野の顔を凝視している。顔のパーツは意外と似た作りになっているな。そんなどうでもいい発見が頭に浮かんだ。


 ――最後の仕上げ、だな。


 彼は心を決めて、口を開いた。


「俺が今やったのは、いわゆる手品だ。安藤さんの力とは、少し性質が違うかもしれない」


 そう言った瞬間、二人の顔が見る見るうちに変化していく。パーツは似ているが、奥に秘められた人間性が違うのだろう。表情の変化は対照的だった。

 由香里は両手で口元を覆ってソファに倒れ込むと、牧野の顔を凝視したまま、「うそ」とつぶやいた。対して景虎は、一瞬にして頬を赤く染めると、反射的に右手を伸ばして、牧野の襟首をつかんだ。そのままテーブルに身を乗り出すと、牧野を引き寄せる。二人の顔が、額が触れ合わんばかりに近づいた。


「……騙したのか?」


 凄みを増した声で、景虎が言う。


「騙してない」


 牧野も目をそらさず、静かに言い返す。


「騙しただろうが!」


 声を荒げると、景虎はそのまま牧野を突き飛ばした。勢いに負けて倒れる牧野に、景虎はなおものしかかろうとする。


「まるで超能力があるみたいに、俺たちを騙しただろう。ふざけたことやりやがって。少し性質が違うだと? 姉ちゃんの力を、ただの手品と一緒にすんじゃねぇ!」


 激高して詰め寄る景虎を、牧野はなんとか押しとどめる。


「確かに、そういうふりをしたのは認める。結果的に騙すような形になったのは謝るよ。だけど、俺は一言も、超能力があるとは言ってないぞ。俺には、こういう力がある、とだけ言ったんだ。そして、その力を披露した」


「まだ言うか……」


「さっき、姉ちゃんの力を手品と一緒にするなと言ってたけど、お前はその違いが何なのか、ちゃんと分かってるのか?」


 景虎を遮り、牧野は質問をぶつける。自分で由香里の力を認めてしまっていることに、景虎は怒りで気付いていない。


「分かってるに決まってるだろ。お前の手品と違って、本物にはトリックがないってことだ。偽物は練習とか、準備がいるんだろ。姉ちゃんの力にはそれがない」


 景虎はどことなく得意げに言った。

 由香里は額に手を当てて、天を仰いだ。景虎を止めようにも、もはや手遅れであるような気もした。だが不思議と彼女は、怒りを感じてはいなかった。単に、頭が状況に追い付いていないだけかもしれなかったが。


「トリックがない、か……」


 牧野は景虎の言葉を繰り返す。


「違うとでも言いたいのか? それが一番大きな差だろう」


「じゃあ聞くが、俺はいったい、どんなトリックを使ったんだ?」


 唐突に浴びせられた質問に、景虎は言葉に詰まる。


「……そんなもん、俺が知るかよ。トリックはトリックだろ。自分でそう言ったじゃねえか」


「どうやったか、お前は分からないんだな? どんなトリックを使ったのか分からない、と。それはじゃあ、トリックがないことと、どんな違いがある? お前から見て、何が違う?」


「どんな違いって……。だから、俺が分からなくても、手品にはトリックがあるんだろ? あるとないじゃ、根本的に違うじゃないか」


 景虎の勢いが弱まった隙に、牧野は腕に力を入れて立ち上がる。そのまま正面に立つと、じっと彼の目を見据えた。


「手品にだって、トリックがないものはいくらでもある。心理的な盲点を突いたり、マジシャンの技量で、あるものを無いように見せたり、いろいろある。今回のもそういうやつだ。いや、それはともかくとして、まず、安藤さんの力についてだ」


 景虎は目をぱちぱちと瞬かせる。いったいこの男は何を言おうとしているのか。話の先が見えず、助けを求めるように由香里を振り返ってしまう。見つめ返してきた姉の表情が意外と冷静であることに気付き、彼は少し驚いた。


「安藤さんの力にはトリックがないと言ったな。確かにそうかもしれないが、その力にだって、元になっている何かがあるはずだ。自分の力で持ち上げられないものは、能力を使っても浮かすことができないと言ってたよな。それも、何らかの原理があることを物語っていると思う。つまり、安藤さんの能力だって、原理は存在するけど、それを知るすべがないから分からない、と言える。ここまではいいか?」


 牧野の問いかけに、景虎はとりあえず頷く。突然難しい話になって頭が追い付いていないが、勢いに押され、頷くしかない。


「そこで話を戻すと、だ。お前から見て、俺がやったことも、由香里さんがやったことも、どういう方法でやったかは分からないわけだ。違いがあるとすれば、やった本人がやり方を理解しているか、してないかだ。さぁ、この場合、超能力と手品は、どこに違いがある? お前が俺にあると勘違いした能力と、何が違う?」


 そういう風にまくし立てられると、不思議とあまり違いが無いようにも思えてくる。しかし景虎は、それを認めることに大きな抵抗を感じていた。姉の力はただの手品とは違うんだという思いが、彼を躊躇させている。景虎は、自分でも気づかないうちに、由香里が特別な力を持っていることに対して、強い誇りを抱いていたのだ。


 彼は一度頭を掻き、それでも精いっぱい牧野を睨みつけながら、「あんた結局、何が言いたいんだ」と言った。


「最初は、姉ちゃんの力に気付いて、それを暴くためにここに来たんだろうと思っていた。超能力者を見つけて、騒ぎ立てて、自分も一緒に注目されようって奴は、今までもたくさんいたからな。でもあんたは、姉ちゃんの力が手品と変わらないみたいに言う。それどころか、まるで自分のほうがすごいみたいな言い方だ。いったい、何が言いたいんだよ」


 景虎の表情から、徐々に怒りが収まってきていることが分かる。どういう感情で接すればいいのか、それが分からないといった雰囲気だ。その後ろでは、由香里がまっすぐな視線を牧野に向けてきていた。

 二人分の視線を受け止めながら、彼はゆっくりと口を開く。


「……俺が、わざわざこんな回りくどい方法を使ってまで安藤さんの力を確認したかったのには、もちろん理由がある。それはつまり……」


 彼は一度視線を落とすと、意を決したように顔を上げる。


「つまり、安藤さんの力を、俺に貸してほしい、ってことだ」


 それを聞いた景虎の顔が歪む。一度収まっていた怒りのオーラが、またむくむくと周りを包んでいく。


「なんだそれ。結局、そういうことじゃねえか」


「そうじゃない」


 間髪入れず牧野が否定する。


「安藤さんの力を人前で披露したいとか、そういうことじゃない。あくまで前に出るのは俺だ。由香里さんには、その手伝いをしてほしいんだ」


 牧野が言っている内容をよく理解できずに、景虎が首を傾げる。由香里も同じような表情だ。牧野は二人の顔を交互に見た後で、拳を握りなおす。


「俺は、奇術部に入ってる」


 由香里の口が、牧野が言った言葉をなぞるように動く。


「俺には、今年の文化祭で何としても成功させなければならないことがある。そのために、安藤さんの力を貸してほしい。それを言うために、俺は今日ここに来た」


 彼が言いきった後で、三人の間に沈黙が流れる。由香里も景虎も、牧野が言った言葉をどう受け止めるべきか、判断ができずにいた。


 沈黙に耐えきれなくなったように、景虎が頭をバリバリと掻く。


「訳が分からねぇ。あんた、それ本気で言ってるのか? 手品に超能力を使うってことだろ? それこそズルじゃねえか。だいたい、たかがそんなことを言うために、こんな回りくどいことしたのかよ。それこそ信じられねぇ」


 景虎は半ば呆れ顔で、ソファにどっかりと腰を下ろした。牧野は景虎に目を向けると、抑えた声で話し始めた。


「テレビのマジックショー、あるだろ。大がかりなものになると、番組に出てる司会やゲスト、スタッフから観客に至るまで全員がサクラで、生放送のように流している映像はすでに編集済みのものだった、なんてこともあるんだぞ。騙されてるのは、テレビの前の視聴者だけだったりな。今やそんな時代だ。人を驚かす方法に、アリもナシもないんだよ。人が思いもよらない方法を考え出すのがマジシャンだ。そのためには、超能力だって何だって使うさ」


 話すうちに、牧野の声に熱がこもってくる。それに気付いて顔を上げた景虎は、彼の形相に驚く。さっきまでとは打って変わり、その表情は何かの苦痛に耐えるような厳しいものになっていた。


「だけどな、マジシャンはたかがそんなことのために、命をかける。自分の価値観で、こっちのことを判断するなよ」


 口調は抑えているが、その裏には隠しきれない感情の昂ぶりを感じる。景虎はその静かな迫力に押され、口を開くことができなかった。


「……一つだけ、聞きたいことがあるんですけど」


 突然響いたその声に、牧野と景虎は驚いたように顔を上げる。質問した由香里は、落ち着いた表情で牧野を見つめていた。


「俺が答えられるものだったら、何でも」


 牧野は表情を緩めると、拳に込めていた力をそっと抜いた。


「さっき牧野先輩が見せてくれた500円玉が消える手品ですけど、もしかしたらあれ、500円玉は二枚あったんじゃないですか? とらのポケットに入っていたものと、フードに入っていたものは、実は違う500円玉だった。どうですか?」


 「それ聞いてどうすんだよ……」と、景虎が呆れたような声を出した。好奇心に満ちた彼女の表情を見て、牧野の顔にも笑顔が戻る。


「……残念だけど、それは俺が答えられない種類の質問だな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 その答えを聞いて、彼女はがっかりしたように肩を落とす。


「やっぱり、種は教えてもらえないんですか? 自分なりには、いい線いってると思ったんですけど」


 牧野は苦笑すると、鞄の中に入れた財布に目をやる。


「悪いけど、自分から種を明かすマジシャンは、それはただの素人だ。同じ手品を一緒にやる仲間に対しては別だけど、それ以外は、種は自分の墓場まで持っていく。それがルールなんだよ」


「あんたは素人じゃないのかよ……」


 景虎が漏らした言葉に、牧野は「まぁ、心構えの問題だけど」と返す。

 由香里は不意に真顔に戻ると、じっと自分の手を見つめた。そのままゆっくりと顔を上げると、


「じゃあ……。私の力のことも、墓場まで持っていってくれますか?」


と聞いた。

 その言葉に、牧野の動きが一瞬止まる。


「……もちろん、持っていく」


 少ししてから、牧野がはっきりと答える。由香里は満足したように微笑むと、ゆっくりと伸びをした。


「とりあえずは、それを信じることにします。だけど、先輩に協力できるかは、まだ何とも言えません。そもそも今は陸上部に入っているので、そっちをどうするか決めないと」


 牧野は神妙に頷くと、「分かった」と答えた。


「ほんとに大丈夫なのかよ……」


 景虎が不満そうにつぶやくと、由香里は片方の眉を上げて彼の方を見た。


「もし先輩が秘密を洩らしたら、とらが何とかしてくれるんじゃないの?」


 景虎はその言葉を聞いて、思わず噴き出す。


「無茶振りだな。……そうだな、その時は……。予定より早く墓場に行ってもらうか」


「怖いことを言うな」


 牧野も苦笑を浮かべた。そのまま腕時計を見て、時間を確認する。


「さてと……。俺は言いたいことを全部伝えたから、そろそろ帰ろうかな。さすがに、ずいぶん遅くなっちゃったし。まだ文化祭までは時間があるから、返事はすぐじゃなくても大丈夫。学校で言いにくかったら、メールでもいいから」


 牧野は鞄からメモ帳を取り出すと、アドレスを書いた一枚を破いてテーブルに置いた。


「部室はA棟3階の端。空き教室を使わせてもらってるんだ。そこに来てくれてもいい」


 由香里は小さく頷いた。


「今日は本当に、朝のことも含めて、ありがとう」


 牧野は由香里に向かって頭を下げると、リビングの入り口に向かって歩き出す。由香里は無言でその後を追い、今度は景虎が部屋に残る形になった。


「……なんかもう、めちゃくちゃだな……」


 景虎は大きく息を吐き出すと、無言でテーブルの上に置かれたメモ用紙を見つめる。不意に破り捨てたい衝動に駆られるが、なんとかそれを抑え込んだ。

 由香里がこのまま、家族以外の人間に力を隠して生きていく。果たしてそれが最善のことであるのか、今の景虎にはよく分からなくなっていた。



「見送りなんて、よかったのに」


「そういうわけにもいきません」


 牧野がブーツの靴ひもを結ぶのを、由香里はじっと眺めている。


「そういえば、お父さんとお母さんはどこかに行ってるの? いなかったみたいだけど」


「ああ、二人とも今は海外に行ってて、何か難しい研究をしてるみたいです。私にはよく分からないんですけど」


「へえ、すごい」


「でも、ちょっと変人ですよ」


「ちょっと変人なのか。いいね」


 牧野はそう言って楽しそうに笑うと、ヘルメットを持って立ち上がった。


「あ、そういえば」


 由香里が思い出したように声を上げる。「聞きたいことがあったんですよ」


「何?」


「電話をかけてきたとき、先輩は私の名前知ってましたよね。あれ、なんでかなと思って」


「あぁ、そのことか」


 牧野は一度逡巡するように目を泳がすが、「まぁいいか」とつぶやいた。


「簡単なことだよ。朝の段階で、安藤さんの鞄の色から一年生だってことはわかってた。踏切のバタバタのあとで学校とは逆方向に向かって走っていったのも見た。で、その後通学路では見なかったから、学校に来てないんじゃないかって思ったんだよね。あとは職員室に行って、踏切で鞄を預けたことを説明して、安藤さんの特徴を挙げて、もしかしたら今日学校を休んでるかもしれないんですけど……って付け加えたら、ああ、安藤さんのことかな、って」


 淀みなく話す牧野の説明を、由香里はぽかんとした表情で聞いている。


「そ、そんな感じだったんですか。なんか思ってたより普通ですね。とらが話してくれたやり取りから、もっとスパイみたいな方法で探り出されたのかと思ってました」


 牧野はそれを聞いて苦笑する。


「まぁ、そうだね。そういうふうに聞こえるように話したから。さっき言ったけど、マジシャンが種を明かさないのは、実はそういう理由もあるんだよ。手品の種には、分かってしまえば大したことないものなんてたくさんある。それをうまく不思議な現象に見せるのが、いわばマジシャンの技量なんだよね」


 そうなんですねーと言いながら、由香里はしきりに頷いている。


「それじゃ、そろそろ帰るよ。だいぶ遅くなっちゃった」


「はい。気を付けて」


 最後に短く言葉を交わすと、牧野は手を挙げて玄関を出る。スクーターにまたがり、エンジンをかけてアクセルを軽くひねると、喧しい音が辺りに鳴り響いた。



 すっかり暗くなった住宅街を駆け抜けながら、彼はさっきまでのやり取りを思い出していた。


(……それにしても、まさか本当に、本物の超能力者だとは)


 もちろん、そうではないかと疑ったからこそ、ここまで無茶な行動に出たのだ。しかし実際にその力を見た瞬間の衝撃は、しばらく忘れられそうにない。気を抜けば震えだしそうになる体を抑え込むように、彼はスクーターのハンドルを握りしめた。

 別れ際の彼女の顔を思い出す。最後は、憑き物が落ちたようにすっきりした表情になっていた。


(あの子は、奇術部に入ってくれるかな……)


 何個目かの信号で止まった時、彼は体に溜まった不安を外の空気と入れ替えるように、大きく深呼吸をした。右手でヘルメットのこめかみあたりを、ガンガンと叩く。


(来てくれたとして、だ)


 ここから先は、彼自身の覚悟も試される。

 先ほどの会話の内容から、由香里が過去に何らかのトラブルに巻き込まれていることも伺える。彼がこの先、彼女の力を利用して手品を行うとなれば、彼女が超能力者だということを、絶対に周囲に知られてはならない。


 それは、彼女の人生に関わる問題だからだ。


 信号が赤から青に変わり、彼はスクーターを発信させる。

 道路の横を走る線路を、電車が通り過ぎた。それを追いかけるように、彼はアクセルを限界まで回す。

 それでも追い付けない電車の後ろ姿を見送りながら、彼はこれからのことに思いを馳せていた。


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