鹿角の魔族
コロコロとした小さな笑い声が聞こえてきた。
「もうすぐ小精霊が帰ってくるね」
「そうらしいな」
人懐っこい小精霊が遠くの崖の麓まで、ひとりの魔族を探しに出てくれている。
「どんな魔族だろうね。レイの森に用事があるような人、そうそういないけど」
「さあ。街まで案内してくれればそれでいい」
「街に出て、どうするの?何かするの?多分今のリアンを見て、守護の魔王だって分かる人いないと思うけど、大丈夫?」
「問題ない。なんとかなる。私は食事をしなくても大丈夫だから、そこまで出費は……ああ、この身体は食事が必要か?」
「あー。多分はじめは必要かも。産まれたてだから栄養がいるね」
「成人しているように見えるが」
リアンは自身の手を観察する。少し骨ばった大人の手だ。先程見た顔立ちも、生前と同じくらいの年に見えた。
「まあリアンの魔力を全て子供の身体に収めるのは無理があったからね。魂もそこそこ生きた魂だから、身体と反発しないよう同じくらい身体が成長するまで母体精霊が育ててくれたんだよ」
母体精霊とは、何かを司る精霊を生む精霊である。精霊を生む精霊として多数存在する。地上には降りてこない精霊だ。常にニ界で司精霊の母として働いているという。
「無血族は魔人系魔族ではないのか。成人しているなら食事は必要ないはずだ」
「うーん……でも地上に誕生したのは今だから、栄養取っておいたほうがいい気がするなあ。てか魔人系の成人でも食事はするでしょ。食事取らないのは変にストイックな人か食事が面倒な人かじゃない?取ったほうがいいよ」
「そうか」
リアンは生前、配下と共に食事をする時などの特別な時を除いて一切食事を摂っていなかった。今も食事が不要であれば、精霊達が用意してくれた現金を節約出来ると考えたのだが。
有角族などの魔人系の魔族のうち、存在の一定以上の割合を魔力に頼っている者は、身体の重要度が著しく落ちる傾向にある。つまり、身体に宿す魔力が大きければ大きいほど、食事や治療を必要としづらくなる。そのかわりに魔力の異常が致命傷になりやすいという側面があるが、一長一短といったところだ。
「あ、来たね」
茂みの奥。小精霊の軽やかな笑い声と共に、小さい魔力を伴った魔族が現れた。ふらふらと、誘われるようにやってきたのは、シカのような角が頭部から生えている有角族の男だ。青年期のように見えるが、それにしては明らかに魔力が小さい。見たところ服もボロ布で、奴隷のような枷を首や手足に付けている。およそ精霊の泉に似つかわしくない男だった。
レイはその魔族を連れてきた小精霊を人差し指で労うと、リアンに向き直る。
「じゃあレイは帰るね。あ、その身体さ、馴染むまで無理しないで。魂が分離したら大変だから!それじゃまたね、リアン」
「ああ。身体をありがとう。霊泉精霊レイ」
レイはニコッと綺麗な笑みと大変な注意を残して、一瞬にして消え去った。リアンにはフレンドリーだったが、本来あまり人と関わりたがらないタイプの精霊だったようだ。精霊としては珍しくはない。
「マゾク ツレテキタ!」
「ヨ!」
「ありがとう。助かった」
しっかりとリアンに報告をしていくできた小精霊だ。レイに言われて手伝ってくれたのかと思っていたリアンだが、少し認識を改めて嬉しく思った。
小精霊はオイデオイデと言いながら男の頭の上を飛び回り、リアンのすぐ側まで連れてくる。催眠術か、暗示のようなものだろうか。男に抵抗する素振りは無い。ただ呆けたまま小精霊に従っている。
リアンは男を跪かせるよう小精霊にお願いし、男の額に指を二本置く。そしてそこに狙いをつけ、中指を握るように丸めて親指に引っ掛けると──。
「……っあた!」
ピシッと弾いて男の額を打った。
「な、なに!痛い!え……え、誰?あんた誰!?へ、こ、ここどこ!!」
男は正気を取り戻したように喚き出した。半眼だった目は見開かれ、丸まっていた背中は伸び、いくらか悲壮感が消えたようだ。
「ここは精霊の泉。私は……」
リアンは質問にそのまま答えようとして、名前の所で答えを詰らせた。そのまま答えていいものか。いらぬ警戒をされてしまうのは都合が悪い。
「……」
「……」
「リアンだ」
迷った結果、リアンは素直に答える事にした。ただ、名前のみ。特段珍しい名前でもない。
「名前を聞いてもいいか?」
「め、る、メルテロリス、だ」
メルテロリス。男は挙動不審にそう名乗った。目を泳がせ周囲に気を配りながら、状況を見定めているようだ。爽やかな森に場違いな硬い金属音がジャラリと響く。
「何故ここに?」
「何故って……こっちが聞きたいぜ。俺は旅の途中だったんだ。それで、街で声を掛けられて?で、えっと、……気付いたらデカイ馬車の荷台の中で、荷物とか無くて、こんな服もこんなで、魔法使えなくなってて……」
メルテロリスは話すごとに力を無くしていく。見た通りだが、どうやら訳ありらしい。
リアンはメルテロリスから、旅の途中で奴隷狩りに合い、隙きをついて身一つで逃げてきたのだと事情を聞いた。
「本当に正当性のない奴隷狩りだったのだな?」
「当たり前だろ!俺、いきなり襲われたんだぜ……。奴隷じゃない、被害者だ……」
奴隷の脱走は、大罪だ。法に則り奴隷になったからには奴隷として真っ当に生きなければならない。口での反抗、抵抗、などは甘く見られる事はあっても、脱走は主人への加害に相当する大罪。見逃されたりお咎めなしとはならない。
だがメルテロリスの話を信じるなら、メルテロリスは奴隷ではないと言う。この国でもし法が変わっていないのなら、不当な奴隷と言う事になり、奴隷契約は無効だ。奴隷契約は、国指定の奴隷商人が法に則って行う重要で規制の厳しい契約である。
「……」
リアンはメルテロリスを観察しながら考える。例えその話が事実だとして、ここでは証明することは出来ないだろう。また、逆も然りだ。
「正規の奴隷商人のいる街まで行けば、その奴隷契約が正当か不当かはっきりする」
「その奴隷商人が正規かどうかなんて分かんねえだろ!ていうか正規だろうと奴隷なんて扱ってる時点でお察しの品性だぜ。俺は高く売れるだろうからな、奴ら、不正してでも俺を奴隷にするつもりだ……!」
鹿色の髪の頭を抱えて嘆くメルテロリス。ついにはしゃがみ込んで無意味に枷の鎖を引っ張り出した。
「くそ!俺は死んでも奴隷になんてならねぇぞ!この俺が奴隷だなんてあり得ねえ!」
「お前……」
リアンは自走椅子を操作してメルテロリスに近付き、ボロ布越しに肩に触れた。それに反応して顔を上げたメルテロリスの首筋の肌に直接触れる。するとメルテロリスはリアンに顔を向けたまま力を抜くように静止した。それはリアンの得意とする魔力操作の応用技術、通称【悪魔の手】。触れた対象の魔力に干渉し無理矢理支配する、ある意味の力技だった。
「……!」
「お前、本当に脱走した奴隷ではないのか?」
リアンは問うた。
メルテロリスの体は動かない。真っ白な目で見詰められて、見透かされているような気になって。下から見上げる形になっているのも相まってなのか、メルテロリスには目の前の男がどうしようもなく圧倒的な存在かのように思えた。反射的に抗って、それも全く意味を成さず、メルテロリスは抵抗を諦めた。そして次に、そもそも抵抗などしてもしなくても変わらないのだと、思い直した。冷静になればそうだ。今のメルテロリスは、裏道のゴロツキに絡まれただけで命が危ない。だからこそ誰もいないこの森へとみっともなく逃げて来たのだ。自分でどれだけ無実を訴えようと、この様では奴隷にしか見えない自覚はある。諦めなど今更。ひとりで抗うことを諦めたから、メルテロリスは今ここにいるのだ。
「答えよメルテロリス」
白い魔族はいっそ傲慢なまでに真っ直ぐ言い放つ。
「俺は、奴隷じゃない、この枷と契約は不当なものだ……!」
メルテロリスもはっきりと不当を主張する。やけくそなものではなく、しっかりとした眼でリアンに答えた。
「ならばそれを証明しなければならない。ここで喚いても嘆いても、隠れても逃げても、お前のその呵責は癒えないだろう」
逃げでこの森にいた事すら見抜かれていたのかと、メルテロリスは感嘆する。一見はただの遭難か何かだろうに。思わずため息をついた。
落ち着きを取り戻したメルテロリスを見て、リアンは手を肌から離す。縛りから解放された体はほんの数秒で元に戻る。メルテロリスは楽をするように膝を崩して座り込み、立てた膝に顎を乗せてリアンを見上げた。
「街へ行き、正規の奴隷商人にその枷をとってもらえ。そこに行くまでの間、私はお前を信じ、味方しよう。他の者や獣に襲われようといちゃもんを付けられようとお前を守ると約束する。代わりにお前は私を街へ連れて行け。私にはこの森の先、街までの案内人が必要なのだ」
「……分かったよ。俺はあんたを街まで連れて行く。俺は今魔法が使えねえし、武器も何も持ってない。あんた頼みだ。それに奴隷商人も俺以外の奴がいれば不正しにくいだろうし。……あんた、俺が解放されるまで付き合ってくれるんだよな?」
「勿論。約束しよう」
リアンは小さく頷き、手を差し出した。一瞬身を引いてしまったメルテロリスだが、リアンが微笑みながら待っているのを見てその手を取る。がっちりとした握手に、リアンは満足そうにスッと目を細めた。
「こちらの事情も話しておこう」
ありがとうございます。