癇癪
エリーザに指揮権を渡し、サンダンヴェール家に連なる貴族家への伝令も済んだ。
自らの眷属への命令も済んだ。
サンダンヴェール大公は今一度、アレキンヴェール大公を説得するために彼の屋敷を訪れていた。
しかしサンダンヴェール大公がいくら非常事態を主張しても、怒り心頭のアレキンヴェール大公は取り合わない。始めこそこれ以上彼を刺激しない様にと頭を回していたサンダンヴェール大公も、被害報告が上がれば上がるほど焦りも怒りも生まてくる。
「何度も言っているだろう!!うちの者達だけではヴェール領全域をカバーするのは無理だ!亜竜の被害に加えて、眷属同士の衝突が原因と見られる倒壊被害や火事も起きているのだぞ!いい加減にしろアレキンヴェール!」
「黙れ!すり替えも甚だしい!私が亜竜を呼んだか!?私が眷属に家を壊し火事を起こせと命令したとでも言うか!?馬鹿なことを言うな!亜竜を狩れというのならライトンヴェールにさせればいい。私はライトンヴェールの隅から隅まで調べて龍の血雫を探し出せとしか命令していない!奴らが応戦せず無抵抗に腹を晒し、その雑務に向かえばそれで済む話であろう!」
説得は言い合いになり、さらに怒鳴り合いになり、最後には魔圧全開で胸ぐらを掴み合うまでに発展してしまっていた。
「冷静になれ!」
「なれるものか!これ以上私を怒らせるな、出ていけ!」
アレキンヴェール大公はサンダンヴェール大公を振り払うと、水塊で部屋の一画ごと外へ吹き飛ばす。屋敷の壁に派手に大穴が開いた。
「公!」
クロドはサンダンヴェール大公を受け止めると、勢いを殺して着地した。水を風で薙ぎ払い、大鎌を構えて臨戦態勢に入る。
「何故……っ!何故!何故分からぬのだアレキンヴェール!!我らは争っている場合ではないのだ!!」
「そうだな。其方は私に構わずに他の事をするべきだ。私は今、大公でも当主でもない、冷静な為政者ではない、ただのヴァルヴロ・アレキンヴェールとしての戦いをしている。其方にも自分が自分であるために、譲れぬものがあるであろう!」
放たれた氷柱と突如隆起した岩壁が衝突する。防ぎきれなかった氷柱は余すことなくクロドが弾いた。
「公、もう無理じゃないすか?今からでも亜竜の方へ合流した方が」
クロドは苦く進言する。怒りに任せ思考を放棄したあの状態のアレキンヴェール大公に、もう何を言っても無駄に思えた。口だけはよく回る故に分かりにくいが、理性すらほとんど怒りに溶けてしまっているのだろう。しかし、サンダンヴェール大公は強い視線で焦点の合っていないアレキンヴェール大公を見据える。
「……一言、一言でいいのだ、奴が一言命令すれば、力が動く。それは、我個人より遥かに大きな力なのだ。……最善は、この選択なのだ。頼むアレキンヴェール、眷属と貴族家への命令を取り消し、事態収拾にあたらせてくれ」
「断る」
「っ……それでもこのヴェール領の大公か!!ヴァルヴロ・アレキンヴェールッ!!」
サンダンヴェール大公は氷の剣を生み出すと、アレキンヴェール大公に斬りかかった。アレキンヴェール大公も氷の剣で応戦する。
「この私に氷で挑むか。舐められたものだな!」
「頭の壊れた男にかける最後の情けだ。この失態の責任は大きいぞアレキンヴェール!」
「それは今の私に言っても意味のない言葉だ!」
「今は今はと逃げるな!!為政者は、いついかなる時も民を守らねばならない!この緊急事態においてその怒りは私情でしかない!」
冷風吹き荒ぶ戦闘は徐々に勢いと鋭さを増す。特大の魔圧と魔圧のぶつかり合いは並大抵の者では近付けないほどに強烈だった。
その魔圧の残滓は、遠く避難所でハーナとラメントを探していたリアンの元へも届いた。
人混みの中から探し人を見つけるために敏感に張り巡らせていたリアンの網にかかったのは、ハーナでもラメントでもなくぶつかり合う強力な魔圧の余波。少し探ればそれがサンダンヴェール大公とアレキンヴェール大公のものであることも、リアンには分かった。
「大公二人がかりで相手をするような何かが現れたのか……?」
まさかその大公同士が闘っているとはつゆほども思わないリアンは、顔を曇らせ、事態を重く見た。
リアンとミケは暫くいくつかの避難所を見て回っていたが、そこはもうほとんど怪我人のための救護所のようになっていた。空を飛び回る亜竜の数も減ってはいるが、いまだ獲物を求め彷徨っている。火事の被害も収まっておらず、避難してきた人までもが消火に駆り出されているほどだ。被害の拡大は収まる様子をみせていなかった。
「……」
リアンは考える。そしてリスクとリスクを天秤にかける。どの程度手を出すのが適切か。超えてはいけないラインはどこか。
「……ミケ、見て来て欲しい所がある。ここからあの方角へ真っ直ぐ向った丘のあたりだ」
「え、でも、まだハーナもラメントも見つかってない。ご主人が一人になる」
「私は大丈夫だ。この避難所で待っているから」
「……分かった。何を見つければいい?」
「丘の周辺で大公が何かと戦っていると思うのだ。どのような相手か、はたまた災害か……危険を感じたらすぐに戻ってきてくれ。遠くから見てくるだけでいい」
「分かった。行ってくる」
ミケはリアンを壁沿いまで連れて行ってから外へと向かった。
屋根の上を飛ぶように駆け、ミケはリアンに示された方向へと注視する。見たところその周辺では火事は起きていないようだ。街灯の明かりがぽつぽつと照らすだけで薄暗い。
少し余所見をしたミケに、大きな影が迫った。視界が暗くなったような気がして嫌な予感に振り返ると、目の前には足でミケを掴もうとしている亜竜の姿が。
「ぅわ!?」
ミケは慌てて転がってそれを避ける。ブォッと風を切る音が頭上を過ぎ去っていった。
「クソ!」
取り敢えず亜竜が入ってこれない裏路地へ避難しなければと、ミケはあたりを見回す。
その時。
「ギャァーッ!?」
突然亜竜が断末魔のような叫びを上げて落下してきた。
「うぉっ!?」
ドォンと重そうな音を立てて、亜竜は大通りの地面へと墜落する。翼と首がひしゃげており、喉から血が吹き出している。完全に絶命しているようだ。
「え……?」
あたりを見回しても、人影はない。よく分からなかったが、ミケは取り敢えず起き上がり、再び丘を目指して走り出した。
ショッキングな光景には耐性のあるミケは特に留意しなかったが、その大通りには同じように派手に血を流した亜竜の死体が点々と続いていた。
やがて丘に大きな屋敷が見えてくる。戦闘音が聞こえるくらいに近づけば、あたりに溢れる魔圧も感じられはじめる。不穏な空気と、何かが砕けたり爆発するような連続した音。確かに戦闘は起きていた。しかしどういう事なのか、そこに亜竜や魔獣の姿は見つからなかった。
「サン…、サンなんとか大公と、もう一人?」
氷や岩がぶつかり合っては砕け散って、剣での斬り合いになったかと思えば何かが爆発して。二人が戦っているのは明白だと思って良さそうだと、ミケは戦闘から遠い外壁の上から観察した。
「何をしている」
「っ……!?」
背後から声をかけられ、ミケは驚いて飛び退いた。闇夜に紛れて現れたのは黒装束のクロドだ。鋭い眼光がミケを射抜く。
「逃げるなよ。お前さん、あの人のお付きだろう。何しに来た」
「……何でもない。もう戻る」
「あの人が近くにいるのか?」
「いない。ついてくるな」
恐怖を飲み込み背を向けて走り出したミケにぴったりとくっついてくるクロド。
「っ、危ない」
「うぉっ!?」
クロドがミケの腕を引いて建物の影に隠れる。その横を氷の塊が通過した。
「気を付けろ、怪我するぞ」
「……離せ」
ミケは腕を振り払って距離を取る。
このクロドという男はリアンの正体に疑念を持っている。ミケが警戒するのは、自分がボロを出す事のないようにという意味もある。
ドオォオオン……
少し離れたところでは、轟音のような戦闘音が鳴り響き続いている。
「……大公は何と戦っている?」
「それを調べて来るよう言われたのか?」
「…………」
「そうなのか?」
「…………帰る」
「待て。教えてやる。その代わり、あの人以外には言うな。いいな」
「……分かった」
クロドは御三家の醜態と言ってもいいこの事態を言い広められるリスクより、とにかくこの状況を収めうる戦力を求めた。
「公はアレキンヴェール大公の暴走を収めようと闘っていらっしゃる。アレキンヴェール大公の怒りの矛先はライトンヴェール大公だ」
「つまり……大公が戦っている相手はアレキンヴェール大公だな?」
「そうだ」
「分かった。助かる」
ミケは情報を反芻して、再度【身体強化】を発動し屋根の上へと跳び上がった。
その時だった。
「がっ……!?」
「……?」
ミケがたった今いた路地裏から微かに掠れた悲鳴が聞こえた。気になって路地裏を覗き込むと、そこに見えたのは、地に伏すクロドの姿。
「え……?」
クロドは気を失って倒れているようだ。何故、とミケが混乱していると、ふわっと血の匂いに包まれた。
「お前は、眷属じゃねえな」
「うわっ!?」
突然目の前に現れた赤黒い影。髪から滴る同色の液体。強く鼻につく苦い鉄の匂い。
「消えな。ここは戦場になる」
男は赤く染まった髪をかき上げて、手に持った長い棒のような何かを肩に担ぐ。ミケは知らぬ事だが、それはアレキサンダライト城の外装である巨大な鉄柵をへし折ったものだった。
存在感があるような、けれど闇に溶けて消えてしまいそうな、危う気な空気を醸し出す男。
「っ……」
長い前髪の下に隠れた素顔をまじまじと見た事があるわけではない。声だって数回しか聞いていない。服装だって、前とは違う。けれど、ミケは直感的に理解した。
返り血に染まったその男は、元忠剣八刃、シルバー・チェインだと。




