白い花弁
ヴェール領の御三家当主は常に対等である。それはこの領の始まりから変わらぬ掟であり、それを守るための様々な施策が取られている。その内のひとつが、権利循環。魔王城に登城し参政する大公が節目毎に変わるのもこの権利循環によるもので、同様に、遊闘技場や各検問、自警団なども一定の年数ごとに管理する家が替わる。
そして現在、遊闘技場の管理を担当しているのはサンダンヴェール家だった。
クロドは管理者であるサンダンヴェール家当主に代わって、結界の魔法陣が破損したという遊闘技場を視察しに来ていた。本来ならクロドも筆頭眷属として御三家会議の場に在るべきなのだが、遊闘技場の魔法陣は機密情報に分類されるもので、ある程度の立場の者の同席が無ければ扱ってはならないとされている。ほとんど形だけの決まりなのだが、破る訳にはいかないと、大公の筆頭眷属という立場のクロドが派遣されることになったのだ。
クロドが今朝見た限り、作業できるのが青い顔の部長と、その眷属が一人だけという絶望的な状況だったが、クロドが色々な箇所を見回っているうちにどうやら手伝いを雇えたらしい。
通りすがりにその話を聞いたクロドがグラウンドを覗いてみると、驚いたことにそこにはいつぞやの車輪付きの椅子に座る白い男と、変な尻尾を持つ赤猫族のような男がいた。二人は上手く連携して、次々と魔法陣を描いていく。一度街で見かけたきりだったが、こんなところで再び目にする事になろうとは、と、クロドはつい二人を凝視してしまった。前回見かけた時は、もう一人有角族の子供を連れていたが……というところまで思考を回して、クロドは自分に少し呆れた。そんなことを気にしても、何にもならないのだ。クロドは視察を続けることにした。
クロドがやって来たのは獣を収容するための区画。つまりは獣舎だ。猛獣と呼ばれるものから、半魔獣、果ては亜竜や魔獣まで収容できる広い施設になっている。地上には比較的小型だったり大人しい獣が、地下には万が一にも脱走されてはいけない危険な獣がというように振り分けて収容されている。搬出口が開いていれば楽なのだが、そうでない時に地下に向う道は防犯のためかなり厳重かつ分かりにくい。
クロドは狭い階段を降り、地下へ続く扉を開けた。どこかじめじめした独特の空気がクロドを包む。殺気立った獣の威嚇をヒシヒシと感じつつ、クロドはあたりを見渡す。この空間で一番に目に入るのはやはり巨大な亜竜、腐海亜竜だろう。明日の試合に出すために、搬出口のすぐ近くに運ぶ作業が行われていた。腐海亜竜は鎮静剤でも打たれているのか、やけに大人しい。クロドは暫く作業員を観察していたが、何も問題は無さそうだ。他の檻も見ておくかと視線をそらしたクロドの目に、ふと白い花弁が写った。それは一枚だけ、クロドの足元に落ちていた。
何故こんなところに花が?と、クロドは首を傾げる。それはこの殺風景な獣舎に似つかわしくない異物だった。
誰かの服にでもついていたのか、と、クロドはさして気に留めなかった。
日も沈み、人々の活気が昼とは違う街道に宿る頃。
街灯も疎らな区域のとある薬草屋から、一人の男が出てきた。薬草屋から数歩歩いたところで、その男は一つため息を吐く。そして嫌そうにフードを脱いで、月の下に顔を晒した。不健康そうな生気の無い顔をしたその男は、月の光で更に青白く見えた。
「怠すぎ……」
シルバーはふらっと何でもないように振り返る。道に人影はなく、沈黙があるのみ。
ふいに、シルバーが蹌踉めく。
ガキン
突然シルバーの目の前に現れたのは、黒尽くめのタイトな戦闘服を身に纏った何者か。その何者かの両手には、大振りのナイフ。鈍く輝くそのナイフは、正確にシルバーの首と胸を狙っていた。
しかしシルバーはそれを完全に見切り、両手の指輪で受け止めている。
「ウゼえな。殺すぞ」
シルバーの影が揺らめいたかと思えば、黒尽くめの男の腹をシルバーの蹴りが襲った。地を転がった襲撃者は直ぐに立ち上がり、間合いの外で構える。そして紅い目を憎々しげに歪め、シルバーを睨みつけた。シルバーはその目に苛ついて舌を軽く噛む。
「あ゛〜〜〜〜ウザいウザいウザいザイザイザイザイザイ……。またテメェらかよシネよ、バカみてぇに群がりやがって……コリねえヤツらだなあシネよ」
シルバーが察知した敵の気配は、五。相手は目の前の男だけではない。
吐き出すように魔圧を放ち威嚇すれば、煽られた残り四人が物陰から一斉にシルバーへと襲いかかった。
その全てをいなし、一番重そうな男の腕掴んでぶん回す。振り回される男を避けた一人がシルバーに斬り掛かったが、正確な蹴りがその手の甲を強かに打った。
「ウゼえ……何がウザいって全部。全部全部全部全部全部全部ウッッッザ!何故こんなゴミ相手に手加減しなきゃならない?何故テメェらは学ばない?何故勝てもしねぇのにやってくる?何故こうも俺に突っかかる?何故また服を汚さなきゃならない?指輪にも傷がついた。帰る時間も遅れる。ああ……………………最悪な気分だ」
襲いかかる男達の意識を刈り取らんと、腹を、背を、頸を、シルバーは的確に穿った。しつこい時には骨を何本か折って気絶させる。
シルバーは武器を持った相手に無手のまま、全く怯む事もなく全ての襲撃者を打ちのめした。
「くそ……処刑人の恥さらしごときに……っ!」
「五月蠅えなァ!」
「ぐはっ……!」
シルバーは最後の一人を地に叩きつけ、その頭蓋を踏みつける。さながら、場末の荒くれ者のようだった。
「足んねぇよ戦力が。全然全然全く足りてねぇ。そんじょそこらの処刑人が束になろうとゴミはゴミだろ。次はせめて筆頭眷属連れてこいやゴミ。ブチのめしてやるよあ゛ぁ?それとも一直線に大将の首取ったろかコラァ!」
「不敬な……!!貴様ごど、っぎ」
「聞こえねぇよハキハキ喋らんかクソゴミ野郎!」
「っ、調子に乗ってらえうのは、今のうぢだっ……!そのうぢ魔術も解禁されうだおう……小手先だげであしらえると思うなよ゛」
「はっ……小手先であしらわれた自覚はあるわけだ。けどな聞けよ」
シルバーは凶悪に歪めた顔に絶対的自信を滲ませて言う。
「テメェらはこのシルバー・チェインを大公に近付けないようにしようと思ってるかも知れねぇけど、近付いて来てんのは大公の方だ。いいか、テメェらは勧誘に使われてんだよ。アレキンヴェール家にはこの程度の雑魚ゴミしかいませんから〜貴方がうちにくればそれなりの地位に着けますよ〜ってな!」
「っ……!?」
シルバーはがなり立てた勢いのまま踏みつけた頭を蹴り上げた。男は二、三回転がって、脳を揺らして気絶した。
裏路地に、再び静けさが戻る。シルバーは一つ息を吐くだけで荒ぶる魔力を収めた。転がる男達を無視して、乱れた服装を正し、フードを被り、何事もなかったかのように歩き出す。
「……同胞だろうと、貴族だろうと、眷属だろうと、大公だろうと────」
生気を無くした虚ろな目を空に向け、連連と零したシルバーの小さな声は、中程から闇に溶けて消えた。
連中は赤い石のピアスをしていた。赤はアレキンヴェール家の色。つまり男達はアレキンヴェール大公の眷属だ。くだらない、と吐き捨てて、シルバーは自身の指に光る赤黒い宝石を忌々しく引っ掻いた。
同時刻。サンダンヴェール邸。
緩くウェーブ描く豪奢な銀髪を持つ勝気そうな女性と、酒に顔を赤くしたほろ酔いの男が、共に晩餐を囲んでいた。
「御三家会議もあと二日ね」
「ああ、今のところ、問題はない」
「そういえば、大破したって言う遊闘技場の整備、間に合わせるようね」
「そうだ、断魔術と陣魔術に精通した優秀な手伝いが見つかったから間に合いそうだと報告が上がってな。既に広場にも明日も試合を開催する旨の知らせを張り出した」
「それは僥倖ね。明日は断頭兄妹の腐海亜竜討伐戦、日程を動かすと影響が大きいわ」
二人は夫婦関係にある男女だが、会話の内容はまるで仕事中の同僚のようだ。
「それでな、エリーザよ。それについて、もう一つ面白い報告があるのだ」
「何かしら」
女性の名はエリーザ。若い頃から尊血の国の才女として頭角を現し、三十五年前にサンダンヴェール家に嫁入り。その後も立場を変えて活躍している敏腕外交官だった。
「担当の者によるとその手伝いの男、リアンと名乗ったらしい」
「古くからある珍しくもない名前よ」
「そう思うか?」
「回りくどいわ。遊闘技場に行かせたのはクロドでしょう?彼ならば、もしその者が貴方の望む御方なら、直ぐに貴方の目の前に連れてくるでしょう。そうしたらこのヴェール中のお酒がこの屋敷に集まるはず。私と晩餐をしている場合ではなくてよ。……ねえ、大公たるもの、死者に縋るような情けない真似はおよしになって」
「手厳しいな」
サンダンヴェール大公は小さく笑ってグラスを煽った。彼はこの晩餐で既に果実酒を二本空けている。ヤケ酒のような飲み方に、エリーザは眉をひそめた。
「珍しい話題を振ってきたかと思えば、自分で辛くなって酔いに逃げて。少しだらしがなくてよ」
「ああ、ついな。ここ最近、嫌な話題ばかりで気が参っているのかもしれない」
「まさか、外でもそんな弱気な口をきいてはいないわね?」
「そこまで落ちぶれてはいない。妻に愚痴るくらい許してくれ」
「残念だけど、愚痴を言いたいのならクロドに付き合ってもらった方がいいわ。私では逆効果よ」
「そうだな。……いや、違うか。我は貴女の喝が欲しかったのかも知れん」
エリーザは視線を落としたままそんな事を言う夫に肩を落とす。いつになく弱い部分を晒す彼に、これ以上苦言を重ねるのは得策ではないと彼女は分かっていた。
「……中立派のレジスタンスの件は私も聞いているわ。そんなに状況が悪いの?」
「ああ、中立派は今まで烏合の衆だったろう?それを纏めようと新しく旗印を擁立した奴等がいるらしい。局所的にだが、かなり勢い付いている。本当にその旗印が中立派全体に機能したのなら……難しい状況になるだろう」
「嫌な情勢ね。けれど、旗印を立てるというのは新しい動きだわ。中立派はそもそも、独立性を保つために……と、魔王様に恭順しない者達でしょう?本当に纏まる事なんて出来るのかしら」
「成功する可能性は低いだろうな。一時的に勢い付いたとしても、旗印がそのまま頭を張るような状況になれば、プライドの高い種族からどんどん瓦解する」
「混乱が起きるだけね」
食事を終えたエリーザの前に、花の蜜で甘さを加えた蜜茶が運ばれて来た。彼女はそれを一口味わって、気持ちを安らげる。
「……未来の事を考えるのは悪い事ではないわ。けれど、それに囚われては駄目よ」
「だがな……もしヴェール領に出兵要請が来たらと思うと正直、それが今一番頭が痛い」
エリーザは意外そうに目を見開いた。
エリーザはヴェール領の生まれではなく、通称北のヴァンパイアと呼ばれる尊血の国の出身だ。尊血の国では軍が整備され、兵も騎士も存在するが、ヴェール領にはそれが存在しない事を彼女は知っていた。あくまで大公を始めとする貴族の私兵や、治安維持の自警団が存在する程度。内戦に送り込めるような戦力なんて、ヴェール領には存在しないはずだった。
「魔王軍がヴェール領に助力を求めるのは分かるとして、出兵なんてできるの?誰が出るのかしら?」
今度はサンダンヴェール大公が意外そうに彼女を見た。
「知らなかったか。ヴェール領には領軍は存在しない故、緊急時の兵役義務は貴族全員が負うのだ。そして貴族の士気を上げるのは、我ら大公の役目。つまり出兵要請があれば、ヴェール御三家当主のうち誰かが戦地へ派遣される。己の眷属と、他のヴァンパイアも連れてな。……自分で言うのもなんだが、火力という点では高位のヴァンパイアは優れている。大公の誰かが前線に立った日には、どんな不利な状況だろうとどうとでもひっくり返るだろう。アレキンヴェールの現当主なんぞ、出兵要請先で極大魔法ブチかまして山三つを凍らせた事まである」
神妙に冗談みたいな事を語るサンダンヴェール大公に、エリーザは信じられない気持ちでいっぱいだった。
「アレキンヴェール大公については置いておくとしても……。攻められてもいないのに、自治外の戦地に大公が赴くなんて……」
「内戦地が我らの自治外とはいえ、そもそも我らはこの国の国民だ。大公といえど魔王様に仕える立場には違いない。むしろ戦地に出て国に貢献し、他の領地に力を示すのは歴とした我らの役割だ。……我はただ、そこで大量の死者が出るであろうことが、心苦しいのだ」
ある種傲慢とも言えるその苦悩は、サンダンヴェール大公の素直な心だった。机の上の戦場ばかりを渡り歩いてきたエリーザには、本物の戦場は分からない。知識だけでも入れておくべきかと、エリーザは頭の中で明日以降の予定に勉強の時間を組み込んだ。




