目覚め
一章が始まります。
十柱魔王が一柱、守護の魔王リアン・ベストが消滅して四十年の時が過ぎた現在。
かつてと違わぬその場所に、魔大陸と、魔帝国は存在していた。
その魔帝国の旧守護の国領土端。
精霊の森と呼ばれる大きな森の小さな泉に、ニ体の小精霊がいた。
「モウスグ モウスグ ナニカガ オキル?」
「オキル オキル? トキハ イマ?」
精霊はコロコロとひとしきり笑うと、森の奥に消えていった。
森に、不穏な風が吹いて溶けた。
────
冷たい。
冷たい。寒い。
苦しい?息が出来ない。
体が動かない。体の感覚がない。
音がない。
光がない。
何もない。
何も、なかった。
今の今まで。
唐突な冷たさも寒さも息苦しさも不自由さも。
疑問が生まれた。
何故冷たいのか、息苦しいのか。
衝動が生まれた。
ここから出たい、息がしたい。
暗闇に、突然光が現れた。
光を、認知出来るようになった。
そこへ行こうと考えた。
沈んだ体の、上半身を強く起こした。
冷たさが消えた。水の音が聞こえた。飲むように息を吸えた。目を開いた。光が見えた。
そして、私は目を覚ました。
「ここは……どこだ」
目に光が入る感覚。皮膚に何かが触れる触感、内臓の呼吸。何もかもが久しい感覚のように思えた。
────
眼前に広がる森。白い幹と、薄い黄緑の葉の木々。その特徴的な色は、かつて精霊の巣があると噂された森の──通称、精霊の森のようだった。普段はニ界に住む彼らに最も近い場所。
「……」
そして今居るのは、その森の泉、すなわち精霊の泉だろうと思われた。
「……私は何故水の中に?」
起き上がったはいいものの、泉に浸かったままの下半身が少し寒い。身じろぎをすると水の音が鳴った。混乱と、それに対抗する妙な余裕。この感覚には、少し覚えがあった。あの時とは状況もなにも異なるが、近いものを感じる。復活。また生き返ったのか否か。この混乱はそう簡単に収まらない。そう割り切れば落ち着きは生まれるのだ。
ふと目の前を黄緑色の蝶がひらひらと飛んでいった。
「……」
目でそれを追いかけると、蝶は水面に一度触れ、去っていった。水面に小さな波紋が広がる。波紋をじっと眺め、それが収まった時、光を反射した水面に自身の顔が写った。
「……?」
知らない顔だった。
自分ではない誰かがそこに居た。首を傾げてみると、水面の相手も首を傾げる。自分にあるはずの角を触ろうと頭に手をやると、ただ髪の毛を触る感触があり、水面の像も同じ仕草で不思議そうな顔をした。その顔をじっと見てみると、全くの別人ではなく若干の面影を残した自分のような何かである気もしてくる。
「私なのか……?」
白い髪に白い肌、虹彩まで白い眼。角は無く、色が違えばヴァンパイア族や人間とも見えるような、原人に近い見た目。何と言う種族だろうかと、知識を探る。頭の何処を調べても角が無い事から、有角族ではないのだろう。獣態系の種族?はたまた魚態系?思い返すがしっくり来ない。
手を握ったり開いたり、魔力の感覚を確かめてみたり。
とにかく情報が欲しいと考えた。
「【断魔結界】」
声に出して目の前に結界を展開させる。何も問題なく結界は現れた。
「……」
次に、いつも通り無音で自身を対象に結界を展開させても、変わらず結界は現れた。それは毎朝起きると同時にほぼ無意識で行う作業。常に張っている、自身にとって服のような結界。
森に風が吹く。さわさわと揺れる葉音と共に、小さな声が聞こえてきた。
「ナニ ナニシテル?」
「マホー?」
カタコトな言葉に聞こえる不思議な音のような声。
「小精霊か。驚かせた、すまない」
「イイヨ コワクナイカラ」
「コノヒトハ コワクナイ」
小精霊。普段は目にも見えず、ただそこにいるだけの、小さく薄い存在。無論通常は話す事など出来ないが、ここは精霊の泉。精霊のための特別な場所。精霊の住処、ニ界に近いと言われるだけあって、小精霊が薄く実体化し、話せるほど豊かな精霊の気に溢れている。小精霊は霧の塊のような姿をして頭上を飛び回る。
「私が誰だか分かるか」
「マゾク!」
「マゾク!」
「そうか」
「イイマゾク! ヨクナイマゾク オイダサレル!」
「オトモダチ! オトモダチノ オトモダチハ オトモダチ!」
「セイレイチガウ デモ セイレイノトモダチ」
「ツマリ オトモダチ!」
「そうか。ありがとう」
小精霊達は警戒心が高く、司精霊など力ある精霊やその関係者にしか声を掛けない。小精霊の言うオトモダチが誰なのか定かではないが、縁というのは重要だ。
「近くに他の魔族はいるか」
「ワカラナイ アマリミカケナイ」
「モリニハ トキドキイル コワイケド ミチャウ」
「魔族と会いたいのだが、手伝ってはくれないか。私が探すから、連れて来て欲しい」
「マゾクト?」
「アイタイ?」
ざわざわと木々がざわめく。こころなしかそれが楽しげに見えた。
「イイヨ! イイヨ!」
「ツレテクル!」
「助かる。魔法を使うぞ」
一応宣言をしてから、術式を組む。そして波紋を広げるように、魔力を解放した。解放した魔力は術式に沿って、密度は高く、厚みは薄く、術者を中心に広がっていく。後は術式など要らない。反射したり歪んだりして帰ってくる魔力の波紋を読み取って地形や魔力を持つ者を判定する。魔力操作の応用技だ。そして二十秒ほどで、遠くにひとり、魔族らしいものが居るという反応を感知した。
「ひとり、見つけた。あちらの方向に崖があるな、その麓だ」
「ミンナデ サガス!」
「マッテテ マッテテ!」
「危険と感じたら、無理せず帰ってきて欲しい。頼んだ」
返事のように音を立てて葉が揺れて、コロコロした笑い声が遠ざかる。
協力的な小精霊達に感謝した。
「ふふふ……」
「……?」
唐突の無音。小精霊ではない笑い声。
一瞬だけ風と音が止み、無風の中、水面だけが揺らいだ。そして、小精霊とは違う、大きな精霊の気配が現れた。その気配に覚えは無かった。
「誰だ。知らない精霊だ」
「やあ。我が名は霊泉精霊レイ。精霊の泉を司る司精霊だよ。初めまして、リアン・ベスト」
「霊泉精霊レイ……?」
「キミがちゃんと起きるか見に来たの」
リアンには見覚えのない、真っ白な精霊だった。
ありがとうございます。