ミケは三番目
「げほっ……げほっ……」
頭が痛い。胸が、腹が痛い。腕が、足が、尻尾が痛い。今、わしづかまれた髪の根本と耳が痛い。
殴られ、蹴られ、叩かれ引っかかれ投げ飛ばされ、全身が熱を持って身の危険を訴えていた。肋骨の何本かはすでに折れているだろう。内臓にまで傷がついていれば、命が危ないかもしれない。
「ちょっと。起きてよ、つまんないわね」
軽い調子で、しかし容赦なく頬を叩かれる。
「っう、ごめ、なさ」
何も答えずにいると更に叩かれる事を知っている。ミケは叱られた子供のように、無理矢理口を開いて答えた。
「はぁ……。全く。どこまでも期待はずれね、貴方。どれだけマシになってるかと思えば、全然じゃない。この首輪の主は、何考えてるのかしらね」
ニケはグローブを嵌めたままの右手でミケの首に指を這わす。そこにあるのは、無骨な奴隷用の首輪。
「ねえ。教えなさい。貴方にこんなものを着けたのはどんな物好き?どんな感じなの?奴隷って」
「ご主人、は……つよい」
「へえ。じゃあ護衛は必要ないわけね。それで?貴方は何するの?」
「……着替えとか、てつ、だう」
「は?着替え?何それ。貴方みたいな弱っちくてでかいだけの奴隷なんて肉壁くらいしかやる事ないと思ったけど」
ニケはミケの髪をわしづかんだまま首を傾げる。そして可笑しそうに肩を震わせた。
「ふふっ何それ面白い!貴方、自分が産まれた意味、ちゃんと分かってて言ってるの?着替えって何よ、意味分かんないわ!とっても面白い!」
ニケは我慢出来ないというようにミケから手を離し、腹を抱えて笑いだした。支えを失ったミケは地に崩れ落ち、ニケの機嫌を損ねない程度に息を吐いた。腹を庇うふりをして、ほんの少し距離を取る。半歩にも満たない、殆ど意味のない動き。暴力による恐怖と長年の刷り込みに捕らわれたミケが動けたのはそれだけだった。
俯いたミケの顎をガッと掴み、上を向かせて、ニケは問う。
「ミケー?思い出しなさい。貴方、何故産まれたの?なんて言われて育ったの?なんの為生きてるの?」
ニケの大きな瞳が、愉快そうに歪められた瞳が、ミケを追い詰める。ドクンドクンと心臓が煩い。
──君の名前はミケ
──成功した実験体
──期待していますよ
──素晴らしい。四肢だけでなく尻尾にまで竜の因子が働いている!
──さあもっと強く成長して下さい
──君の力はそんなものではないはずです
──君は僕の希望です
声が聞こえる。きっとこれまでの人生で一番多く共に過ごした人。親代わりで、先生で、いつでもミケに優しかった人。痛かった後も、辛かった後も、苦しかった後も、彼はいつも優しく抱きしめてくれた。
──強い子になりなさい
「強い子になりなさい」
懐かしい声と、ニケの声が被る。
──君は『最強』になるのです
「君は『最強』になるのです」
ミケの目に涙が貯まる。
「ぁ……ぁ……」
「ふふ……そうよ、思い出しなさい。貴方は期待されていた。本当に気に食わないけど、この私よりも。私やケイより強く表れたこの竜の形質に、皆夢中だった。覚えてるでしょう?成功した子供の中でも、貴方は特別扱いだった」
ニケは岩のような鱗の生えた尻尾を捕まえて、ゆっくり撫でる。ニケのグローブの下の手には、グレーの艷やかな鱗が生えていることを、ミケは知っている。ミケのようなゴツゴツした鱗ではなく、既に消えた翼にも生えていたような、滑らかで美しい鱗。
整った顔に愉悦を乗せて、ニケは笑う。
「特別扱い……ま、それも一瞬だったけどね?」
──何故弱い魔術しか使わないのですか?
──ケイの真似をしてごらん、魔力を腹にためて吐き出すんだ
──ニケも制空魔術を掴みつつあるというのに、何故君はこんな簡単なことも出来ないのでしょう……!
──失望させないで下さい!
──君には一番期待していたのに!
──結果を出さないのなら、もう必要ない
──あれは失敗作です。もう要りません
ミケの中にいくつもの声が再生される。心臓が握りつぶされるように痛い。向けられる視線の冷たさ。優しかった大人の怒鳴り声。それに同調するようにミケを罵倒する無数の人達。何を言っているのかは聞き取れない。ただ、鬱憤をぶつけようとする害意と悪意ばかりが伝わってくる。
その声を代表するようにニケは言葉を紡ぐ。
──強くなる事が使命
「強くなる事が使命」
ヒュっとミケの喉が引き攣る。
──弱い者に価値は無い
「弱い者に価値は無い」
呼吸が浅くなったミケに、ニケは優しく微笑みかけた。
「最強になるために産まれ、育てられた貴方が、今や奴隷。ご主人様に傅いて、ご機嫌取りして、お着替えのお手伝い?情けないなんてもんじゃないわ、むしろ笑っちゃうわね?」
「っ……」
違う、違うと、喉のすぐそこで言葉が暴れる。音にすればニケの機嫌を損ねると、そんな気がしたから、ミケはそれを飲みこむ。
確かに自分は弱いと、ミケは認める。リアンのような強力な魔力も、ストリゴイゼのような強力な魔術も、メルテロリスのような珍しい魔術も、ケイやニケのような竜の魔術も、ミケにはない。
ケイ、ニケに続いて三番目に成功した実験体として、ミケは期待されていた。そしてその期待に答えられずに見放された。ケイもニケも、成長に伴い竜の鱗を手に入れ、竜だけが扱える魔術を手に入れた。しかし、ミケはいつまで経っても竜の魔術を手にすることが出来なかった。魔族最強種の一角と称される竜種の力、その力を手にすることが出来なかったミケは『最強』を求める大人達に捨てられた。
けれど、ミケは──。
ミケが奴隷落ちした原因である、今は無き研究施設。かつて辺境の草原に存在したその研究施設は、ミケの生まれ育った場所だった。ミケは産まれてから研究施設の破壊という罪で奴隷落ちするまでずっと、この施設の中で暮らしていた。
施設にはミケの他にも何人もの子供達と、白衣を着た大人達が一緒に暮らしていた。施設では、子供達は二つに分けられる。成功したか、失敗したか、その二つ。その基準は大人達によって決められる。
ミケは、成功した子供に数えられた。大人達と同じだったまっさらな手足に、ザラついた鱗のようなものが生えた日から。
『所長、三人目です!赤猫族の子供に鱗が確認されました!』
『おお、素晴らしい……!記念に名前をつけましょう』
ミケという名前を貰ったのもこの日だ。そしてこの日から、ミケが産まれてから同じように育てられてきた同期の子供達はだんだんと姿を消していった。彼らが大人達に失敗作と呼ばれていた事を、ミケは後から知った。
ミケは社交的な子供ではなかった。鱗が生える前、口の悪い年上の子供達と喧嘩をしてボコボコにしてからというもの、自らミケに近付くような子供もいなかった。だからミケは、それからずっと自由時間はほとんど一人で過ごしていた。
一人で、失敗したと判断された鱗の生えなかった後輩達が消えていくのを、ずっと眺めていた。
ある時、四人目の成功が伝えられた。赤い鱗を持つ、黒い毛並みの山犬族の男児。
その子供は、シケと名付けられた。シケは明るく元気な子供だった。すぐ友達を作り、その別れに泣き、新しい友達から励ましを受ける。それを繰り返している。年上のミケにも積極的に絡んできて、しかめっ面のミケに笑顔を振りまいていくような子供だった。
だんだんとシケの同期の子供もいなくなって、泣いても励ましてくれる友達がいなくなると、シケはいなくならない友達を求めて、ミケにくっついて回るようになった。ケイやニケもいなくならないぞと、ミケが教えてやっても、シケはミケの側にいた。ケイに声をかけただけでニケに生意気だと言われ半殺しにされたから、怖くて近付けない!と笑いながら。
『ニケ先輩は、俺とケイ先輩が同じ鱗なのが気に要らないそうっす』
シケは楽しい話も、悲しかった話も、痛かった話も、何でもない話も、全部ミケに話した。ミケは気が向いた時には返事をしてやった。重心を下げればもっと速く走れる、だとか、今日の何倍も痛い注射もあるぞ、だとか。ぶっきらぼうなミケの返しにも、シケは嬉しそうに笑った。
次に成功したのは、砂鼠族の女児二人。二人は同期だった。それぞれ、イツケ、ロケと名付けられた。
シケはいつの間にか二人と仲良くなっていたらしく、二人がいなくならない友達になった事を喜んだ。シケは二人をミケにも紹介しようとしたらしいが、二人は怖がってしまって駄目だったと、悲しげにミケに報告してきた。ミケとしては新入りなんてどうでもいい事だったので、そう伝えた。
その頃ミケは、全く上達しない魔術の訓練に浸かりっきりで、他に気を向ける余裕もなくなっていた。よく分からない刺青を入れられ始めたのはこの頃だ。ジリジリと肌に色が刻まれる感覚は、あまり好きではなかった。
イツケとロケに鱗が確認された一月後には、さらに四人の子供に鱗が確認された。付けられた名前は、ナケ、ハケ、ココ、トウ。種族は様々で、どれが誰だったか、ミケは覚えていない。
鱗の生えた子供達は合わせて十人になっていた。
成功させるためのメゾットを、大人達は掴み始めていたのだろう。
きっとそれ故に、あの事件は起きてしまった。
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